ミシェル・ンデゲオチェロ(Meshell Ndegeocello)の『The Ominichord Real Book』は2023年を代表するアルバムになったのと同時に、長いキャリアの中で数多くの傑作を発表してきたミシェルにとっての新たな代表作にもなった。
ジャズの名門ブルーノートからリリースされた同作には数多くのジャズミュージシャンが参加し、素晴らしい演奏を聴かせている。だが、このアルバムの凄さはそれだけではない。ミシェルはここに収められた曲に様々な文脈を込めている。それは曲名や歌詞、サウンドに様々な形で埋め込まれている。宇宙観や死生観を含めて、ミシェルの哲学のようなものが詰まっているとも言えそうなくらい壮大なものだ。
近年、両親を亡くしたことをきっかけにミシェルはアフリカ系アメリカ人としての自身と祖先への思いを強めていた。そんな思考を、彼女は音楽による壮大な物語の制作に向かわせた。そしてパンデミック中、ノンフィクション作家ビル・ブライソンから、西アフリカの文化人類学者マリドマ・パトリス・ソメの自伝、中国のSF小説『三体』まで幅広い本を読み漁り、脳神経やテクノロジーにまつわるドキュメンタリーにヒントを得るなど、あらゆる領域からインスピレーションを得ようとした。ミシェルはそこから「ギリシャやローマなどの西洋の物語とは違う、自分だけの新たな神話を作り出そうとした」と、このあとのインタビューで語っている。
音楽を介して神話や宇宙を表現するというのはまさに、サン・ラやアリス・コルトレーンといった先人が行なってきたことでもある。そしてミシェルは、新たな神話を語るために打楽器のビートを軸に音楽を奏でている。それはまさに彼女の起源でもあるアフリカにおける音楽の在り方であり、儀式のようでもある。ミシェルは『The Ominichord Real Book』において、最先端の技術と理論を駆使し、その音楽でスピリチュアルな物語を現出させ、ジャンルのみならず時代をも飛び越えようとしている。
僕(柳樂光隆)は前回のインタビューを終えたあとも、同作を聴き返しながら、もっと深く考察されるべきだと感じていた。そこでもう一度ミシェルに話を訊ける機会が舞い込んだ。このチャンスに僕は歌詞を掘り下げ、その言葉とサウンドとの関係を想像しながら、このアルバムをさらに深く理解するためのヒントを語ってもらえるように質問を考えた。ミシェルからは「事前に質問を送ってほしい」というリクエストがあったが、よりふさわしい回答を用意するために考える時間がほしかったのだろう。丁寧に言葉を尽くしながら、とても誠実に答えてくれた。
2023年を代表する傑作について、ここまで深く語っている記事は他にないはずだ。2月12日(月・祝)、13日(火)に東京、15日(木)に大阪のビルボードライブで開催される来日公演は言うまでもなく必見だが、その前にじっくり読み込んでもらえたらと思う。
―「Virgo」という曲のコンセプトについて聞かせてください。
ミシェル:アフリカ系アメリカ人にとって、自分の先祖を辿るのは本当に難しいこと。だから私は、自分で起源の物語を作ることにした。私の祖先が船から飛び降り、海を歩いて渡ってきたというようなストーリーを想像しながら、私自身の神話を描いたの。
―そのコンセプトで書こうと思ったのはなぜですか?
ミシェル:それは、私が人間だから。人間である以上、人は常に存在に関する問いを抱くものだと思う。なぜ自分はここにいるのか? 自分はどこから来たのか? そして特に、親がこの世からいなくなった時、人は自分の人生を、自分自身の存在を本格的に構築することになるから。
―インスピレーションになったものはありましたか?
ミシェル:もちろん。その時読んでいた本がそうだったと思う。『三体』という本。知ってる?
―はい、中国のSF小説ですよね?
ミシェル:そう。あと、私はその頃オリヴァー・サックス(脳神経科医/ベストセラー作家、2015年に死去)のドキュメンタリーも見ていた。そのドキュメンタリーの中で、彼は心がどのように働くか、特に音楽が脳の中でどのように機能するかについて語っているんだけど、ロックダウンの間、時間がたくさんあったから、私はただじっと座って、彼の話をたくさん聴いていた。
実は当時、私はミュージシャンとして限界を感じていた。だから、テクノロジーや宇宙に関する理論、自分が生きている世界について勉強したかった。そしてその過程で、自分自身でそれを創造したいと思うようになった。今は見てわかるように、戦争や宗教、そしてある種の哲学において、神話というものは崩壊しつつあるでしょ? だから、私は自分なりにそれについて考え、理解したいと思った。そしてその中で、私が唯一繋がりを感じることができたのは音楽だった。5人〜7人のミュージシャン、もしくはオーケストラがいれば、全員がシンクロし、与えられた曲によって一体化する。だから私の心は、音楽を通じて自分自身の宇宙観を、自分だけの神話を作り出そうとしたんでしょうね
―ちなみに、『三体』のどんなところからインスピレーションを得たのでしょうか?
ミシェル:存在、時間、空間といった現実に疑問を投げかけている部分。それともちろん、ストーリー全体からもすごくインスパイアされた。主人公と彼らの血統とのつながり、彼らの中で恐怖を通して受け継がれてきたもの。あと、私たちはみな、自分自身を教育すれば人生が楽になると思っているし、知識が大きな助けになると考えている。でもこの本の中を読むと、コミュニケーション能力こそがその答えのように思えるのよね。正確に思い出せなくて申し訳ないんだけど、本の中に、宇宙空間に生存するある存在とコミュニケーションをとっている場面がある。そして彼らの言語、そして彼らの哲学的理解には裏切りという言葉は存在しないの。それは、彼らがお互いの頭の中を読むことができるから。彼らのマインドは完全に解放されていて、彼らはそれを読むことでコミュニケーションをとっている。あの部分からもかなりインスパイアされた。もし私が天体を旅することができて、自分の精神的な部分を発展させることでもっと人と共感することができるようになったり、他人と繋がることができるのであれば、それをぜひ試してみたいと思った。
「Oliver Sacks - Musicophilia: Tales of Music and the Brain」
―「Virgo」の歌詞についても聞かせてください。宇宙に関するストーリーテリングが中心になっているこの歌詞で、なぜ「Virgo」(おとめ座)というタイトルをつけたのでしょうか。
ミシェル:それを説明するのは結構難しい(笑)。あなたはアルバム全体をすでに聴いてくれたの?
―はい、もちろん。
ミシェル:表面的な答えになってしまうけど、(アルバム最終曲「Virgo 3」に参加している)オリヴァー・レイクとマーク・ジュリアナと私は、三人とも乙女座なの。私はこの二人に本当に助けられているし、彼らを人間として尊敬している。そして、二人の創作プロセスはすごくオーガナイズされているんだけれど、それは乙女座の性格によるものだと思う。そこまで占星術を信じているわけではないけれど、乙女座にはそういう部分がある気がする。私の誕生日はマイケル・ジャクソンやチャーリー・パーカーと同じで(8月29日)、乙女座のシーズンは台風のシーズンでもある。それを考えると、なんだか乙女座にはエネルギッシュでパワフルな何かがあると思ってしまうのよね。まずはそれが一つ。
そして、「Virgo」というトラックの最大の特徴は、ドラムのパワーを表現していること。ボーカルが入った「バージョン1」には2つのドラムパターンがあって、ベースラインが全体をまとめている。そのベースラインのおかげで、ドラマーはさまざまなイマジネーションを異なるドラムパターンで表現できるようになっているの。それがこの曲での私のアプローチだった。ベースラインという土台の上で、ドラマーにもっと即興的になってもらう。私がベースラインを与え、彼らにはそれを基盤として自由に自分自身のリズムの旅をして欲しかったから。
―「Virgo」の歌詞には古い神話を思わせる表現が見られます。例えば、古代ギリシアの神話はインスピレーションになっていますか?
ミシェル:そういう神話は頭の中にはあったんだけれど、私は、同時にそれを頭の中から追い出そうともしていた。それはそれで素晴らしいストーリーなんだけれど、私は自分自身の新しい神話を作る必要性を感じていたから、これまでにない神話を探究したかったのよね。例えば、私はその過程で、一般的なものとは異なる宇宙論を持っているマドリマ・パトリス・ソメという東アフリカの作家を見つけたりもした。ギリシャとローマ、そして西洋の神話に関しては、もう十分な気がして。だから「Virgo」では、それらとは違う他のことを試したいという気持ちの方が強かった。
―マドリマ・パトリス・ソメはどんな人なんですか?
ミシェル:彼が子供の頃、宣教師がやってきて彼を連れて行き、彼はイエズス会士として教育された。でも彼は、彼の家族と一緒に過ごすことを許され、その中で祖先崇拝に近い彼の宇宙論を研究したの。そして私は、それを理解したかった。私がそうしたくなった理由が、自分が歳をとったからなのか、今生きているこの時代がそうさせたのかはわからない。でも、祖先崇拝はとても興味深いもので、先祖が生きていた時にはできなかったような会話を彼らと交わすことができるのよね。私は、瞑想の一種としてそれを経験しているような気がする。今、私は祭壇にいる両親と、カオスになることなく一緒に長い時間を過ごしている。それによって、両親が生きていた時にはできなかったような会話を今、自分の中で両親と交わすことができているの。
マリドマ・パトリス・ソメ『ぼくのイニシエーション体験―男の子の魂が育つ時』(築地書館)
―興味深い。あとで探して買ってみます。
ミシェル:ぜひ読んでみて。もちろん今回のレコードを作るにあたって私は色々なものからインスピレーションを得ているけれど、制作中はそれを意識しているわけではなく、今語っていることはすべて後知恵。でも、今回の質問を事前に見せてもらって、何にインスパイアされたのか考え、それを見つけようとしたの。サン・ラも、素晴らしい疑問を投げかけてくれた一人だった。もしよかったら、私はサン・ラへのトリビュート・アルバムにも参加しているんだけど、そのレコードも聴いてみて。楽しんでもらえるはず。「Red Hot」のサン・ラのレコード。できるだけ自由であろうとする創造性という点で、彼からは音楽的に本当に多くのことを学んだ。でも彼は、神話が私たちにもたらしたものを見てみよう、とも話している。つまりそれは、自分たちに与えられたものに目を向けながら、同時に自分自身の声を見つけることも大切ということ。だから私は、自分なりのやり方で自分自身のマインドと心の声に耳を傾けようとしているの。
ミシェルが2曲目に参加したトリビュート作『Red Hot & Ra : SOLAR』(2023年)では、シェニア・フランサ、チガナ・サンタナなど気鋭のブラジル音楽家たちがサン・ラの作品を再解釈している
―「Virgo」以外で、このアルバムの中でサン・ラをリサーチしたことで得た影響が強く反映されている曲はありますか?
ミシェル:それに関しては、「Virgo」に勝るものはないと思う。特にオリヴァー・レイク(70年代にNYのロフト・シーンを牽引した81歳のサックス/フルート奏者)が参加した「Virgo 3」。私はあの曲をサン・ラとマーシャル・アレン(1993年からサン・ラ・アーケストラを引き継いで率いてきたサックス奏者)へのオマージュのようなものにしたかったから。そして、あの曲をライブで演奏すると、すごく解放されるの。だから、自己表現と即興を広げていくための出発点としてあの曲を使うことが多い。ライブを観に来てもらうとわかると思うけど、あの曲を演奏し始めると、サウンドがどんどん変化して違うものに進化していく。そのあたりは確実に、ソニー・ロリンズやサン・ラ、ローランド・カークに対する私の愛にインスパイアされたものだと思う。即興的なホーン・プレイヤーたちはみんな、飛び立つための土台を探している。私はそこにも影響を受けている。
サン・ラ・アーケストラによる2018年の演奏。サックス奏者がマーシャル・アレン
―前回のインタビューで、マーシャル・アレンと話す機会があったと言ってましたよね。彼とのエピソードをもう少し聞かせてもらえますか?
ミシェル:「私は自分の幸福のため、自分のウェルビーイングのために音楽を演奏するんだ」というマーシャル・アレンの言葉が大好き。そのために、ドラッグやセックス、名誉や富を得ようとする人たちもいるけれど、彼は音楽こそがパワフルなエネルギーであり、音楽はそれ以上のものをもたらしてくれると考えている。私も、それを本当に感じるようになってきた。この言葉を聞いてからサウンドをもっと尊重するようになったし、音楽の才能を尊重するようになった。それが私が彼から得た一番大きなインスピレーション。自分のやっていることのパワーと目的を理解するというのは、すごく深いインスピレーションだった。
最先端テクノロジーとスピリチュアルな物語
―次は「Virgo」のサウンド面ですが、この曲は中間部分を挟んでかなりサウンドが変わりますよね。ドラムのテクスチャーやリズムパターンが変わることで、ムードも大きく変化していく。サウンドと歌詞、この曲が描いているストーリーの関係について聞かせてもらえますか?
ミシェル:「Virgo」には3つのセクションがあって、最初のビートはクリス・ブルース、2つ目のビートはエイブ・ラウンズ、3つ目のビートはディーントニ・パークスが担当してくれている。各セクションで大きな変化が起こっているのは、それぞれのドラマーたちの力によるもの。最初のバートのドラムは、実はギタリストのクリス・ブルースによって書かれたもので、そのまま彼がプレイした。うまく説明できないけど、ライブで見るとわかるように、とにかくドラマーが持っているコントロールの力ってすごいの(笑)。クリスは西アフリカの音楽が大好きだから、最初の3分でリスナーはそれを感じると思う。
そして2つ目は、マスター・パーカッショニストのエイブ。彼が作り上げた、最初の3分からガラッと雰囲気を変えてくれるあのフィーリングは本当に素晴らしい。彼に影響されて、私もベースラインを変えたくなって、曲がもっと変化するの。
そして終盤にかけて、ディーントニがさらにマジックを生み出してくれる。その上からジュリアス(・ロドリゲス)が即興を乗せ、何が起こっているか頭のどこかではわかっているけど同時にすごくトリッキーなリズムが作り出される。シンプルに聴こえるけどかなり複雑で、あのパートはディーントニ以外にプレイできる人がまだ見つかっていない。それくらい特徴的なフィーリングが作り出されるということ。
私はこの曲で、そこまでの変化をもたらすことができるそれぞれの力を見せたかった。ビートを身体で感じることができるほどの電波を作り出すことができると示したかったから。ヒップホップやトラップ、ジャズにおいて、パーカッションという基盤がどれだけその空間のエナジーを、全てのフィーリング変化させることができるかを人々は十分に理解していないと思う。その力は、とてつもなくパワフルなのにね。
エイブ・ラウンズ(Dr)は2月のミシェル来日公演にも参加予定。写真は2022年11月にビルボードライブ東京で開催されたピノ・パラディーノ&ブレイク・ミルズ来日公演より(Photo by Masanori Naruse)
エイブ・ラウンズ、ディーントニ・パークス(Dr)、クリス・ブルース(Ba)が参加したパフォーマンス映像
―この曲は「アフリカから運ばれてきた奴隷が船から落とされる」光景を奴隷側の視点から描いていると資料に書いてありました。曲の前半では「人間が海に落とされる生々しい音」、後半では「落とされた奴隷たちが天国もしくは宇宙に上っていくようなファンタジックな音」を感じましたが、その読みについてはどう思いますか?
ミシェル:それは確実にあると思う。あと、ビル・ブライソン(ノンフィクション作家)の本は知ってる? 私は彼の著作が大好きなんだけど、彼が残している言葉に、「あなたが死ぬ時、基本的にあなたの原子は分散して他のものになる」というのがあって、それは解剖学的に言うと、人は分解され、その原子が私たちを作っているという意味なの。分解され、星屑や木々になり、私たちと私たちの世界を作り出す基になっている、と彼は言っている。私は、そっちの方が天国と地獄よりもずっと面白いと思った。
最初は、あなたが言ったように海のことをイメージした。私は海での死を想像した。「それってどんな感じなんだろう?」って。肺が水でいっぱいになるってどんな感じなのかなんて、生きている私たちにはわからない。そんな感じで、最初は海のことを考えていた。エイブのパートでは、彼がいかに彼の先祖代々の遺産に忠実かが伝わってくるでしょ? 彼はフィジー出身で、彼の先祖はキャプテン・クックの船に乗せられていた奴隷だった。そこで、彼の曽、曽、曽祖父は(海に)食べられそうになったんだけど、彼は逃げ出した。あのパートでは海から逃げ出し、陸を見つけてそこに上陸するような場面が表現されていると思う。(魚の)ヒレから足に変わっていくような感覚。そして、次のディーントニのパートでは、まさに星の間で起こっていることが表現されている。彼は大学で「テクノセルフ」と呼ばれるものを教えている。ディーントニは人間のドラムと機械のドラムをどう融合させるかを研究しているから。
「Virgo 3」でのマーク・ジュリアナとオリヴァー・レイクのバージョンでは、彼らは存在しない時間のようなものを作り出していると思う。恒星でもなく、地球でもない、完全に行き場のない時間。すごく特別に感じるし、私にとっては、もう一つの肉体のように感じられるのよね。第三の身体というか。彼らは、あの曲で別の次元を作り出しているように感じる。
『人類が知っていることすべての短い歴史』(ビル・ブライソン著、新潮社)
ディーントニ・パークスによる人力+機械の融合パフォーマンス
―「Virgo」を何度も聴いていたら、あるときパッとさっき言ったような画が浮かんだんです。でも、僕が思っているよりもずっと豊かで深い情景の曲だったんですね。
ミシェル:それがイメージと音楽の力の違いだから。本を読んだり、映像中心のものを見たりするのとは違って、音楽は自分自身でイメージを作り上げることができる。私はとても聴覚的な人間。だから、音でも視覚的なコミュニケーションができるということをみんなに伝えたいと思ってる。私の場合、音を提供すれば、伝えたいものを絵にする必要はない。
今、(Zoomの)チャットにビデオを貼ったから見てみて。クリス・シーリとコーリー・ウォン、ルイス・ケイトと一緒に「Virgo」を演奏したんだけど、全く違う作品に感じられるから。それこそが、私が持っているアイディア。他の人がプレイした時に、それが彼らのものになるような曲を私は作りたい。(私の曲を)自己表現のためのツールにしてほしいから。
「Virgo」を演奏するのは1:24:20〜
― 「Virgo」ではブランディー・ヤンガーがハープを弾いています。ここでのハープの役割を聞かせてください。
ミシェル:私のお気に入りのレコードの一つはスティーヴィー・ワンダーの『Rocket Love』。彼の作品のアレンジャーを担当した今は亡きポール・ライザーは、私の2枚目のアルバム(1996年作『Peace Beyond Passion』)でもアレンジを担当してくれた。有名ではないけれど、テンプテーションやスティービー・ワンダーの例があるように、R&Bではハープはそこそこ知られていた楽器だった。ハープってすごくマジカルな楽器だと思う。私はアリス・コルトレーンが大好きで、彼女はスピリチュアルなガイドのような使い方であの楽器が持つパワーを私たちに見せてくれている。
そして私は、ブランディー・ヤンガーの大ファンでもある。彼女は最高のミュージシャンだと思うし、彼女とはぜひノース・シー・ジャズ・フェスティバルでプレイしてみたい。だって彼女は、唯一無二の即興ミュージシャンだから。そして彼女も、その空間のムードを変えることができるミュージシャンであり、本当に魅力的な雰囲気を作り出してくれる。だから私は彼女を選んだ。
音楽がもたらす「新たな次元」
―もうひとつ気になる曲があります。それは「The 5th Dimension」なんですが、まずはこの曲のコンセプトについて聞かせてください。
ミシェル:これは元々、ジェイク・シャーマンとエイブ・ラウンズが書いた曲。それを聴いた時、私はこの曲には何かマジカルなものがあると感じた。彼らは二人とも20代。私は20代じゃないから彼らが歌っていることに完全には共感できないかもしれないけど、何か通じるものがあって、違う表現の仕方であの曲を歌いたいと思った。
ジェイク・シャーマン(動画の右側)とエイブ・ラウンズは「Jake and Abe」としても活動
ミシェル:その後、クエストラヴの映画『サマー・オブ・ソウル』を観ながら、フィフス・ディメンション(The 5th Dimension)を初めて観たとき度肝を抜かれたのを思い出した。その流れで、私が見たのが『ヘアー』。当時、私はまだ子供で、あの作品を見た経験は自分の人生を変えたと思う。私はそこからミュージカルやシアターにハマり始めた。人々が一緒になって歌っている姿がすごく気に入ったから。
そして、コロナが終わってみんなでスタジオに再び集まった時、私はあの(『ヘアー』を観た)時に感じたものを思い出した。グループの絆のようなものをより強く感じたし、自分がいかにエイブやジャスティン・ヒックスと歌うことが好きかを再確認した。だから、私たちをまとめるにはマルチボーカルが必要不可欠だと思った。それに加えて、私はブライアン・イーノの大ファンでもある。彼もクワイアが大好きなことで知られているけど、声を合わせるというのは、ソロで歌うのとは全然違って、作品に新たな次元をもたらすと私は思う。
フィフス・ディメンションが1969年に発表したシングル『Aquarius / Let the Sunshine In』は、1967年初演のロック・ミュージカル『ヘアー』の最初と最後の曲のメドレー
―なるほど。
ミシェル:話が長くなったけど、まず私が彼らの曲を借りて、言葉を変えて出来上がったのがこの曲。私がこの曲で歌っているのは、自分自身に対する謙虚な愛を見つけることについて。それがジェイクとエイブがこの曲で言おうとしていることだと感じたから。エイブの一番好きなところは、彼は私よりも30歳も年下なのに、私と同じくらい音楽経験があるところ。彼は6歳から演奏しているから、もう30年近く演奏経験があって、私なんかよりも70年代や60年代、50年代の音楽に詳くて、知識が豊富。彼の音楽も、言葉で説明できないくらい素晴らしい。そしてエイブは、私が大好きなドラマーの一人、ピーター・アースキンとも一緒にプレイしてる。彼のことは、私が14歳か15歳の時にウェザー・リポートのライブで観たんだけど、それも私の人生を変えた経験の一つだった。この曲で私たちがサンバ・ビートっぽい要素を入れているのは、ピーター・アースキンへの尊敬の念を示したかったから。
「The 5th Dimension」は、私を変えてくれた全ての音楽への感謝の曲でもある。ジェイクもそうだし、フィフス・ディメンション、ピーター・アースキン、ウェザー・リポートもそう。そして、今回のレコードをプロデュースし、アルトもプレイしてくれているジョシュ・ジョンソンも。
それから、この宇宙で最も偉大な作曲家の一人、ウェイン・ショーターもその一人。この曲は、もう一つの「Virgo」みたいなもの。正直サックスに関しては、他にも多くの素晴らしい奏者がいると思う。でも作曲家として、あんなに素晴らしいメロディとリズムを書くことができる人は他にいない。あの曲で、私はそのスピリットを作り出そうとしている。リスナーをどこかに連れて行ってくれるような「5次元」をね。あの曲を何度かライブで演奏したんだけど、自分の身体を抜け出したような感覚になった夜が実際何度かあったの。あのグループボーカルの部分に入った瞬間にそれを感じた。私たちはこの曲で、そういう空間を感じることができるフィーリングを作り出そうとしている。
―『サマー・オブ・ソウル』の感想を、もう少し詳しく聞かせてもらえますか?
ミシェル:あれは絶対に見た方がいい。あの作品は全ての人のためにある作品。みんなが見たことのない世界のあらゆる場所で行われたショーのアーカイブが詰まっている。その中でも私がベストだと思ったのは、スライ・ストーンとフィフス・ディメンションのショー。彼らはボロボロの古いサウンドシステムでプレイしているんだけど、あれを見れば、マシンやループ、ボーカルピッチングがなくても素晴らしい演奏をすることができるとわかる。ただただ、本当に素晴らしい作品だからぜひチェックしてほしい。スティーヴィー・ワンダーやマックス・ローチも出てくるしね。
―『サマー・オブ・ソウル』のフィフス・ディメンション出演シーンは僕も感動的だと思いましたが、あなたはどういうところに感動したんですか?
ミシェル:グループボーカルの素晴らしさ。私のバージョンでも、私、ジャスティン、ジェイド(・ヒックス)、ケニータ(・R・ミラー)、エイブが一緒に歌っているけど、それが合わさり、まるで一つの完成した声のように聴こえるはず。どの声が私で、どの声がジャスティンかなんてわからない。それくらいみんなの声が一つにまとまっている。「Hole In The Bucket」も同じ。色々なアイディアを形にできるのは、やはり人間ならではだと思う。
『サマー・オブ・ソウル』からもそれを感じた。スライ・ストーンのバンドだって一人一人の人間が集まって出来たものだし、それが機能しているのは、彼らが見事にシンクロして一緒に演奏しているから。彼ら一人一人が、それぞれに役割を果たしている。その光景は私に謙虚さの力について教えてくれた。たくさんの名手が揃っているのももちろんすごいけれど、最高のバンドというものは、一人一人が自分の役割をきちんと把握しているんだと思った。音楽作りも同じ。みんなが見事にまとまっていれば、リスナーは自分の注意を分ける必要がなくなるでしょ? 注意散漫にならず、バンド全体の音楽を聴くことができる。あなたがローリング・ストーンズを好きかはわからないけど、ローリング・ストーンズがグループとしてあんなに素晴らしく機能しているのは、それぞれが機械のようにうまく組み合わさって動いているからだと思う。誰もが自分のパートがどのように機能するかを正確に理解していて、説明のつかない完全な一つの大きなイメージを作り出している。ジェームス・ブラウンのバンドだってそうだし、10人を超えるメンバーがいるバンドはみんなそう。あんな大人数でも上手くいくのは、全員が謙虚だから。謙虚でいれるってすごく貴重なこと。私も昔は嫌な奴だった(笑)。西洋社会って、ある意味で人間をアグレッシブにしようとするから。でも私は、謙虚でいることがいかに音楽に影響するかを今、まさに学んでいるところだと思う。
―『ヘアー』に関してはどんなところに惹かれたんですか?
ミシェル:あのミュージカルはすごく複雑で、人種や階級、自由というアイディアをテーマにしている。でも、それは後知恵に過ぎないから、この質問にちゃんと答えるためにはもう一度あの作品を観てみる必要があると思う。私はまず映画版(1979年公開)を観て、そのあとにブロードウェイ版を見たんだけど、私はブロードウェイ版の方に感動したから。その理由はこれまで話してきた内容と同じで、アンサンブルキャストによる物語だったから。そしてそれは、またギリシャ神話や全てのエンターテインメントの話に繋がってくる。その全てが、オーディエンスがいて、プレイヤーたちがいて、支配や政治が絡み、オーディエンスが自分自身を重ね合わせることができるような物語を語ろうとしているでしょ? 私が『ヘアー』から得たものは、私たちはみな、自分自身でありたい、時代精神に支配されることなく自由でありたいと願っているということ。この世はたくさんの時代精神で溢れているから。
『Lo And Behold(LO: インターネットの始まり)』っていうドキュメンタリーは観た? ヴェルナー・ヘルツォークの監督作。『ヘアー』では、自由というのは、自分の好きな格好をするとか、好きな愛し方をするとか、自分がしたいことができるとか、そういう種類のものだった。でも『Lo And Behold』を見たあと、私は『ヘアー』のそれが時代遅れの自由だということが理解できた。そういう自由は今や詐欺で、維持できるものじゃない(笑)。だから今、私はそういった自由よりも、事実に基づいた知識へアクセスする方法を探すようになった。事実に基づいた知識こそが、今の私が抱いている疑問に答えてくれる。自由よりも、私はそっちの方に興味を持っている。だからこそ、5次元のような空間を求めているの。それは私の心の中に存在するものだし、事実に基づいた情報を持つ空間だから。
私は、できるだけ音楽をたくさん作ろうとしている。今、子供たちの面倒を見る必要がない時は、常に音楽制作に時間を費やしている。その理由は、音楽を作っている時間は、自由からは得られないような集中力を得ることができて落ち着くから。自由って、自分をオンラインにさせたり、お酒を飲ませたり、ドラッグをやらせたりもするでしょ?(笑)でも私は、そうじゃない他のものを見つけようとしているから。
―先ほど曲名が挙がった「Hole In The Bucket」は、ハリー・ベラフォンテとオデッタも歌っていた民謡を参照していますよね?
ミシェル:ジャスティン・ヒックスがその民謡をアレンジして、私たちで少し言葉を変えて、それから私がサウンドを加えた。このアイディアはジャスティンから生まれたもので私はあまり語りたくないから、レコーディングのことと、この曲から私が感じることについて話をさせてほしい。この曲を聴くと、私は哀愁を感じる時もあるし、外に出て戦う準備ができたような気分にもなる。だからきっと、自分がその時どんな感情を抱いているかで伝わってくることが変わるんだと思う。
サウンドに関しては、彼があの息の音を作って、彼の身体を叩いてサウンドを作っているんだけど、それをそのままレコーディングした。彼が身体を叩く音と彼の呼吸をレコーディングして3つくらいループを作ったところから始まったから、私はあの曲を人間味のあるサウンドに仕上げたかった。特に、私たちは普段たくさんコンピューターや機械を使って音楽を作っているから。でも、ジャスティンにはそれを使わなくても素晴らしい音楽を作る才能がある。彼と私は今、彼のアルバム制作の作業をしているところで、そこでも彼はそれを証明してくれている。彼も私たちと一緒に日本に来るんだけど、3曲は彼一人で演奏してもらう予定。彼って、それくらい電子機器なしで素晴らしい演奏ができる人だから。『三体』に通じるものがあると思う。キャビネットに閉じ込められたときに、できることは本を読んだり数学の練習をすることだけ。私がジャスティンと一緒に過ごす時間はそれと似ていて、ジャスティンと一緒に座っていたら、楽器もコンピューターも使わずに何かを作り出すことができる。それは、今回のレコード全体の原動力でもあったと思う。私はアルバムの曲をコロナ禍に書いたんだけど、その期間、私はコンピューターを使いたくはなかった。スクリーンを見てそこから得るものではなく、自分自身の頭と心の声を聴いて、それを元に音楽が作りたかった。
長くなったけど、とにかく、「Hole In The Bucket」はジャスティンの身体で作られた曲。ハリー・ベラフォンテなら、この曲は昔の奴隷の歌、労働の歌だと言うでしょうね。でも私たちにとっては、誰が歌うかによって込められている想いも変わり、様々な意味を持つようになる曲。表現者のエネルギーの意図によって放たれるもの変わる。私自身はこの曲を聴いて、時々悲しくなる。なぜなら、彼は紙切れが私の望みを叶えてくれないと言っているから。それは私にとってとても奥深いこと。そして私は、アメリカの有色人種として、優しさを法制化することはできないということ、人々が思慮深くあることを法律で規定することはできないことも学んできた。だから、この曲を聴くと悲しくなる。でも時には、さっきも言ったように、ただ世界に挑んで、愛に溢れたいと思う時もある。つまり、自分の心の状態によって感じることは変わるということで、この曲がどういった内容なのかを限定して説明することは出来ない。ただプロダクションとしては、私が望んでいるのは、「彼らが身体から発する声のハーモニーに耳を傾けてほしい」ということ。そして自身の身体を使って何かを表現しようとしているジャスティンに耳を傾けてほしい。それこそが贈り物であり、それこそが富だから。
ミシェルの右隣がジャスティン・ヒックス
―このアルバムに収録された曲の歌詞に共通していることってあると思いますか?
ミシェル:きっとあるとは思う。でもそれは、リスナーの解釈によると思う。それこそが音楽の素晴らしさだから。みんながそれぞれ、自分が思うように解釈することができる。そしてネットで、自分以外の人がどんな解釈をしているのかたくさんの情報を見つけて、それについて考えることもできる。私はみんなに、それぞれ自由に内容を解釈してほしい。私たちが作ったものを、好きに広げていって欲しい。
昔、私の「Outside Your Door」という曲があって(1993年)、ブライアン・マックナイトがその一部を(無断で)使って彼の曲を作ったことがあった(1997年の「Anytime」)。そして人々は私に「なぜ彼を訴えないの?」と言ってきた。でも私にとって、それは言葉に出来ない精神的なもの。私自身も、常に新しいアイディアを思いつくけど、それは心の中で聴こえてくる音楽が元になっている。太陽の下にあるもので、新しいものは何一つないと私は思う。
ミシェル:私も、カーティス・メイフィールドのアイディアを受け継いで音楽を作ったり、ドロシー・アシュビーやジェームズ・ブラウンのレガシーを受け継ぎたいと思ってるし、彼らが残した原子を使って、他のものを作っている。私は多くの伝統の一部に過ぎず、先祖を振り返り、それを私の手で未来に繋げているだけ。これから完成するジャスティンのレコードも、エイブのレコードも、これから私がプロデュースする予定のイマニュエル・ウィルキンスの作品も、全てこれまで存在してきた素晴らしいアーティストたちのレガシーを元に作られている。例えばイマニュエル・ウィルキンスの作品からは、ウェイン・ショーターやモーツァルトの作曲、ゴスペルやクラシック音楽の教育法といった要素が昇華しているのが感じられるはず。私たちはみな、互いの存在の上に成り立っている……あ、サウンドチェックがあるからもう行かなきゃ。
―ギリギリまでありがとうございました。
ミシェル:こちらこそありがとう。また2月に会いましょうね!
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ミシェル・ンデゲオチェロ来日公演
2月12日(月・祝)、13日(火):東京・ビルボードライブ東京
2月15日(木):大阪・ビルボードライブ大阪
ミシェル・ンデゲオチェロ
『The Omnichord Real Book』
日本盤限定ボーナス・トラック収録