東京2020パラリンピックで男子日本代表が銀メダルを獲得し、注目を集めた車いすバスケットボール。この競技と東京2020大会よりも前から深い関わりを築いてきた街があります。そのひとつが、福岡県北九州市です。
北九州市では、毎年秋に車いすバスケットボールの国際大会「北九州チャンピオンズカップ」、全国各ブロックの代表チームによる「全日本ブロック選抜選手権大会」、小学生による「北九州市小学生車いすバスケットボール大会」が開催されています。特に、市内の小学生が学校の授業の中で車いすバスケットボールに取り組み、大会まで開催するというのは全国的にも珍しい取り組みであり、今年で18回目を迎えました。
小学生たちが車いすバスケットボールを通じて学ぶのは、思いやり――大会を運営する事務局を中心に、小学生大会や子どもたちの未来にかける想いなどを聞きました。
車いすバスケットボールと北九州市の歴史
2023年で20回目を迎えた「北九州チャンピオンズカップ」。今年は日本、韓国、イギリスからチームが参加しました(写真は日本と韓国の試合)北九州市と車いすバスケットボールの歴史は古く、1967年(昭和42年)に車いすバスケットボールのクラブチーム「足立クラブ」が誕生したところから始まります。同クラブの全国大会優勝の活躍などによって車いすバスケットボールの大会が北九州市で行われるようになり、1995年に全国選抜大会、その3年後には東アジア大会と徐々に規模が拡大。そして2002年、4年に1度の世界選手権が北九州市で開催されました。
資料によると、「市民による手作りの大会」「バリアフリーなまちづくり」をコンセプトにした2002年の世界選手権は、大会10日間で8万人を超える観衆を集めるなど大成功。この成果や意思をレガシーとして継承するために、翌年から国際大会である「北九州チャンピオンズカップ」が毎年開催されることになりました。
小学生大会はそれから3年後の2006年にスタートしていますが、実は第1回北九州チャンピオンズカップ当時から、すでに小学生による試合はエキシビションマッチのような形で実施されていたといいます。
大会運営事務局を務める北九州市福祉事業団北九州市障害者スポーツセンター「アレアス」の山下さん(左)と田中さん(右)「その当時は学校単位ではなくて、市内のソフトボールやバレーボールのスポーツクラブの子たちに取り組んでもらっていたんです。でも、大会当日の1時間の中に試合をギュッと詰め込んでいたので、子どもたちからは『一生懸命練習したのにこれで終わりなの?』という声が多かった。なので、学校単位にしようということで今の形に近づいていきました」
大会の成り立ちや経緯について話していただいたのは、大会運営事務局の田中八恵さん。もともとバスケットボールをしていた田中さんが車いすバスケットボールに出会ったのは大学生のころで、卒業後は地元の北九州市に戻り足立クラブのマネージャーとして活動。以来、車いすバスケットボールの普及や大会開催などに長く携わってきました。小学生大会においては毎年、出場する各小学校を週に1度のペースでめぐって車いすバスケットボールの指導を担当しています。
スポーツを通して「気づき」のきっかけを
車いすバスケを通じて深まる友達とのより良い関係やクラスの絆。子どもたちは体験を通して多くのことを学んでいますそもそも小学生に車いすバスケを体験してもらう理由の一つには、障がいのある人たちに対する理解を深めるという目的が当然ありますが、田中さん自身の中ではそれがある種の違和感となり、子どもたちへの教え方も徐々に変化していったといいます。
1回パスをつなぐのにも、出し手と受け手の間の「思いやり」が大切。一生懸命にプレーする中で、障がいのある人だけでなく、相手を尊重する気持ちが自然と生まれていくのでしょう「これって、障がいのある人たちの気持ちを分かってもらいたいと思って、こちらから伝えるものでもないのかなって……。何か気づいてもらえるきっかけ作りの方が大事なのかなと思い始めたんです。そしてここ何年か、子どもたちに伝えているのはまず障がいありきではなく『自分と隣の友だち、その隣の友だちも大事にしよう』ということ。隣の隣にいる3人目の友だちがたまたま障がいのある子かもしれないし、その隣の友だちは左利きかもしれない――そうしたそれぞれが違う中で障がいもあることが自然なのかなと、今はそういう伝え方を子どもたちにしています」
障がいのある人たちを理解しよう――その考えや思いはもちろん大事ではあるけれど、それを一方的に押し付けるのではなく、「気づきのきっかけをスポーツを通して提供できるといいのかなと思っています」。
子どもたちに見せてもらった「思いやり日記帳」には技術的なことだけではなく、車いすバスケの練習で学んだことがびっしり書かれています田中さんのそうした思いは子どもたちにも十分に伝わっており、障がいのある・なしに関わらず周りの人たちに対する気遣い、やさしさの心が車いすバスケの練習を経てますます芽生えてきたことは、各学校の子どもたち、担任の先生を取材する中でもはっきりと見て取れました。そして、小学生たちには大会出場に際して、ある1冊のノートが贈られます。『思いやり日記帳』というそのノートには、その日の目標や気づき、反省点など、6月の練習開始以来、日々様々なことが書き込まれてきました。その中で多くの子どもたちが共通して書いてきた言葉が――
「思いやりのパス」
これは田中さんが車いすバスケをするにあたって、一番大事なことだと子どもたちに伝えてきた言葉でした。周囲の人たちを思いやる気持ちは、田中さんから教わったパスを通じて子どもたちの間で次々とつながっています。
「子どもたちの大会こそがレガシーだ」海外選手からの称賛の声
子どもたちのプレーに見入る、北九州チャンピオンズカップに参加した韓国チームの選手たちそうして車いすバスケットボールに取り組む小学生たちの姿に、海外のチームからも称賛の声が毎年のように挙がっているそうです。田中さんと同じ北九州市障害者スポーツセンター「アレアス」の山下悟さんからはこんな話を教えていただきました。
「“子どもたちの大会こそがレガシーだ”と、そういった言葉を毎回、海外の選手からいただいています。すごく良い言葉で、大変嬉しいですね」
山下さんの言葉からはこの事業への想いと誇りが伝わってきます山下さんが小学生大会に関わるようになったのは10年前。実はそれ以前に、山下さんのお子さんの方が先に車いすバスケットボールを体験しており、「先輩」のお子さんから色々なことを教わったそう。さらに、かつて大会に参加した子どもたちが今度はハーフタイムショーの出演者となって試合を盛り上げ、また大会のボランティアや運営のアルバイトとして参加するなど、大人になってからも関わりを持ち続ける人たちが増えています。そんな子どもたちの成長や大会が重ねてきた歴史と合わせて、車いすバスケットボールの文化はますます北九州市に根付いていることを実感すると、山下さんは語ります。
「田中さんたちが蒔いてきた種が花を咲かせていますし、大会を長く継続して良かったなと思いますね。続けることは結構大変ですし(苦笑)、これからの時代は色々な変化があると思いますが、この子どもたちの大会はすごく大切にしていきたいです。子どもたちには障がいのある方のみならず、困った人に対するサポートや思いやりの心が育っていると思うので、大人になっても困っている人に気づいたり、サポートを続けてもらえたらと思います。この子たちならきっとできると思います」
子どもたちの成長に心動かされる大人たち
子どもたちの一生懸命な姿と大きな成長に、大人が学ぶものもたくさんあります事務局の方々の尽力により、子どもたちのかけがえのない成長の場として歴史を重ねてきた北九州市小学生車いすバスケットボール大会は、多くの人の心を動かしてきました。大会協賛の株式会社モリサワの森澤彰彦代表取締役社長もその一人です。
北九州チャンピオンズカップも含めた大会全体の協賛企業として、森澤社長自身も学校での練習を訪問し、小学生大会本番を会場で観戦するなど、熱心に大会をサポートしてきました。「6月に練習風景を見た時とは比べ物にならないくらいの成長に感動しています」と目を細めた森澤社長は、車いすバスケットボールを経験した子どもたちの未来に大きな期待を寄せています。
「人に対する思いやりは、その人への理解から始まると思います。今、5年生の子たちが毎年広く車いすバスケットボールを経験することによって、思いやりのある、そして仲間を大切にする人に育ち、より良い社会、より良い日本をつくっていってくれるのではないかなと思っています」
株式会社モリサワ代表取締役社長の森澤彰彦さん(左)と、社長室室長の白石歩さん(右)。自ら子どもたちの練習にも足を運び、大会までの道のりを見守ってきましたまた、株式会社モリサワの白石歩さんは運営事務局とも密に連携し、大会を支えてきた一人。小学校を何度も訪問し、子どもたちの成長を見守ってきました。
「思い出深いのは2020年のことです。大会への出場が決まり、練習開始当初はチームとしてのまとまりに課題のあったクラスが、練習をするたびに一丸となっていって――そんなダイナミズムを初めての小学校訪問で間近に体感しました。しかも最後は大会で優勝を掴み取って、大会の後にもう1回訪問したら雰囲気がガラッと変わっていたんです。同じ子どもたちとは思えないくらい成長していました。また、今年出場した小森江小学校も、6月の時点ではチームとしてはまだこれからという感じだったのに、10月にはこんなにまとまるようになったのかと驚きましたね。これこそがこの取り組みの意義なんだと思いました」
一生懸命な中で味わう悔しさも大きな経験。車いすバスケットボールを通した教育で子どもたちは多くのことを学びますもちろん、ただ車いすバスケットボールをすれば子どもたちが変化し、クラスがまとまるというわけではありません。そこには田中さんが伝えている「思いやりのパス」が果たす役割が大きいと、白石さんは語ります。
「田中さんは(単に)バスケを教えているのではなく、これは教育なんだと思いました。どうやったらチームがまとまるのか。小学5年生として身につけないといけないことを車いすバスケを通じて教育をしているんだと感じました」
「思いやりのパス」がつなぐもの
小学生大会が行われた11月9日、この日誕生日を迎えた田中さんにサプライズ。子どもたちから感謝の思いを込めた花束が手渡されました大会に参加する子どもたちの成長を近くで見守ってきた田中さん。今回のインタビュー中にも大人から小学生まで様々な年代の人が田中さんを見かけると挨拶し、声を掛けていきます。いわば北九州市における車いすバスケットボールの“お母さん”のような存在だと感じました。そして、声を掛けられた人たちに向けるやさしいまなざしのまま、自身が続けている小学生への指導がいつか土の中から芽を出し、大きな花を咲かせてくれることを願っていると、田中さんは語ります。
この大会がこれまで北九州市にもたらしてきたものの大きさははかり知れません「この子たちが将来、例えば車いすで困っている人を見かけた時に、車いすバスケットボールのことを思い出して気づいてあげられる……声を掛けられなくても、気づくだけで十分だと私は思っているんです。そこで気づくことができれば、声を掛けられなかった自分がイヤになるかもしれないし、次はひと言でも声を掛けてみようと思えれば、それが本当の“Can I help you?”になるのかなと思います。その種を蒔き、水をやるのがこの大会の役割かもしれないです。また、大会に参加した子どもたちだけでなく、みんながそうしたことに気づけば、みんなが困らなくなる。それが自然にできる北九州市、世の中になればいいなと思いますね」
すでに18回も続いている小学生大会。これからも20回、30回と、北九州を彩る秋のスポーツ文化の一つとして継続し、ますます発展していくことでしょう。そうして子どもたちが大人へと成長していく中で、「思いやりのパス」が北九州から日本全国へとつながり、広がっていくことを願うばかりです。
text by Atsuhiro Morinaga(Adventurous)
photo by Haruo Wanibe