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プロ野球界では、オフシーズンに契約更改が行われる。その年の活躍が昇給・減額に反映され、翌年俸が決定する。しかし過去には、希望する金額や条件が折り合わず、自費で春季キャンプに突入した事例もあった。
今回のオフも佐々木朗希(ロッテ)が契約を更改しておらず、大きな話題となっている。ここでは、自費キャンプを経験した大物選手をピックアップしたい。
久保康友
出身:奈良県
投打:右投右打
身長/体重:180cm/81kg
生年月日:1980年8月6日
ドラフト:2004年ドラフト自由枠
NPBで3球団に所属した経歴を持つ久保康友も、阪神タイガース時代に自費キャンプを経験した。
関西大学第一高校、社会人野球の松下電気を経て千葉ロッテマリーンズに入団すると、ルーキーイヤーから10勝を挙げて新人王を獲得。チームの日本一に大きく貢献したが、翌年以降は不振が続いた。
2009年にトレードで阪神タイガースに移籍すると、翌2010年にキャリアハイの14勝をマークした。
同年オフの契約更改では、球団との交渉がうまく進まずに長期化。最終的にはキャンプインから一週間が経過したタイミングで、ほぼ倍増の年俸額を勝ち取った。
2014年にはFA権を行使し、横浜DeNAベイスターズへ移籍した久保は、同球団でも2桁勝利(12勝)を記録。3球団で2桁勝利を達成し、2018年以降は海外リーグを渡り歩いている。
川上憲伸
出身:徳島県
投打:右投右打
身長/体重:179cm/90kg
生年月日:1975年6月22日
ドラフト:1997年ドラフト1位
中日ドラゴンズのエースとして長らく活躍した川上憲伸も、自費キャンプを経験している。
徳島商業高校から明治大学に進学し、リーグ戦通算28勝、3度のベストナインに輝くなど圧巻のピッチングを披露。その後、中日を逆指名してドラフト1位入団を果たした。
プロでも大卒1年目から14勝6敗、防御率2.57をマークし、新人王を獲得する最高のスタートを切った。以降はチームのエースとして不動の地位を築いた。
2004年は17勝を挙げて最多勝を戴冠。翌年も2桁勝利(11勝)には乗せたが、やや成績を落とした川上。その結果、球団からダウン提示を受けて交渉が長期化し、自費キャンプを経験。
さらに、2007年オフには2度目の自費キャンプに突入し、翌年オフにメジャーリーグへ挑戦した。
紆余曲折がありながら、最後は中日に復帰した川上。自身の要求をしっかりと伝える姿は、ファンの印象に強く残っているはずだ。
G.G.佐藤
出身:千葉県
投打:右投右打
身長/体重:184cm/98kg
生年月日:1978年8月9日
ドラフト:2003年ドラフト7巡目
「年俸で揉めた選手」といえば、G.G.佐藤が思い浮かぶ人も少なくないだろう。
G.G.佐藤は、法政大学卒業後に渡米し、MLB傘下マイナーリーグに挑戦。帰国後の2003年ドラフト7巡目で埼玉西武ライオンズに入団した。
プロ1年目は45試合出場で打率.298の成績を残すと、いきなり契約更改を保留して注目を集めた。そんな中、2007年に25本塁打を放ち大ブレイクしたG.G.佐藤は、希望額との開きの大きさから年俸調停を申請した。
結果的に申請は受理されず、自費キャンプを経てようやく決着。ただ、2008年オフも契約がまとまらなかったため、前代未聞の2年連続自費キャンプとなった。
2009年も打率.291、25本塁打と結果を残したが、翌年から出場機会が激減し、2011年オフに戦力外通告。その後はイタリアプロ野球、クラブチームを経て千葉ロッテマリーンズでもプレーしたG.G.佐藤。
持ち前の打棒はもちろん、さまざまな意味で印象に残る選手だったと言えるだろう。
高木豊
出身:山口県
投打:右投左打
身長/体重:173cm/76kg
生年月日:1958年10月22日
ドラフト:1980年ドラフト3位
打率3割を何度もクリアした名選手・高木豊も、自費キャンプに突入した経験がある。
中央大学で大学日本代表に選出される活躍を見せた高木。攻守の両面で高い評価を得て、大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)に入団した。
入団3年目に打率.314をマークすると、同年から4年連続で打率3割をクリア。持ち味の俊足巧打で打線を牽引した。
長年にわたってレギュラーだった高木は、1992年に8度目となる打率3割をマークしたが、球団からはまさかのダウン提示。何度も保留を重ねて年俸調停にまでもつれた結果、球団提示よりも高い年俸額で落ち着いた。
しかし、翌年は打率.268にとどまると、若返りを図る球団方針もあって同年限りでチームを退団。最後は日本ハムファイターズでユニフォームを脱ぐことになった。
松中信彦
出身:熊本県
投打:左投左打
身長/体重:183cm/97kg
生年月日:1973年12月26日
ドラフト:1996年ドラフト2位
「平成唯一の三冠王」に輝いた松中信彦。プロ野球を代表する強打者は、自費キャンプを経て圧巻の数字を残した過去がある。
松中はアマチュア時代から打撃面を高く評価され、1996年のアトランタ五輪に出場。同年オフのドラフト会議で2位指名を受け、福岡ダイエーホークス(現:ソフトバンク)に入団した。
1999年からレギュラーに定着すると、2003年は4番として打率.324、30本塁打、123打点をマークし、打点王のタイトルを獲得。チームの日本一に大きく貢献した。
しかし、同年オフの契約更改では金額面で折り合いがつかず、交渉はキャンプイン後の2月中旬まで続く事態に。
なんとか契約を交わすと、翌2004年に打率.358、44本塁打、120打点と圧巻の数字で三冠王を獲得。改めてその実力を示すこととなった。
久保田智之
出身:埼玉県
投打:右投右打
身長/体重:181cm/95kg
生年月日:1981年1月30日
ドラフト:2002年ドラフト5巡目
阪神タイガースで活躍した久保田智之は、NPBのシーズン登板数記録を樹立したシーズンオフに自費キャンプを経験した。
滑川高校では「4番・捕手」として同校を初の甲子園出場に導いた久保田。常磐大学で投手に転向し、リーグ戦通算22勝を挙げる活躍を見せ、2002年ドラフト5巡目で阪神に入団した。
プロ3年目となる2005年には、史上最強と言われた「JFK」コンビの一員として、鉄壁のリリーフ陣を形成。2007年には驚異の90試合登板、55ホールドポイント(9勝46ホールド).防御率1.75という活躍を見せた。
しかし、同年オフの契約更改では、金額面で球団と折り合いが付かず自費キャンプに突入。最終的に希望額には届かなかった。
その後、2008年も69試合登板、2010年にも71試合に登板するなどブルペン陣を支える働きを続けた。
当時の起用法にはさまざまな意見があったが、久保田がフル回転の活躍を見せたことは、疑う余地のない事実である。
【了】