1970年代にシトロエンからマセラティを買収し、その後激動の1980年代をも乗り越えてマセラティを存続させてきたデ・トマソの創始者アレハンドロ・デ・トマソは、1993年、ついに損失を計上し、経営不振に陥っていたマセラティをフィアットに売却した。しかしこれよってデ・トマソは、デ・トマソの経営に再び集中することができるようになった。
【画像】生産台数が非常に限られた悲運なモデル、デ・トマソ・グアラ(写真13点)
デ・トマソ・パンテーラは、エンジンのアップデートとマルチェロ・ガンディーニによるフェイスリフトのおかげで、1973年にフォードの関与が終了した後も生産は存続した。しかしパンテーラも寿命を迎える。とはいえ、ゼロから始める予算はなかったため、デ・トマソはとある車をベースに新型モデルのプロジェクトを開始した。
そのベースとなったモデルとは、マセラティ・バルケッタだ。アレハンドロ・デ・トマソが在任中に、ワンメイクレースシリーズ用に構想されたミッドエンジンのオープントップマシンである。完成したのはわずか17台で、1台を除くすべてがレーシングカーだった。
そしてパンテーラの後継モデルとして発表された新型デ・トマソ・グアラは、このマセラティ・バルケッタのアルミニウム製 "バックボーン "シャシーを改良したものだった。先鋭的なインボード・コイルオーバー・プッシュロッドサスペンションを備え、スポーツカーというよりは公道走行可能なF1カーに近いものであった。当初、4リッターBMWのM60型V8エンジンが搭載され、後にフォード製V8エンジンが搭載された。ボディは、マセラティ・バルケッタのスタイリングも手がけたシンセシスデザインのカルロ・ガイノによってデザインされ、くさび形のコンポジットボディに包まれている。
グアラ・クーペは1993年のジュネーブモーターショーでデビューし、スパイダーとラディカルなバルケッタがそれに続いた。バルケッタはルーフやウィンドスクリーンといった軽装備がなく、パワーステアリング、パワーブレーキ、ABSも装備されていない。エアディフレクターによって空気の流れはドライバーの頭上を通るようになっているが、ヘルメットの着用が推奨されている。
デ・トマソ・グアラは悲運なモデルであり、発売直後、デ・トマソは再び苦境に立たされ、バルケッタ10台を含む52台の生産にとどまった。
今回ボナムスのオークションに出品されたこの個体は、生産された10台のバルケッタのうちの1台で、BMWのM60エンジンを搭載している前期モデルだ。軽合金製V8エンジンを搭載することで、総重量はわずか1,050kgと最小限に抑えられている。ターコイズ・グリーンのトリムにガンメタルで仕上げられたこのグアラは、走行距離わずか6,200km。基本的にオリジナル仕様のままで、ミシュラン・タイヤを履いた特徴的なオリジナルの10本スポーク・アロイ・ホイール、オプションのシュロス製ハーネス、BMW製の計器類とスイッチ類が装備されている。
生産台数が非常に限られているため、このような素晴らしいグアラ・バルケッタが市場に出回ることは稀であるが、残念ながらこのオークションはすでに終了し、約2,100万円で落札された。デ・トマソの歴史における魅力的な時代を象徴するこの一台は、間違いなく次のオーナーにスリリングな体験を提供することだろう。