いよいよ16年振り、一夜限りの東京ドーム公演を開催するビリー・ジョエル。17年振りの新曲「Turn The Lights Back On」(2月1日リリース予定)も話題を集めるなか、自身初のヒット曲にして彼の代名詞となった「ピアノ・マン」の制作背景を振り返る。
ビリー・ジョエルが有名になるまでには長い時間がかかった。ロングアイランド出身の彼が地元のバンドで演奏し始めたのは1964年、わずか14歳の時だったが、最初にソロアルバムを録音する機会を得たのは1971年の『コールド・スプリング・ハーバー〜ピアノの詩人』だった。しかし、マスタリングの過程でミスがあり、完成したLPの曲のスピードが速くなり、ジョエルの声がとんでもなく高く聴こえるようになってしまう。このアルバムを初めて聴いたビリーは、レコードプレーヤーからアルバムを引き剥がし、外に飛び出して道に投げ捨てたという。
言うまでもなくアルバムはヒットせず、彼は荷物をまとめてロサンゼルスに引っ越すことにした。生活費を稼ぐため、彼はビル・マーティンという名でLAのピアノ・バー「エグゼクティブルーム」に6カ月のあいだ勤めた。彼のブレイクのきっかけとなった「ピアノ・マン」は、このバーでの短い滞在が神話化されている。彼がバーで出会った実在の人物にインスパイアされたこの曲は、コロムビア・レコードからの第1弾アルバム(1973年発表)のタイトル曲となり、シングルは全米チャートで25位を記録した。
「ピアノ・マン」のリリース後しばらくの間、ビリー・ジョエルは一発屋として歴史に名を残すように思われた。続くLP『ストリートライフ・セレナーデ』は多くの聴衆の心を掴めず、その次の『ニューヨーク物語』(Turnstiles)の結果も芳しくなかった。1977年の夏には、ビリーはもう終わりかと思われた。背に腹を代えられず、彼はニューヨークのレコーディング・スタジオにこもり、次作『ストレンジャー』の制作に全力を注いだ。そして、このアルバムが彼の人生を永遠に変えることになる。
それではビリーが1975年、BBCで「ピアノ・マン」を演奏したときの映像を観てみよう。
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