◆ 初の投手コーチに就任
2005年に始まり、昨年も12月末に行われた“12球団ジュニアトーナメント”。横浜DeNAベイスターズJr.は全試合逆転勝利という激戦の上、見事に優勝を果たした。「思わず涙が出ちゃいましたね」と投手コーチとして指導にあたった古村徹は、すでに準決勝を勝ち抜いた時点で感涙が頬を伝っていた。
ことしのチームは、約680人の小学生から選ばれた精鋭16人で8月に結成。「いままでは土日どちらかの練習形式だったんですが、ことしは所属しているチームにもご理解いただき、土日両日ともマスト参加で練習に充てました。本気度が違いましたね」と日本一を獲る目標に向け荒波翔監督の元、厳しい練習を積んだ。
今年はじめて投手コーチを任された古村は「みんな各々のやりかたでセレクションを制してきた能力の高い選手たちですから、監督にも“できればフォームはいじりたくないです”とお願いして指導にあたりました。ミーティングでこの発言した時は凍りつきましたけどね」と苦笑いで回想する。
そこには「ぼく自身が色々な方の指導を受けて、混乱してしまったことがあったので。もちろん素晴らしいコーチングだったのですが、合う合わないもありますし、うまく自分で取捨選択ができなかったこともありましたからね。受け入れてくれた監督には感謝していますよ」と無名の公立高校からプロ野球の世界へ。その後育成に落ち、さらにバッティングピッチャーに転身しながらも、独立リーグで現役復帰し再びNPBに復帰と「だれも経験したことないでしょうね」と自らも頷く奇異な経歴を持つ男ならではの持論があった。
しかし「荒波さんも飛雄馬さんも監督、コーチとして経験のあるお二方に対して自分はコーチ未経験。普段から野球振興スクール事業部として親しく接していただいていますけど、今回はは距離感が違うなと感じていました」と新米コーチとしての立ち位置を模索した。そのうえで「どこまで踏み込んだコミュニケーションがとれるか、臆せず発言できるかがカギでした」とポイントを確認し「投手コーチとして今を、そして未来を守る立場なので、小学生と言えども1日2登板や過多になることはしない。型にはめるのではなく、選手たちがなりたい“選手像”に導けるよう一緒にサポートしていくことをターゲットに、投手目線で嫌われ者覚悟で発言していきました」と自らの信念を貫いた。
◆ 理想と現実の狭間
ただ思うように進まないのも野球の常。「なにより苦しかったのは投手陣に怪我が多かった事ですね。今大会登板した5人中4人が肩や肘のコンディション不良に陥り、長い選手は丸2カ月投げる事が出来ませんでしたから…土日しか練習できないなかで、指導法が悪かったのか、未然に防げなかったのか、何か見落としてなかったか、と考え過ぎて週末は寝付けない日々でした」と自問自答を繰り返した。さらに「実際荒波監督や飛雄馬コーチ、野手陣にも迷惑をかけてしまいました。ジュニアチームではピッチャーが本職ではない選手に投げてもらうこともありましたから…」と信念を貫いたことで、プレッシャーも倍増。ついには「コーチってこんなに難しいポジションだったのかと。現役の時は怪我してた側でしたので、お世話になったコーチ方たちには大変な思いをさせていたんだなと」と相手打者よりも己と闘い続けたプロ生活をもフラッシュバックし、鬱ぎ込む日々を過ごした。
◆ 苦しんだ者ならではの気遣い
それでも「自分が現役時代怪我で苦しんだときに培ったこと。ケアやトレーニングを落とし込みながら、寄り添っていけました」とフィジカルとメンタルの両面でサポート。苦しんだ者にしか分からない細やかな気遣いで、選手たちの心に訴えかけ続け「わたしも選手たちも復帰を、投球出来ることを信じて努力を続けました」と最善を尽くした。
ジュニアチームには、所属チームではピッチャーもこなしている面々も名を連ね、特に「サクッと抑えてベンチに帰ってくるんですよ。特に二世の2人は」とプロ野球で名を馳せた井端弘和氏の長男・巧くんと、小池正晃氏の次男・樹里くんも在籍。投手が不足している際には「井端Jr.はジュニアチームでも1、2を争う球速の持ち主で、小池Jr.は高身長から投げ下ろし2イニングをサクッと」と相手打者を封じ込んだ。ベイスターズジュニアでは互いに本職ではないポジション(ショート、ライト)を守りながらも、教えをすぐに吸収してプレーでも発揮「逆になにが出来ないんだよ!って思いましたよ」と舌を巻くほどのハイポテンシャルを見せつけた。
2人の存在もアタマに入れながら、中には投手として起用するかどうか、デッドラインを設けざるを得ない選手もおり「12月上旬からギリギリの中旬まで見送ってほしい」と監督に直訴。これに対して荒波監督も「『古村が投手で起用したいなら』と承諾していただいて。ほんとに目を瞑っていただきました」と指揮官の寛容さに感謝する。結果「逆にこの面々がいても投手起用を監督が即決しなかったということは、それだけピッチャーの層も信頼度も高かったんだなあと実感しましたよ。それでみんなが本大会のマウンドに上がる事ができて、さらには日本一を手に入れることができました。これは感激しますよね」と頷いた。
また井端Jr.と小池Jr.に話が戻り「本人やお父様方には、ピッチャーとして登板がなかった事をどう思ってたのか聞きたかったですけどね。でもNPBや代表の“指導者"が、この時ばかりは“パパ”として、柔らかな表情で前のめりで応援していた姿からするとどんな形でも良かったのかな、なんて勝手に解釈してます」と結果を残し、プレッシャーから開放された男は晴れやかな表情で笑った。
◆ 山﨑康晃からの祝福
ベイスターズJr.日本一の熱も冷めやまぬまま、新しい年の幕が開いた。
古村は従来のスクール事業部に従事しながら「新年の挨拶をして、さらに今年も頑張ってもらいたいとの気持ちから」と、年始早々ベイスターズでお世話になった選手や慕ってくる後輩のトレーニングに顔を出し、汗を流す日々を過ごしている。その中でもブルペン陣を中心として厚木で行われている自主トレのヘルプをした際「本大会、試合を重ねていく中でまた選手たちの成長がみえたね、ほんとに優勝おめでとう。俺と同じ19番を背負った子が見事な投球で。俺もチームも今年こそは!って思ったよ」と本番前にもジュニアチームにサプライズ激励を送った山﨑康晃から、熱い労いの言葉をもらった。
これには「ヤスさんの突然の言葉は素直に嬉しかったですね」と笑顔。思わぬ祝福に「投手、野手に限らず広い目で見て自分の引き出しにして、野球少年たちに、未来のプロ野球選手たちに落とし込みたい」と、現役選手から離れた今も変わらぬ探究心に、改めて火が着いた。
前回ジュニアチームが優勝した2016年、翌年トップチームは日本シリーズに進出。縁起の良いジンクスもあり「ジュニア日本一の波に乗って、勢い付いてもらいたいですね」とエールを送る古村徹。第2の人生も野球とともに時を刻み続ける男は、その裾野を広げるために歩みを止めない。
取材・文=萩原孝弘