■河上めぐみさんのプロフィール
1986年生まれ。1983年に東京から富山市に移住し、有畜複合循環型農業を核とした「有限会社土遊野」を開業した両親の元で育つ。大学進学を機に上京。東京外国語大学でタイ語を専攻し、在学中に3カ月間タイに留学。2010年大学卒業と同時に富山にUターンし、親元で就農。2015年に土遊野の経営を引き継ぐ。現在、有機稲作19ヘクタール、飼料用米10ヘクタール、有機野菜1ヘクタール、もち麦2ヘクタールを栽培。平飼い養鶏1500羽、地鶏肉養鶏1500羽の飼育も行うなど、経営は多岐にわたる。
消費者の発見を通じて、農家も農業の価値を発見
前回は河上さんが大学時代に東京で過ごしたりタイに留学したりする中で、実家の里山の大切さに気付いて「土遊野」を継いだエピソードや、現在社長として取り組んでいることなどを聞かせてもらいました。
今回は最近河上さんが力を入れている「いのちの温もり体験会」についてお聞きしたいと思います。こういった体験教室は昔から開催していたんですか。
父母の代から援農ボランティアの受け入れや農場見学会をやっていたのですが、私の代になってから「ファームツアー」という名称にして回数を増やしました。農場や鶏舎を見学したり、ヤギと触れ合ったりする1時間30分くらいのコースになります。
ツアーの中で生みたての卵を持ってもらうことがあるのですが、生みたては温かいせいか、触ると子どもだけでなく大人からも歓声があがります。見学者の驚きをみて、こちらにとっては当たり前のことも当たり前ではないんだなと学ばせてもらっています。
なるほど。見学者だけの学びだけではなく、生産者も学びになるんですね。
とても勉強になります。自分がやっていることの価値に、自分ではなかなか気づきません。他の価値観に触れてみることは、消費者・生産者の双方にとっていいことだと実感しています。
インターネットで情報を簡単に得られる時代だからこそ、こうした体験が大切だと思います。誰しも卵はニワトリが生むことを知っていますが、実際どうやって生まれてくるのかを見ることで知識以上のものを感じられます。そして実体験は忘れにくい。
農家と消費者、お互いの理解が深まる「いのちの温もり体験会」
そんな思いがあるなかで、「いのちの温もり体験会」でニワトリをさばいて食べるところまでやるようになったのはなぜですか。
2009年に留学でタイの農村にホームステイしたんですが、そこでは来客があるとニワトリをさばいて振る舞う風習が残っていました。それを見て、「こういった体験は日本では日常から消えてしまったな」と改めて思いました。でも日本人も鶏肉は当たり前のように食べていますよね。
人が100人いたら100人全員何か食べているのは間違いない。でも日本ではその食を育てているのが100人に1人しかいない。農家と消費者の距離を縮めないともっと生産者が減るのではないかと、その時気づきました。
そこから「農家を増やす」というのが私の志になりました。でもその前に農家と消費者の距離を近くして、農業の理解者を増やすことが必要だと考えました。そのことで農家が誇りを持つことができ、結果的に農家を増やすことにつながると思ったからです。
食べる側と作る側、まずはお互いの理解を深めることが大切だということですね。
「生きることは食べること。食べることは、他の生命をいただくこと」。私は農家として、このことをより多くの人に伝えたいと思いました。「土遊野」には食鳥処理場もあるので、タイで私が体験し感じたことを提供できるのではないかと考えたんです。
それまで「消費者は農家の大変さをわかっていないのでは」と思うこともありましたが、誰かが伝えなければ伝わりません。普段ニワトリの命を直接的に奪う仕事をしている私たち農家がそのことを伝えなければ。それが私自身が農業をやっている意味だと考え、「命をいただく体験会」につながりました。
実際はどのようにしているのですか。
最初はニワトリをさばくところを見せるだけだったんですが、それだと参加者にとっては衝撃的な体験でしかなく、怖いという感情が残るだけで終わることに気づきました。
そこでニワトリを捕まえるところから体験してもらって、1羽は私たちスタッフでさばきますが、2羽目は参加者の大人の誰かにやってもらうことにしました。そしてニワトリの部位ごとに調理して試食してもらうことにしました。
今のところいませんね。
今の日本ではしめたての生の温かい鶏肉を調理して食べる機会はなかなかありません。市販されているものも一度冷凍されているものばかりです。その温かさこそいのちの実感かと。
体験会には親子参加が多いようですが、子どもたちの反応はどうですか。
子どもは素直で「どうやって殺すの?」とか言葉が直球です。でも素直に感情を出すことで、受け入れ方が大人より早いように思います。
部位ごとに食べるというのも面白いですね。何か理由があるのですか?
うちのニワトリは硬いものを食べているせいで砂肝が発達しているのか、市販されているものと味が全然違うという声があがります。その時に「食べたもので生きものの体は出来ているんだよ」というと、そのことを実感してくれます。
この「いのちの温もり体験会」の体験すべてが「いのち」や「食」につながっているんですね。普段意識しませんが、生きているものは温かい。そう思うと「温もり体験」という意味も分りました。
食べ物を自分の手で調達するというのはすごい体験だと思います。時代によってお金の価値は変わりますが、食を得ることはどの時代でも必要です。食べ物を自分の力で調達できるような「生きる力」があると、生きていく上での根本的な安心感につながると信じています。
アニマルウェルフェアと獣害で気づく、自然への畏怖(いふ)
今年はクマの害が大きく騒がれていますが、河上さんは「いのち」という観点でこれをどう感じていますか。
人に害が出ていることは憂慮すべきで、加害したクマの駆除も仕方ないと思います。でも全てのクマを害獣とすべきかというと、そうではありません。私たちが住む社会の範囲をどこまでと考えるかによって、その判断は変わると思います。
「土遊野」でもクマが鶏舎に入ってくることがあります。その時はもちろん追い出しますが、そこで駆除するのがいいかというと、違うと思います。クマは人間を困らせようとしているわけではなく、クマ自身も食べていくためにやっていることですから。
クマから見たら人間こそが害です。以前はその感覚が、里山に住む人にはあったと思います。私たちの方が彼らのテリトリーに侵入しているという自覚が。
里山は山と街の緩衝地帯だったのに、今はその防衛ラインである里山が荒廃して境界線が崩れてしまったのかも。それが「アーバンベア(都市型のクマ)」と呼ばれるようなクマが出た要因の一つかもしれませんね。
あと欧米ではアニマルウェルフェアという言葉も浸透していますが、河上さんはどう感じられていますか。
直訳すると動物福祉ですね。平飼い養鶏もその中に入ると思いますが、「土遊野」の場合は動物のためにというより、安定してよいタマゴ、肉質のよい鶏肉を得るためにしていることが、結果的にそうなっているという感覚です。
(私の感覚では)アニマルウェルフェアという言葉はある意味、人間が上位ということが前提の言葉だと思います。でも人間は食べていかないと生きていけない。動物を食べさせてもらうことで生きていられる。そんな観点でみると上も下もないのではと考えてしまいます。
日本には「畏怖」という言葉があります。神や仏に対する恐れを表すことばですが、元々自然に対する感覚も畏怖だったのではないかと、自分が農家になって感じるようになりました。それからは「大地への敬意」を判断基準にしています。
「いただきます」という言葉ももしかすると、そのような自然に対する畏怖の思いが込められているのかもしれませんね。
実際、行動としてのアニマルウェルフェアはよいことだと思いますし、人に害をなすクマを駆除することは必要なことだと思います。
ただ、私たちも生態系の一つだと自覚することが最も大切だと感じていて、そのことを農業を通じて伝えたいと思っています。
そういった自覚を持つことで行動や発する言葉も変わってくるかもしれませんね。
そんな自覚を深めるためにも生産者が体験教室をやる機会が増えるといいなと思いました。今回も貴重なお話をありがとうございました。