平日は会社員 週末は農家になる
大阪府八尾市は、大阪市の中心部から電車で十数分という利便性のいい場所にありながら、多くの自然が残っている町だ。都市近郊ゆえに大規模な畑はなく、住宅地の中に畑が点在している。そんな八尾市で家族連れに芋掘り体験のサービスを提供している「オオサカポテト」の畑は、中学校の向かいにある。週末は中学生の部活動の声に混じって、畑にやって来た子どもたちの歓声が響く。
その畑で、周りから「ヒロ」と呼ばれている若者がいた。オオサカポテトを立ち上げた渡邊博文さんだ。
愛知県出身で広告会社に勤務するサラリーマンだった渡邊さんは、2019年に転勤で大阪にやって来た。大阪に来るまで週末の趣味は友人とのサーフィン。しかし、大阪にはサーフィン友達がいないため、別の趣味を探し始めた。そんなときに思い浮かんだのが農業だった。漫画「銀の匙(さじ)」を読んで興味を持っていたからだ。「銀の匙」は農業高校に入学した主人公が悪戦苦闘しながらも、命の大切さ、農業の厳しさ、先人たちの知恵を学んでいく青春物語である。農業経験は皆無だったが、作物を作るだけでなく販売もしてみたい、農業をやれば畑にみんなが集まって来る場所にもなる、農業でできることはすべてやってみたいと思っていた。
「漫画の中で、新鮮な野菜を食べてみんなが笑顔になるシーンにひきつけられたんです。それで、自分で野菜を栽培してみたくなって。当時は農家の知り合いもいなかったので、最初は『大阪 農業』でネット検索して、そこに出てきた農家に農業がしたいとメッセージを送ったんです」(渡邊さん)
しかし、そのメッセージはほとんど無視されたという。そのメッセージの内容が、ただ農業体験がしたい、というものではなかったのが原因のようだ。
「僕は学生時代ラガーマンだったので体力にも自信があって、自分が農家に行けばきっと重宝されるはずに違いないと。それで、『バイト代も払ってほしいし、作ったものの販売もしたい』と送ったんですよね」(渡邊さん)
そんな中、一軒の農家から「とりあえず話を聞こう」と連絡が来た。切り花農家をしているshimizu garden(シミズガーデン)の清水信行(しみず・のぶゆき)さんだった。渡邊さんは清水さんに「お金は生まないかもしれないが、人が集まる畑にしたい」と熱心にアピールした。清水さん自身も栽培以外にフラワーアレンジメントレッスンなど体験型のサービスを提供し多くの人を畑に集めていたことから、渡邊さんの考えに共感してくれた。渡邊さんは清水さんの農作業の手伝いをするようになり、さらに間口4メートル奥行き20メートルの使っていないビニールハウス2棟と畑を貸してもらえることになった。
2020年の春、渡邊さんはそのハウスに生で食べられる白と黄色のトウモロコシなどを植えた。
「トウモロコシを2000本ぐらい収穫できる予定で育てていたんですが、ビギナーズラックでびっくりするくらいうまくできたんです。販売もインスタで集客して直売して収益を出すつもりでした」
1本300円として計算すれば、100本売れたら3万円、2000本なら60万円と、副業としてはまずまずと考えていた渡邊さん。しかしトウモロコシは次から次に収穫してすぐに販売しなければ、鮮度が落ちてしまって商品にならない。結局売れたのは数十本。一部のトウモロコシはさばき切れず、ショボショボにしてしまった。渡邊さんはshimizu gardenがやっていた花摘み体験をまねて、SNSでトウモロコシの収穫体験の募集をし、やってみた。来てくれたお客さんたちはとても楽しんでくれた。農作業は楽しく、自分で作った野菜はおいしかった。
2年目の春はスナップエンドウ、菜の花を収穫した。袋詰めをしてハウスで売ろうと考えて選んだ品目だった。しかし土日はもちろん、平日も水やりなどに追われ、ヘトヘトになったにもかかわらず、1週間で3000円分しか売れなかった。
都市体験型農園「週末農園」を“サードプレイス”に
こうして渡邊さんは少しずつ現実の大変さを知ったが、それでも農業を楽しいと思う気持ちは変わらなかった。むしろ「むっちゃ楽しい農業をみんなに体験してもらいたい」と思う気持ちは高まった。
さらに農業に携わったことで、耕作放棄地の増加や生産者と消費者の距離が遠いことなど、農業にまつわるさまざまな問題を解決したいとも思い始めた。
「そこで、栽培は僕がして、収穫はお客さんにやってもらう体験型の週末農園を始めることにしました」
週末農園を開始した2020年は収穫が間に合わず、一部のトウモロコシはさばき切れなかったが、少しの間だけ開催したトウモロコシの収穫体験はみんなに喜ばれた。今度は本格的に体験型の週末農園にしようと決めた。清水さんに借りていたビニールハウスで週末農園を始めてSNSで集客したところ、どんどん人が集まった。都会で農業を手軽にしたいという人達が多くいたのだ。そのうち固定客もでき、毎週末には5組以上のお客さんが体験にやって来るようになった。1組3000円の体験料で収穫した野菜を持ち帰ってもらうというシステムは、都会で農業体験を手軽にやってみたいというニーズの受け皿になり、畑とつながりたい人との橋渡し役に発展していった。さらにSNSで発信を続けるうちに仲間もファンも増えてきた。そんな中で、少しずつこれからの農業プランも見えてきて、渡邊さんの心に就農の意志が芽生えた。
体験型農園を軸にした農業をすることにした渡邊さんは、就農にあたって栽培品目をサツマイモと決めた。その中でもしっとりなめらかな絹のような食感のサツマイモで糖度も高いシルクスイートを栽培して、「夢シルク」という独自ブランドとする構想も固めた。耕作放棄地を活用した夢シルク栽培を広げ、大阪をサツマイモの一大産地にするという「夢シルクブランド計画」である。2022年6月には会社を退職。清水さんの力添えもあり、同年12月に八尾市の認定新規就農者となり、2023年1月にはオオサカポテトを開業した。
渡邊さんは、大阪で農業に携わっていく中で都会で農業をやることの難しさも痛感した。農業に携わる人の高齢化や耕作放棄地の増加、点在している農地、生産者と消費者の距離が遠いことなどは就農前からわかっていたが、実際に就農してみると想像以上の大変さだった。しかし、街なかに農地があるからこそうまく活用できるのではないかという思いも強くなり、農業を通じてこれからやっていきたいことが明確になってきた。
オオサカポテトは、都市農業の課題を解決するために3つの夢を掲げている。
子ども達へ自然豊かな未来を届けたい
畑と生活者を繋(つな)げたい
耕作放棄地をなくしたい
その夢をかなえるために栽培しているのがサツマイモである。そして子ども達が畑で遊べる社会を作る、その第一歩がサツマイモの収穫体験なのだ。
「生活の中で農業ができる環境を増やし、それを人々の“サードプレイス”にしたいんです。それぞれの関わり方でいいので、気軽に来てもらえる居場所にしてもらいたいんです」と言う渡邊さん。そう考えるのは、スターバックスもそのサービスに取り入れているサードプレイス(第三の場所)の考え方に影響を受けているからだという。サードプレイスとは簡単に言えば、自宅や職場、学校以外で過ごすための場所のこと。人々は気軽にそこを訪れて、安心感や居心地のよさを感じることができる。
「みんなもうひとつの居場所、コミュニティーを持てばいい。農業がその役割を果たせる場所になれば」(渡邊さん)
「副業がサツマイモ農家」というサラリーマンがいてもいい
5人いるオオサカポテトのメンバーの中で専業農家は渡邊さんだけ。他のメンバーは半農半Xだ。それぞれ立場や置かれた状況に応じて真摯(しんし)に農業に取り組んでいて、メンバー同士は非常に仲が良く、愛称で呼び合っている。
いち早く、「ヒロ」こと渡邊さんと共に農業を始めたのは、大阪でサラリーマンをしながら和歌山にある奥さんの実家で週末農業をしていた「トモ」こと島田朋幸(しまだ・ともゆき)さんである。島田さんと渡邊さんは、ハウスでトウモロコシを栽培していたときに知り合った。「夢シルクブランド計画」の提案を受けてからは、島田さんは本業以外のほとんどの時間を農業に費やしている。
渡邊さんの高校時代のラグビー仲間の「タカ」こと酒井貴弘(さかい・たかひろ)さんは栽培に加え、農業カメラマンとして大事な役割を果たしている。酒井さんのラグビー仲間の「タツ」こと神田達可(かんだ・たつか)さんと「ナリ」こと成冨翔太(なりとみ・しょうた)さんは、会社で焼き芋を振る舞うイベントで購入したのが縁でオオサカポテトに加入した。みんな思いに賛同した仲間であり、大切な作り手である。
このように、渡邊さんは「オオサカポテトを、農業をライトに始めたい人の受け皿にしたい」という思いも強い。そういう人に半農半Xで夢シルクを栽培してもらい、それをオオサカポテトが買い取り、販売するということもしていきたいと考えている。
「サツマイモは副業でするのには比較的やりやすい作物だと思っています。経費などを除けば1反(10アール)でだいたい50万円分の利益が見込めます」
収益が出れば副業にもなる。副業がサツマイモ農家ですというサラリーマンがいてもいいはずだ。
都市農業でのサツマイモづくりが問題点を利点に変える
オオサカポテトの畑には有害物質を吸着し、有用微生物を増殖する働きがあると言われている竹炭を使用している。この竹炭は、大阪と奈良の県境に面した放置竹林を伐採した竹から作ったもの。放置竹林は強風に弱く地すべりの危険があるうえ、イノシシやシカ、サルなどが生息する場所にもなり獣害を引き起こす可能性もある。有効利用できる竹材を竹炭にする事は、土壌にいいだけでなく、山を整備し環境を守る事にもつながる。
現在、1.5ヘクタールの農地を借りているが、2024年には2.5ヘクタールの農地に拡大する予定である。それには人手も増やしていかなければならない。そのためにはサツマイモを保存する倉庫も拡大しなければならないし、設備投資が必要であるのでかなりの覚悟もいるが、リスクは承知の上である。
オオサカポテトが掲げる社会課題の解決に共感し、協力してくれる人たちも増えてきた。スタッフの友人知人、そのまた知人と活動の輪が広がって、今では夢シルクを栽培してくれる契約農家やイベントのサポートをしてくれるメンバーも増えた。倉庫の場所を提供してくれているのは、スタッフの同級生のお父さんだという。サツマイモ掘り体験会の時もいろんな職業の人がサポーターに加わり、テキパキと進行をしていた。
最初は恥ずかしがっていた子ども達も土の中からサツマイモを掘り出すとたちまち笑顔になる。ずっとカマキリを手に乗せて眺めている女の子、大きなサツマイモを妹に分けてあげるお兄ちゃん、みんなそれぞれの個性を存分に発揮している。縁もゆかりもなかった大阪の地で、都市農業の問題点を利点に変える、都市農業だからこそできることを見つけ出した渡邊さんとオオサカポテトの仲間たち。彼らの思いは、大きなウエーブを起こし始めている。