■山田唯可さんのプロフィール
1978年大阪生まれ。大学卒業後営業職に就く。29歳の時に、高校の同級生だった深井稔(ふかい・みのる)さんと香川県善通寺(ぜんつうじ)市へ移住。地域おこし協力隊として農業を学び2012年に独立。2020年より「深山(みやま)のキウイ」として直販をスタート。深井さんとともにお互いに畑を持ち、協力し合いながらキウイ専業農家として栽培と販売に取り組んでいる。
キウイ農家への道
山田さんはまさにゼロからの新規就農ですね。まずはなぜ農家になろうと思ったのか教えてください。
大学卒業後ずっとサラリーマンで営業職をしていたのですが、何となくこのままでいいのかなと思っていました。29歳(2007年春)の時、高校時代の同級生である深井が東京で同じく営業職をしていたのですが、仲間と飲食店をやるため脱サラして大阪に帰ってくると聞き、帰ってきたタイミングで飲みに行きました。
そしたらその飲食店が、予定より早く開店したもののすぐ廃業してしまったらしく落ち込んでて、そこで深井が「もう会社員に戻る気ないし、自給自足的生活でもやろうかと思う」と。でもそれはさすがに無理やろう、じゃあ「農業はどう?」なんて話になりました。
最初はそんな思いつきだったんですね。身内の方で農家がいたんですか。また最初から果樹ねらいだったのですか。
深井の祖父が農協勤めというのがあったんですが、そのくらいで。果樹もイメージはブドウ。なんとなく棚にぶら下がってるブドウだったら汚れなくてスマートかな、ぐらいでした。
それから男2人でブドウの観光農園に行って、行く先々で店主をつかまえ、根掘り葉掘り聞いたりしてました。その時によく言われたのが「起業資金に最低1000万円はかかる」でした。でも2人とも貯金がなく、どうしたらいいのかと。それでも私は仕事を続けながら、深井は深夜トラックのドライバーとして食いぶちを稼ぎながらリサーチを続けました。
その人見知りしない行動力は営業職で培われたのでしょうね。そこからどうやってキウイにつながるんですか。
2007年12月に大阪で新・農業人フェアがあって2人で行きました。そこで香川からキウイ農家(のちの師匠)が出展してまして、「キウイもブドウみたいに棚になるよ。よかったら見においで」と誘われました。
それで翌年の春に見学に行きました。その時に食べさせてもらった香川オリジナル品種の「香粋(こうすい)」というキウイがおいしくて衝撃を受けました。
そんな香粋ですが、普通のキウイと比べて小さい品種で選果基準が難しく、選果機もないということからその時点では師匠しか育ててなくて、販売も全量自分でやられてました。「もし私たちが育てたら師匠と3人だけですか?」と聞いたところ「そうや」という答え。これはチャンスだと思ったんですが、香川県でしかつくれないことが分りました。少し悩んだんですが、師匠に「移住してきたら作り方教えたる」と言われたので移住を決断しました。
半キウイ農家、半アルバイト
運命の飲み会からちょうど2年後に移住されたんですね。
師匠の圃場に見学に行った時に市役所の職員も同席されてて、本気で移住するなら応援すると言ってくれました。移住した2009年に地域おこし協力隊の制度がちょうどできまして、2人して地域おこし協力隊になり、師匠の元でキウイ栽培をイチから習いました。
分からないことだらけだったんですが、師匠がホントいい人で「日本一のキウイ農家になれるぞ」とか激励してくれて、研修期間の3年はあっと言う間でした。そして2012年に深井と私がそれぞれ独立しました。
一緒に法人を立ち上げるのではなく、それぞれが独立したのはなぜですか?
その方が後々もめないのではないかと思いそうしました。ただサイフは別々なんですが、共同作業も多く、開墾した畑もほぼ同じところなので周りから見たら共同経営だと思われているかと思います。
開墾したんですか? 果樹で新規就農の場合居抜きというか、第三者承継というイメージがあるのですが、まったくのゼロからのスタートだったんですね。
耕作放棄地を開墾して苗木を植えるところからはじめました。善通寺市の方で雑木などの伐採はしてもらったのですが、そのあと耕起するのも大変でした。
現在、どのくらいの農地でどんな作付けなのでしょうか。
深井と2人で総面積は3.5ヘクタールになります。パートを2人(の畑)で5人雇っています。内訳は「さぬきキウイっこ」が1.5ヘクタール、「香緑(こうりょく)」が1ヘクタール、残りは「讃緑(さんりょく)」「さぬきゴールド」「ヘイワード」です。「ヘイワード」以外はすべて香川県のオリジナル品種です。
メインで育てている「さぬきキウイっこ」は日本のシマサルナシと交配して育成した一口サイズ(通常の半分ぐらい)のキウイで香川県と香川大学が開発し2014年に品種登録されたものです。小ささが特徴的でファーマーズマーケットでも目を引きます。
果樹の特性として収穫まで年数かかるので、その間の収入がないという難点がありますが、そのあたりはどうでしたか。
キウイは収穫まで最低3年かかります。1年目は開墾や苗木の定植、棚づくりなどやることが盛り沢山でしたが、2年目から昼は農業法人へバイト、夜はチラシ配りのバイトをして、深井と「売れないお笑い芸人のようだね」とよく話をしていました。
でも最初から年数がかかるのが分っていたので、焦らずバイトすることで地域の人達となじめたのがよかったです。
経営が軌道にのるまでは、やはり苦労したのでしょうね。
キウイの伝染病や大雨被害などもあり本当に大変でした。そんな中、転機となったのは2020年です。それまでキウイの保管、販売は師匠にお願いしていたのですが、私たちの後に第3、第4の弟子が師匠のところに来て、師匠のキウイの保管施設に余裕がなくなりました。それを機に私たちの名前から一字ずつとって「深山のキウイ」を立ち上げ、自前の保管庫を用意し、販売も自社サイトで行うなど、自分たちですることにして完全独立しました。
独立したタイミングで、周囲のキウイ農家が引退するからとキウイの樹がある畑をそのまま居抜きで貸してくれるということが、3件続きました。それらの収量分が増えたこと、また直売での収入で安定してきました。
この連載でいろいろな人に取材させてもらっているのですが、新規就農して継続できている人はみんな、一生懸命やり続けているうちに周囲が認めてくれて助けてもらえています。山田さんも深井さんも頑張っている姿を見られていたんでしょうね。
将来に向けて
SNSを拝見していると「深山のキウイ」として、キッチンカーでのキウイアイスの販売や農家民宿の運営など、かなり精力的に活動されてますね。その原動力はどこにあるのですか。
私も深井も最初は「キウイで一発当ててもうけてやる」という意気込みでやってたのですが、経営ばかり見てると気持ちがどんどん苦しくなってきました。そこで2人で話して「いちど金もうけを忘れて楽しいこと、ワクワクすることを選んでいこう」と決めたんです。
そしたらパートさんがキッチンカー見つけてきてくれたり、民宿もやってみたいとなり、いろいろなご縁がつながってきて、ファンもつくようになりました。
心持ちが変わると現実もどんどん変わってくるんですね。
今は自分たちの売り上げだけでなく、キウイの魅力を広めたいと思うようになりました。そこでキウイに特化した「キウイの基(き)」というポッドキャストも配信しています。
先日の番組では、ベテランのパートさんである片山さんが自身の農園をもって独立するためのクラウドファンディングについて話していましたね。面白い取り組みだと思うので、詳細を教えてください!
昨年、子育て世代のパートタイマーであっても自分の農園が持てる仕組みを作りたいと、クラウドファンディングを実施しました。果樹なら副業としてもできるのではという実験的取り組みです。片山さんには自分の農園を持ちたいという希望があるので、水田跡地でキウイ栽培に挑戦してもらったりしています。これがうまくいけば誰もが気軽にキウイを育てるプログラムができるのではないかと思っています。
「深山のキウイ」の取り組みはすばらしいと思います。栽培プログラムがうまくいくよう願っています。本日はありがとうございました。