「911ST」への憧れを身にまとった車|ポルシェ911ロードレーサー、再びオンロードへ【前編】

かつてポルシェ911Sはアメリカ中のサーキットを席巻していた。そして今、伝説の万能レーサーたる「911ST」への憧れを身にまとったロードゴーイングモデルとして新しい命を得た。

【画像】サーキットで活躍した頃と、レストア後の現在の姿(写真5点)

「じゃあ、暖めておこうか」コーンウォールのポルシェ・スペシャリスト「ウィリアムズ・クロフォード」の片割れであるリチャード・ウィリアムズは、そう言ってキーを掴んだ。だが、オフホワイトの911のドライバーズシートに滑り込むのではなく、そのまま腕を伸ばしてキーを差し込んだ。次は後ろに回ってエンジンリッドを開け、機械式燃料ポンプの調整ノブを数クリック回し、リモート・スターターボタンを押し込んだ。

「もともとレーシングカーだったからね」とにやりと笑う間に、フラットシックスは咳き込みながら最初は4気筒、そして5気筒、最後に6気筒すべてに火が入る。「よし、大丈夫。あとは任せた。楽しんでくれ」

911STとは何者か

妥協なし、とはこのような車のことをいうのではないか。この1973年ポルシェ911Sは、その生涯の大半を中部アメリカのレーストラックで、コルベットやカマロを追いかけて過ごして来た。ほんの数年前まで、この車は二人のオーナーの下で典型的なアメリカン・クラブレーサーだった。”スノコ・ポルシェ”を彷彿とさせるダークブルーのボディにふんだんに使われたグラスファイバー製パーツ、しかし今や完全に公道走行可能であり、英国のレジスタープレートを持つホットロッドとしてゆく先々で注目を集める。それは今なお軽々と回るショートストロークのレースユニットを備えるだけでなく、ウィリアムズ・クロフォードによる長い時間をかけたレストアとモディファイのおかげで、何百万ドルもの貴重な車に見えるからだろう。

シャシーナンバー”9113301089”は、もともと911S2.4として1973年の4月にシュトゥットガルト工場から出荷された。2.4SはあのカレラRS2.7に次ぐものとして非常に人気の高いモデルだった。190bhpと159lb-ft(215Nm)を発揮する2.4Sは(RSは210bhpと255Nm)、当時としてはれっきとした高性能スポーツカーである。というよりも、公道上でSとRSの明確な違いを見極めるためには、恐ろしく飛ばさなければならなかったはずだ。もちろんRSはより強力なパワーとトルクを備えていたものの、実際のところ2.4Sも同じように痛快であり、そしてなにより現在では半分以下の値段で手に入れることができる。

カリフォルニアのオンロードで20年ほどを過ごした73Sは、その後、オハイオのブルース・ピケリングが手に入れる。ヒストリック・スポーツカーやプロダクションカーの様々なクラスが開催されていた地元のPCA(ポルシェ・クラブ・アメリカ)イベントに出場する競技車ベースとするつもりだった。「費用を惜しまず」とはよく聞く言葉だが、この車の場合、これ以上に適切な言葉はない。

まずは911Eのクランクケース、いわゆるショートストローク・シックスに66mmの鍛造クランクと89mmのシリンダー、そして鍛造ピストンを組み込んだ。これで排気量は2454ccに拡大、ヘッド周りには「ウェブカム」の906仕様のカムを使い、気筒当たり2プラグのための孔を穿ち(当時、ツインスパークシステムは実際には使われていなかったのだが)、吸気系は簡潔さとパワーの点では現在は2基のトリプルチョークPMOキャブレター(ウェバーIDAの現代版といえる)を選択するのが定石だが、その代わりにボッシュMFI(メカニカルフューエルインジェクション)システムを採用した。このエンジンが組み立てられた当時、PMOはまだそれほど一般的ではなく、人によっては充分に検証されていないとの意見もあった。「結局、MFIを選んだんだ。レースで活躍していたハリー・ペインが最善のチョイスだと教えてくれた。あの頃はPMOはまだ高価で定評があるとはいえなかった」とブルースは当時を振り返る。

車の他の部分も大きく改変された。前後のフェンダーはグラスファイバー製で、ドアや前後のリッドも同様、結果として”911ST”仕様にほとんど近いものになっていた。

「ところでそれは何のことだい?」という声が聞こえてくるようだ。それを説明しよう。1970年までポルシェは主に904や906、そして917といったレーシングカーをサーキット用に開発していたが、いっぽうで初期の 911はラリーでもなかなかの成績を残していた。たとえば1964年には開発エンジニアのペーター・ファルクとヘルベルト・リンゲはモンテカルロラリーで総合5位に入賞している。1967年ごろには911は手強いラリーマシーンとしての評判を獲得していた。あのヴィック・エルフォードとデイヴィド・ストーンは2リッターの911Sでヨーロピアン・ラリー・チャンピオンシップを手に入れたし、ヨーロピアン・ツーリングカー・チャンピオンシップではソビエスラフ・ザサダが弟分たる4気筒の912で王座を獲得、さらにはニュルブルクリングでの過酷な86時間マラソン・デラ・ルートでも総合優勝を勝ち取っている。

同じ年の末、ポルシェはライトウェイトで906(別名カレラ6)と同じエンジンを搭載した少量生産の911を開発した。ご存知911Rである。だが残念ながら911Rはその実力を本当に証明する機会を与えられなかった。モンツァで96時間耐久走行の新記録(平均130mph以上)を達成したことはあったが、他には目立った戦績はない。というのもホモロゲーションを取得できなかったために、ほとんどのイベントでプロトタイプとして不利な条件の下で出場せざるをえなかったからである。

その後の数年間、ポルシェは911をラリーと耐久イベントに絞って参加させていたが、それでも変化の兆しはうかがえた。1967年のル・マンにはプライベートの4チームが2.0Sで初出場、翌年も別の 4チームが同様に参戦。1969年には911は 7台にまで増加し、そのうちの一台(グループ 3の911TRと呼ばれた)は総合10位に入った。

1970年シーズンには、180bhpの2.2リッターユニットを積んだ最新型のSを投入、その進化の頂点が911STと呼ばれることになるモデルである。STのラリー仕様はスタンダードの2195cc180bhpエンジンを積んでいたが、サーキット向けは1mm拡大されたボア(2247cc)とツインスパークイグニッションを採用し、240bhpまで強化されていた。

その当時、実際に何台のSTが製作されたかについては正確に判断するのが難しい。プライベートチーム向けにポルシェによるキットが用意されており、彼らはスタンダードの911Sを完全なレース仕様に仕立て直すことができたからだ。それでも、ポルシェ社員にしてル・マン・ウィナーであり、レースカーの歴史家としても知られるユルゲン・バルトによれば、軽量ボディシェルを持つ15台のレースバージョンが作られたという。そのボディパネルの大部分は薄いシートメタルを使用し、さらに競技そのものに不必要なブラケットやマウントなどはすべて省略されていた。

ほとんどの車は大きくフレアしたグラスファイバー製フェンダー(もちろん太いホイールに合わせるため)を持ち、さらにフロントフードやリアリッド、バンパーなどもすべてグラスファイバー製でドアはアルミ製に交換されていた。さらにウィンドスクリーン以外のすべてのガラスはプレキシグラスに置き換えられた。ラリー用STは6×15および7×15のフックス製ホイールを採用していたが、レース仕様はフロントが同じくフックス製 7×15ながら、リアは9×15のミニライト製マグネシウムホイールを履いていた。こんな奇妙な組み合わせになったのは、当時フックスがポルシェの要求する幅のホイールを作れなかったからだと言われている。

最も有名なSTは、1970年のトゥール・ド・フランスに出場したジェラール・ラルース用の車だろう。車重はわずか789kg、工場から出荷された史上最軽量の911と言われている。エンジンは2395ccのロングストロークユニットで、何と8000rpmまで回って245bhpを発揮したという。

・・・【後編】に続く

編集翻訳:高平高輝 Transcreation:Koki TAKAHIRA

Words:Keith Seume Photography:Jonathan Fleetwood, John Slade and Porsche archives