隠れ家を提供する以外の方法で検挙から逃れさせることを「犯人隠避(いんぴ)」という。それを誰かにさせることを「犯人隠避教唆(きょうさ)」という。交通違反・事故がらみのその裁判を、私はだいぶ傍聴してきた。以下の記事もそのひとつだ。
今回、また別の「うわあ!」な事件をご報告しよう。
■罰金10万円、謝礼5万円、日当1万円を払い…
東京地裁で「道路交通違反、犯人隠避教唆」の新件(第1回公判)を傍聴した。被告人は、年配のどっしりした紳士だ。立てた杖に両手を乗せ、被告人席に座っている。弁護人は2人。国選ではなく私選だろう。
裁判官が登壇して審理が始まった。事件の中身がだんだんとわかってきた。被告人は若いころに事業を始め、大きな企業に育てた。革新的なことに挑戦し、新聞で紹介されたりもした。以下、被告人を社長という。
3年前のある日、運転手を休ませて社長は自分でベンツを運転した。中央自動車道でオービスの赤いストロボを浴びた。制限速度は80㎞/h。ベンツは150㎞/h以上出していた。
困ったことに、社長は1カ月ほど前にもスピード違反で捕まっていた。そっちの違反点数を累積すると免許取り消し処分を食らってしまう。社長は歩行が不自由で、免取り処分は避けたかった。そこで、仕事の知り合い(以下、A男)を身代わりに立てようと考えた。
A男は金銭に窮しており、すぐに引き受けた。メガネをかけて社長になりすまし、高速道路交通警察隊へ出頭。オービスの測定値は153㎞/hだった。73㎞/h超過の違反だ。A男はまんまと赤切符を切られ、後日、略式の裁判手続きで罰金10万円を払った。その10万円と謝礼5万円と日当1万円を社長はA男に渡した。これで終わるはずだった。ところが…。
社長は持病の関係で大きな手術を受けた。入院中の病室へA男がやってきた。「身代わりの謝礼をもっとよこせ」と。社長は、病院への支払いに用意していた金を渡した。味を占めたA男は「マスコミに言う。警察に言う」と脅し、金を要求し続けた。社長はA男に対し、最終的には合計390万円を渡したという。
「もうこれはだめだ」。ついに社長はA男の要求を断った。自首しようと思った。が、病状は悪く、次の手術もあったりして、ずるずると月日が過ぎた。“金づる”に逃げられたA男は、酒の席でか友人に愚痴った。聞いた友人が警察に通報。警察から呼び出された社長は「正直ほっとした」という。
社長「大勢の方にご迷惑をおかけし、ましてや1人の警察官にはたいへんなご迷惑を…」
そう言って社長は法廷で泣いた。「1人の警察官」とは、身代わり出頭に気づかず切符処理してしまった警察官のことか。73㎞/h超過のスピード違反と「犯人隠避教唆」とあわせて求刑は懲役1年。被告人は贖罪寄付を100万円もしており、弁護人は執行猶予を求めた。
翌週、その判決を私は傍聴に行った。傍聴席は若い男女でほぼ満席になった。本件の前に「強制わいせつ未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反」の判決言渡しが入っている。色情事件は大人気なのだ。
そっちは、6歳の女児にナイフを突きつけて衣服を脱がせ、駐車場のクルマの陰に押し倒して覆いかぶさったが、住民に発見され未遂に終わったという事件だった。同種前科が複数あり、今回は懲役2年の実刑とされた。再び手錠と腰縄をつけられ、なんというか淀んだ目でギョロッと傍聴席を見渡した。
その言渡しが終わるや、若い男女はどどっと退廷。法廷内が閑散となったところで、社長が杖をついてゆっくりとバー(傍聴席の前の柵)の中へ入った。
裁判官「主文。被告人を懲役1年に処する。この裁判が確定した日から3年間その刑の執行を猶予する」
相場どおりの判決だ。贖罪寄付などしなくても、私選弁護人をつけなくても、同じだったろう。社長は裁判官と検察官に頭を下げ、杖をついて静かに出て行った。
■身代わり男の再審裁判も傍聴したら
東京地裁が入る庁舎には東京高裁と東京簡裁も入っている。半年後、東京簡裁の開廷表に「道路交通法違反」の再審事件を私は見つけた。うわお、超珍しいぞ。
傍聴して、もう腰を抜かしたね。あの社長の身代わりとして出頭、罰金10万円を払ったA男を、無罪にするため、検察官が再審を請求したのだった。そんなのに偶然遭遇するとは!
A男は、この再審裁判より前に「犯人隠避」の罪で罰金20万円の略式命令(略式の裁判手続きによる罰金の支払い命令)を受けたという。そのことについて不満そうに述べた。
A男「社長は私に一言も詫びをいってない。罰金20万円を苦しいなか払ったんで、半分持ってくれと言ったら断られました」
すぐに判決が言い渡された。
裁判官「主文。被告人は無罪」
再審無罪は「ラクダが針の穴を通るより困難」とか言われるが、それは被告人や弁護人が再審を請求した場合に限られる。検察官が請求すれば、めちゃくちゃスムーズに無罪となるのだ。
こうして、オービス身代わり出頭に関する刑事裁判の手続きはすべて終わった。社長はとんでもない人物に身代わりを頼んだね、と私は傍聴席で感じた。とんでもない人物でなければ、軽々と身代わりを引き受けたりしない、とはいえるかも。
文=今井亮一
肩書きは交通ジャーナリスト。1980年代から交通違反・取り締まりを取材研究し続け、著書多数。2000年以降、情報公開条例・法を利用し大量の警察文書を入手し続けてきた。2003年から交通事件以外の裁判傍聴にも熱中。交通違反マニア、開示請求マニア、裁判傍聴マニアを自称。