「1999年にはマニュファクチャラーズ選手権を制し、2000年には21年ぶりにドライバーズ選手権も獲得した。20世紀最後の、そして21世紀最初のチャンピオンシップを獲得したのだ。私はこれをF1らしいマシンで祝いたかった。そしてこの車こそが創立者の名前を称えるのにふさわしいと思ったんだ」- ルカ・ディ・モンテゼーモロ、フェラーリ社長。
【画像】超希少なカラー、ネロ・デイトナで仕上げられたフェラーリエンツォ(写真11点)
2002年の夏、エンツォが発表されたのは、ミハエル・シューマッハがその年のF1ドライバーズ選手権で3年連続3度目のチャンピオンを獲得したときだった。ドイツのスーパースターとなっていたシューマッハはエンツォの開発に大きく貢献し、ドライブフィーリングを洗練させるために多くの貴重な意見を提供していた。
エンツォにはF1由来のテクノロジーがふんだんに盛り込まれている。電動油圧式6速マニュアルトランスミッションは、すでに他のフェラーリにも搭載されていたが、さらに洗練され、150ミリ秒という電光石火の速さで変速比を変える。カーボン製ブレーキディスクは長年F1の標準装備であったが、エンツォのカーボンセラミックローターは市販ロードカーとしては "初 ”のものであった。
また、現代のほぼ全てのスーパーカーにダブルウィッシュボーン・サスペンションが採用されているが、エンツォではレーシングカーのようにプッシュロッド式のショックアブソーバーが組み込まれている。さらに、1990年代後半からレーストラックでの使用が禁止されたスカイフック・アダプティブ・サスペンションを採用し、もはやF1マシンを凌駕していた。
カーボンファイバーとケブラーだけで構成されたモノコックのシャシー・タブは非常に剛性が高いのだが、アダプティブ・サスペンションに必要不可欠な剛性だった。
当時、ピニンファリーナのデザイン責任者であったケン・オクヤマがデザインしたエンツォは、F1マシンには見えないかもしれないが、モータースポーツの最高峰カテゴリーで開発されたエアロダイナミクスの恩恵を受けている。例えば、1970年のティーポ512のように、ドアは上方から前方に向かって開く。エンツォのインテリアは、これまでのフェラーリのロードカーよりも機能的で、レザートリムとカーボンファイバーパネルが組み合わされていた。ステレオシステムさえなく、オプションで選択することができたエアコンは、快適性を追求する唯一の譲歩だった。
エンツォのエンジンルームには60度V型12気筒が搭載されているのだが、フェラーリの創始者の名を冠したモデルとして当然の選択であったと言えよう。気筒あたり4バルブ、可変バルブタイミング、可変インテークトランペット(後者もF1から派生したもの)を採用したこの6.0リッターユニットは、当時のライバル、BMWエンジンを搭載したマクラーレンF1を33馬力上回る660bhpという強大なパワーを発生した。
このパワーを直線で解き放つと、0-100km/h加速は3.5秒強、200km/h加速は9.5秒という数字を叩き出す。そして、ブレーキを強くかければ、わずか5.7秒でエンツォは停止状態に戻る。最高速度は350km/h強。
これまでフェラーリは、この種の車に「ドライバー・エイド」を装備することを避けてきたが、エンツォにはトラクション・コントロール、アンチロック・ブレーキ、パワー・アシスト・ステアリングが装備された。このレベルのパフォーマンスを考えれば当然だろう。
この "伝説の新車 ”は、わずか349台の生産が予定され、価格は1台あたり約65万ドル(約7,850万円)で、フェラーリ史上最も高価なモデルとなった。結果的に、フェラーリは400台を生産することになり、言うまでもなく、売り切るのに何も苦労することはなかった。400台目はバチカンのローマ法王ベネディクト16世のもとへ送られ、チャリティオークションにかけられた。
2002年の発表直後、フェラーリのフィオラノサーキットでエンツォをテストした『Car』誌のマーク・ウォルトンはこう熱弁した。
「移動中の時間も格別だ。マラネッロから3マイル離れた農家が畑から顔を上げているのが想像できるほど、大音量で鮮明だ。F1カーのような悲鳴ではなく、グループCカーのように吠え、咆哮するんだ……」
「エンツォは激しく前方に突進し、脳を損傷しそうになるかと思った。大きく筋肉質なパンチが、胃をもたれさせ、血の巡りで頭がくらくらしてくる。驚いたのはその圧倒的なパワーだけではない。ステアリングは信じられないほど軽く、それでいて鋭く、フィーリングに満ちている。ターンインすると、意思を感じ、完全にコントロールできる…」
そんな刺激に満ち溢れた伝説的スーパーカーが、2月1日に開催されるボナムス主催のオークション「Les Grandes Marques du Monde à Paris」に出品されている。
フランスの有名なフェラーリ・インポーター、シャルル・ポッツィを経由して、トゥールーズ市で2004年9月に最初のオーナーに納車された。このネロ・デイトナで仕上げられたエンツォは、わずか12台しかなく、そのうち赤いインテリアだったのは3台のみだと考えられている。この珍しいカラーリングによって、エンツォの美しいラインがよりいっそう際立っている。
オーナーは情熱的な "跳ね馬 "愛好家であり、エンツォを完璧な状態に維持するために多大な労力を費やした。そのため、エンツォのノーズの一部には保護フィルムが貼られ、車にはプロテクト処理が施されていたようだ。その後、オーナーはトゥールーズからブリュッセルに移り住み、エンツォはベルギーの首都でほぼ全生涯を過ごし、エンスージアストであるオーナーのプライベート・コレクションの「クラウン・ジュエル(王冠の宝石)」として誇り高く飾られていた。
大事にしていたこともあり、エンツォの使用頻度は低かったようだ。サービスブックには、ブリュッセルのフェラーリ・フランコルシャンが、2009年3月24日に7,097km、直近では2021年3月26日に9,489kmのスタンプを2回押しており、また、2017年3月17日にブリュッセルのフェラーリ・フランコルシャンが8,821kmで実施したサービスおよび作業の請求書(総額10,081ユーロ)も保管されている。同時に、フェラーリ・フランコルシャンによって右リアウィングが再塗装され、駐車場から後退する際についた傷が補修されている。
ボナムズが車を検査したところ、バッテリーが上がっていた。新しいバッテリーをつなぐと、オドメーターの数値はわずか9,491キロで、事実上、最後の整備以来、この車は運転されていなかったことがわかった。(定期的にフェラーリ・ディーラーに運ばれ、同じようにブリュッセル中心部まで持ち帰られていたのだ)。
サービスブックレットの他には、この車には以下が付属している:
・オリジナルの取扱説明書とポーチ
・工具セット
・旧フランス仮登録書類(2004年9月~10月)
・旧フランス登録書類
・ベルギー現行登録書類
・2018年9月21日まで有効なベルギーの旧技術登録証適合証明書(CoC)
・ルカ・ディ・モンテゼーモロ氏からの直筆の手紙
・亡きオーナーがどこにでも持ち歩いていたバッグとは別に、亡き夫とこのフェラーリ・エンツォへの愛を偲んで彼の妻が保管している荷物
エンツォは登場以来、価値は上昇を続け、その勢いはとどまるところを知らない。エンツォは、現代フェラーリのコレクターズアイテムの頂点に君臨しており、この個体は、ほとんど使用されておらず、しかもワンオーナー。なにより超希少なネロ・デイトナで仕上げられていることで、このエンツォの存在感はさらに増し、400台のエンツォの中でも極めてエクセプショナルな個体であると言える。落札想定額は5億5000万円~7億1000万円とかなり高額だが、それだけの価値があることは言うまでもない。