徹底した原価削減
横浜市泉区にある40アールの農地を借り、認定新規就農者となった三ツ間さん。JAや政府系金融機関から計4500万円を借り入れ、昨秋に7棟のイチゴハウスと高設栽培システムを導入。「紅ほっぺ」など計9品種を植え付け、今月初めての収穫を迎える。農園の駐車場前には特注の大看板が堂々と掲げられ、三ツ間さんは「ありがたいことに、開園前からお客さんが毎日来てくれるほどです」と笑う。
観光農園として開放するハウスには投資を惜しまなかったが、それ以外は徹底的な原価削減にこだわった。
栽培に必要な育苗ベンチ、観光農園に必須の荷物入れや手洗い場などは、新たに買いそろえるとなると数十万円はくだらない。三ツ間さんは、これらを視察先で知り合った生産者の知人から譲り受けたり、フリマサイトなどを駆使して材料をかき集め、開業準備の合間を縫って自ら修繕、塗装してリノベーションしたりする。近所で机や物置きを廃棄する予定を聞きつけると、即座にコンタクトをとって自ら回収に赴くなどアンテナは高い。
「かながわ農業アカデミー在学中、『がんばりを見てくれてる人はいる。そんな人には土地や資材が集まってくるものだ』という話を聞いたことはありましたが、当時は確実ではないし、正直なところ懐疑的に思っていました。今、こうしていろんな方に助けてもらい、本当の話だったんだなと思っているところです」
観光農園に必須となる水洗トイレは、クラウドファンディングで資金を募っている。支援へのリターンのほか、SNSを毎日のように欠かさず更新してきたかいもあり、イチゴは見込み客のみで全て販売できる見通しが立っているという。
初収穫始まりました🍓✌️
直売は 1月15日開始✨
イチゴ摘み取りは 1月27日開始✨🍓
クラウドファンディング
— 三ツ間卓也@イチゴ農家へ (@m_takuya43)
「実はイチゴを加工してキッチンカーで販売したいという思いもあり、出資も決まっていたのですが、ありがたいことに多くの方からイチゴが欲しいという声をいただき、加工にまわせる分がなくなる可能性が濃厚になったので、こちらの構想は一旦ストップということになりました」
観光農園やイチゴの直売は今年6月下旬までの予定で、3月からは並行して、育苗など次の作付けに向けた準備に入る。
立ち上げ前から、正社員としてスタッフを迎え入れた理由
三ツ間農園では、収量性の高い「紅ほっぺ」など定番7品種のほか、珍しい白イチゴ「天使のいちご」やピンクイチゴ「桃薫(とうくん)」も手掛ける。特に白イチゴやピンクイチゴは生産者の少なさからうかがえるように、病気になりやすいなど栽培が難しいことで知られるが、三ツ間さんは「注目して頂いている分、変わった品種を入れたかった。来てくれた方に感動してもらえるよう、紅白イチゴで差別化したかったんです」と選択した理由を説明する。
もう一つ、三ツ間農園のスタイルで特徴的なのが、開業の半年以上前から正社員として従業員を雇用している点だ。新規就農間もないタイミングとしては異例といえる。
「社会保険や雇用保険の申請、開業届けの提出や労働基準の作成、申請と、これがなかなか大変でした。先輩農家からは『最初からそこまでする人はいないよ』という声をよくいただきました」と笑う。
ただでさえ資金繰りや融資を受けるための事業計画づくりで多忙の中、雇用の準備も並走した理由を問うと、背景にある近い将来の構想を語ってくれた。
「5年後には、愛知県に2号店を出すなど、店舗展開を目指していきたいと思っています。その際、責任者となる自身の右腕を育てたかった。ゆくゆくは常時雇用が必要になるならば、スタートアップの経験を一緒にできればと考えました」
愛知県に2号店―。元々在名球団の出身だからかと思って取材を進めたが、どうやらそうではないらしい。「名古屋にはセントレア空港があるので、国際便で作物を出荷することができる。特に、直行便のあるシンガポールやドバイ(アラブ首長国連邦)へは鮮度の高い状態で出荷することができるので、ゆくゆくは海外進出も目指しています」
トラブルに見舞われながらも、日進月歩
前稿で触れた通り、農地貸借をめぐっては幾度かトラブルに見舞われたが、いざ栽培を始めてからも、予期せぬ出来事の連続だったと三ツ間さんは振り返る。
「一つが猛暑による水不足です。灌水はポンプでくみ上げる形で行っていたのですが、連日の猛暑で土の渇きが早く、規定の回数だと萎れてしまうように。計200株のイチゴがダメになってしまい、特に先に育てていた苗が軒並みやられてしまったことで、当初見込んでいた開業時期が遅れることになりました。たんそ病にも苦しめられましたね。発生してすぐ見つけることができたので、廃棄は発生箇所の半径3メートル分で済みましたが、元々構想していたレイアウトを変えることを余儀なくされました」
高止まりが続く燃料費にも悲鳴をあげる三ツ間さんだが、確かな歩みに充実感ものぞく。
「プロ野球を引退し、農家を目指したのはいい選択だったと思います。これは僕の考えですけど、人間は守りに入ってしまったら、必ず楽な方向に逃げてしまう。退路を断って、縁のない神奈川で農業をするという選択ができたからこそ、ここまでやり切れたのだと思います。それくらいの勢いがないと、新規就農は難しいと感じました(笑)」
就農の形はさまざまあるが、退路を断って愚直に行動することで初めて見えてくる境地があるのかもしれない。そんな一つの解をみた取材だった。