仙台平野の農業を守り次の世代につなげる

宮城県仙台市にある農事組合法人仙台イーストカントリー。同社が農業を営む地域は仙台平野と呼ばれ、東北最大の平野として古くから稲作が盛んに行われてきました。代表の佐々木さんはボイラー整備士やJA職員を経たのち、1980年より専業農家に。その後、2008年に構成員8人で農事組合法人仙台イーストカントリーを設立しました。

仙台平野の様子

現在は、約70ヘクタールの栽培面積で10品種以上ものコメと大豆を栽培し、食堂やホテル、老人ホーム、幼稚園、JAへ出荷しています。また、生産だけでなく加工や農家レストランの経営にも取り組んでおり、自社のコメを使ったお弁当やお餅、大豆を使ったみそ作り、宮城の郷土料理であるしそ巻きといった商品を空港やスーパーなどに向けて製造・販売。「おにぎり茶屋ちかちゃん」という農家レストランでは、おにぎり二つに総菜、豚汁といったランチプレートを提供しています。

おにぎり茶屋ちかちゃん

同社は、多くの女性が活躍しているのも特徴の一つであり、理事13人とパート14人の計27人うち半数以上の17人が女性であるといいます。売り上げに関しても、生産部門よりも加工やレストランといった女性陣が中心となって動いている部門の方が多く、売り上げの半数以上を占めているそうです。

震災による被害とその後の歩み

3分の2以上の農地が被害に

2008年に設立した当初、38ヘクタールだった水田の面積は3年間で62ヘクタールに拡大。更に、みそ作りを開始するなど順調に事業を進めていました。そんな時、突如として襲ってきたのが東日本大震災でした。

佐々木さんは当時を振り返り、「機械類は全て流された。自宅も2階を除いては浸水。農業においても田んぼはがれきの山でコメ作りしている場合ではなかった」と語ります。

地震に伴う津波によって、トラクター、コンバイン、田植え機、精米施設は全て流され、46ヘクタールの農地が津波による被害を受けてがれきの山となってしまいました。残ったものといえば借金と16ヘクタールの水田、みそ蔵だけだったといいます。

当時の様子

みんなの思いを背負って

佐々木さん家族は、友人宅での避難生活をすることなりました。しかし、自分の中で何か柱になるものがないと崩れていきそうだと感じた佐々木さんは、無事だった自宅の2階にろうそく1本で1人住み込み、がれきの撤去や掃除を始めました。

当時は、農業どころではなく会社を解散させるしかないと思っていたといいます。しかし、段々と復興が進む中で、「地権者から農地を預かる身として存続させなくては」「避難生活で少しづつ食料が無くなる。秋に少しでも食料を取れるようにしなくては」という思いが強くなっていきました。ちょうどその頃、亡くなった知り合いの顔が夢に浮かぶようになり、何か訴えているかのように感じたといいます。佐々木さんはその意味を、無念や頑張れといった応援と感じ、みんなの分まで頑張ろうと腹をくくりました。

被害から逃れた16ヘクタールの水田があったので、内陸の方から苗をわけてもらったり、知人から田植え機を借りたり、市にお願いして補助金がでるまで資金を立て替えてもらったりしながら、どうにか稲作を始めていきました。

佐々木さんは「どうせ沈んだんだから、沈んだ力でもう一回浮き上がるぞ」という気持ちで無我夢中で突っ走っていたといいます。

震災後に起きた変化

佐々木さんと仲間たちは前に進むことを決めて動き出しましたが、地域の皆が同じ気持ちだったわけではありませんでした。何をしたらいいのか、など下向きな声が多かったといいます。

そこで、震災の影響を受けていなかったみそ作りの仕事があっていたので、地域の人たちにお願いすることにしました。すると、「家にいるより外で動いていたい」といった声が上がるようになり、皆がいきいきとし始めたといいます。

その延長線上にあるのが、現在の加工部門や農家レストランの経営です。地域の人たちに仕事する場を提供しようと、地域雇用の創出を考えてのことでした。

震災後、地域の農業の形も変化しました。農地は集約・集積が進み、効率の良い農業を営むことが可能となっていきました。生産者は個人から法人へと移り変わり、仙台イーストカントリーの背中を追うように、50ヘクタール以上の法人が七つ立ち上がったのです。

震災後に新たに始まった加工事業(仙台空港内の売店)

未来へつなげる経営戦略

順調だった経営から震災によりどん底へと落ちた仙台イーストカントリー。そこからはい上がり、震災前以上に成長を遂げた経営戦略について聞いてみました。

コメにおける多品種栽培

多くのコメ農家では、2~3品種のコメを栽培し、1週間から2週間のうちにまとめて収穫するケースが一般的です。

しかし、同社では、栽培品種を10品種以上に増やすことで収穫適期がずれるよう調整しています。そうすることで、栽培面積が増えてもライスセンターに頼ることなく、自社で乾燥などを効率よく回すことができるのです。また、収穫期間が短いと一度に多くのコメを収穫しなければならないため、それに対応できるような新しい機械の導入が必要となり、莫大な資金がかかります。しかし、適期をずらして収穫時期が長くなれば収穫を急ぐ必要もないといいます。

同社が多品種栽培を行う理由はそれだけでなく、消費者のこういったお米が欲しいといった細かいニーズにも応えることができるのだそう。

仙台イーストカントリーのお米

法人の中に核となる家族経営

同社では、会社の中に核となる家族が存在するようにしているといいます。代表の家族である佐々木家の5人と、設立メンバーの家族です。家族という核が会社の中心に存在することで、子供も小さい頃から農業に関わることができる。そして、子が農業に興味を持ち、大人になって会社に入ることで、会社内で次の世代が育っていくことになる。結果として、若い世代が農業を続けることとなり、会社経営の安定につながるのです。

最低条件として、家族の生活が安定するような収益をあげなければなりません。そうでなければ、子どもたちには農業はもうからない仕事として印象づいてしまい、外で働く選択肢を取る事になってしまいます。だからこそ、最低賃金ではなくしっかりとした金額を払えるよう経費を抑えたり利幅を増やしたりしなければいけないといいます。

佐々木さん

地域を守るべく、震災から立ち上がった仙台イーストカントリー。そして、これからは、50年後、そしてその先に続く農業を守るために走り続けるのです。

取材協力

農事組合法人仙台イーストカントリー