2023年ベスト・ムービー トップ20

歴史的悲劇を描いた超大作やちょっぴりエッチな学園コメディ、さらには『オッペンハイマー』や『バービー』など——これらの作品は、映画がさまざまな困難を乗り越え、かつてないほど良くなったことを私たちに教えてくれた。ローリングストーン誌が選ぶ今年の20作品はこれだ!

2023年のはじまりに次のようなことを予言されたとしても、きっとあなたは信じなかっただろう。『オッペンハイマー』と『バービー』という対照的な映画が夏に同日公開され、ポップカルチャーが社会に大きな影響を与えること。カナダ人監督による低予算ホラーと「現役で活躍している最高の映画監督25人」に選出されたスコセッシ監督の超大作(制作費は2億ドル)が、映画づくりの妙の両極を示し出すこと。マーベル・スタジオが自らの”エンドゲーム”にぶち当たり、そのシネマティック・ユニバースの栄光に影が差しはじめること。全米脚本家組合(WGA)と全米映画俳優組合(SAG)が同時ストライキを起こし、ハリウッド全体に大打撃を与えること。テイラー・スウィフトの最新ライブを映画化した『テイラー・スウィフト:THE ERAS TOUR』が映画界を救うこと(ちなみにスウィフトは、映画界だけでなく、音楽界、NLF、西洋文明も救うことになる)。こんなことを言われても、占い師の水晶玉の調子がおかしいんじゃないか? とあなたは首をかしげたに違いない。

どこまでも予測不能な長い1年が終わろうとするいま、私たちは2023年という年が「なんでもありの世の中に、確かなものなんて存在しない」という真言に集約されていることを実感している。動画配信サービスが映画配給のランドスケープを変え続けたり(こうしたサービスだって、決して盤石ではないのだが)、予期せぬところから救いがもたらされたりなど、唯一言えることは、常にどこかでディスラプションが起きていたことだ。なかには、「バーベンハイマー? 本気で両方観るつもり?」から「マジでバーベンハイマー!」と心変わりした人もいるかもしれない。いずれにしても、働いた人にしかるべき賃金が支払われること、人間の代わりに生成AI(人工知能)に脚本を書かせることがいかにまずいかを、映画界がしぶしぶながら認めたことには希望が持てる。空白の長い”サマー・オブ・23”とやや遅れてやってくるアワード・シーズンは、映画界の真の進歩へとつながるはずだ。従来通りのビジネスを続けることは、もはや不可能なのだ。

革新や過渡期という感覚が強いなかでも、今年は数多くの素晴らしい作品が誕生した。大手映画スタジオも意欲的なインディペンデント系も、批評と興行成績の両方の点でホームランを打った。サンダンスやカンヌ、ベネチアといった映画祭では、オーディエンスの心を明るくし、人を信じる気持ちを呼び覚ましてくれるような作品がいつも以上に多く上映された。ハリウッド黄金時代を想起させるような作品もあれば、スマホと役者、そしてビジョンさえあれば映画は撮れることを改めて教えてくれるような作品もあった。ローリングストーン誌が2023年の年間ベスト・ムービーに選出した20作は、ジャンル、スケール、上映時間、テーマのすべてにおいて多種多様である。唯一の共通点は、映画を観る私たちと創り手とのあいだに絆のようなものが生まれる、ゾクゾクするような瞬間が感じられること。そういう意味でも、創り手からオーディエンスへ、オーディエンスから創り手へというサイクルは健在なのだ。

(編注:ここで取り上げる作品はすべて、映画祭の先行上映ではなく、アメリカの劇場公開日に基づいている。『コット、はじまりの夏』や『ソウルに帰る』が選出されているのに、『PERFECT DAYS』や『ポトフ 美食家と料理人』といった秀作が選ばれていない理由——2作とも2024年のベスト・ムービーに選出される可能性は高い——はここにある。また、ここで取り上げきれなかった以下の作品にも拍手をおくりたい。『ジョン・バティステ:アメリカン・シンフォニー』『アース・ママ』『Infinity Pool(原題)』『May December(原題)』『Menus-Plaisirs — Les Troisgros(原題)』『リアリティ/REALITY』『ヨーロッパ新世紀』『Smoking Causes Coughing(原題)』『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』『A Thousand and One(原題)』)

20位『オッペンハイマー』

(2024年日本公開決定、公開日は未定)

UNIVERSAL PICTURES

「原爆の父」と呼ばれた物理学者の生涯を描いた、クリストファー・ノーラン監督の壮大な伝記映画『オッペンハイマー』。主演を務めたキリアン・マーフィーの迫真の演技、恐ろしい沈黙と耳をつんざくような爆音の両方に重きを置いた緻密なサウンドデザイン、そして脇を固めるSAGの俳優陣がみごとな効果を発揮した(結果的に映画史上もっとも意外な2本立て上映となったことも、本作の評価に傷をつけることはなかった)。これらの要素が完璧に機能しているのは、ひとえにノーラン監督という巨匠の映画づくりに対する厳格なアプローチのおかげである。タイムリミットが迫るなか、バラバラになったパズルのピースがひとつになっていくにつれて、『インセプション』(2010年)で世間を驚かせた監督は、オッペンハイマーという20世紀最大の謎めいた人物の胸の内に迫ろうとする。本作は、ロシア革命に立ち会ったジャーナリスト、ジョン・リードの伝記映画『レッズ』(1982年)やアポロ計画以前のアメリカの宇宙開発を描いた『ライトスタッフ』(1983年)といった激動の時代を描いた作品を想起させる。大人による大人のための映画であるにもかかわらず、昨今の子供やティーンエイジャー向けの映画に見られるような熱狂と威厳によって仕上げられている点も特筆に値する。

19位『君たちはどう生きるか』

TIFF

スタジオジブリ最新作にして、宮崎駿監督の引退作と言われた長編アニメ作品『君たちはどう生きるか』。本作には、超自然的なイメージと可愛かったり不気味だったりする生き物たち、興奮、悲しみ、空白、沈黙、そして作品の根底に流れる感情の波といったものが織り込まれている。とりわけ、無限の共感と深い悲しみ、そして英知の色彩が強い作品である。太平洋戦争中に火事で入院中の母親を亡くした主人公の少年・眞人(声優:山時聡真)は、父親と東京を離れ、地方に疎開する。新しい環境を受け入れられずにいた眞人はある日、不思議なアオサギと出会う。どうやらこのアオサギは、重要な秘密を抱えているようだ。それは、眞人が自身のトラウマと向き合うための秘密の世界へのカギなのかもしれない。眞人に向けられた「悪意のない、美しさに満ちた世界を創造しなさい」という言葉は、本作を総括する深いステイトメントであるだけでなく、宮崎監督のいままでのキャリアを象徴している。仮に本作が最後だとしたら、アニメーション界の巨匠は有終の美を飾ったことになる。

18位『ボトムス 最底で最強?な私たち

(Prime Videoにて独占配信中)

PATTI PERRET/ORION PICTURES RELEASE

PJ(レイチェル・セノット)とジョシー(『一流シェフのファミリーレストラン』のアヨ・エビデリ)は、スクールカーストの最下級に属する、イケてない女子高生。親友であるふたりはある日、卒業前に憧れのチアリーダーたちの心を射止めるためにファイトクラブを結成する。果たして、学校イチの人気者に君臨するのは誰か? 『Shiva Baby(原題)』(2021年)で親戚の葬儀に参列した主人公が神経をすり減らしていく様子を描いたカナダ出身のエマ・セリグマン監督による本作は、あふれんばかりのリビドーと血だらけの拳、そしてハチャメチャなエネルギーに突き動かされた、ワイルドでアナーキーな学園コメディである。次世代コメディデュオが活躍する、Z世代向けの青春クライムコメディ『ヘザース/ベロニカの熱い日』(1988年)ともいえる。本作のレビューの全文はこちら。

17位『You Hurt My Feelings(原題)』

(日本公開未定)

JEONG PARK/A24

『You Hurt My Feelings(原題)』は、スコセッシ監督とロバート・デ・ニーロのコラボレーションに匹敵する——劇中の死者数は少ないが——ほろ苦いコメディである。ニューヨークのアッパーウエストサイドで暮らす小説家の妻(ジュリア・ルイス=ドレイファス)とセラピストの夫(トビアス・メンジーズ)を描いた本作を手がけたのは、『おとなの恋には嘘がある』(2013年)でタッグを組んだドレイファスとニコール・ホロフセナー監督。人気作家の妻はある日、「妻が執筆中の作品にまったく関心がない」と夫が友人に明かしているところを目撃してしまう。作家としての活動を支え、応援してくれていた夫は、実はずっと嘘をついていたのだ。それを知った妻は、夫への不信感を募らせる。ドレイファスにとっては、そのみごとな演技力を発揮するのにうってつけの筋立てであるのに対し、ホロセフナー監督にとっては、善良な人をウィットに富んでいながらも急所を狙う嫌な奴に変える絶好のチャンスとなった。このふたりには、もっとたくさんの映画をつくってほしい。

16位『Passages(原題)』

(日本公開未定)

MUBI

アイラ・サックス監督がもつれた三角関係をみごとに描き切った『パッセージ』。この三角関係の”ブラックホール”のような存在を演じたドイツ生まれの俳優、フランツ・ロゴフスキに拍手をおくりたい。ロゴフスキ扮するトマという横暴な映画監督は、同性のパートナーがいるにもかかわらず、クランクアップの打ち上げで出会ったアガット(『アデル、ブルーは熱い色』のアデル・エグザルホプロス)という若い女性と関係を持つ。パートナーのマックス(ベン・ウィショー)が嫌がるなか、やがてふたりは同棲をはじめるのだが……。サックス監督といえば、壊れゆく人間関係やリアルで過激なセックス(あるいはその両方)を描くインディペンデント系のベテラン監督として有名である。実際、本作はこうしたシーンに事欠かない。だがそれ以上に、芸術家としての生き方と、芸術家であるがゆえに世界は自分を中心に回っている——それが正しいかどうかはさておき——と思ってしまう人の性(さが)を表現した。

15位『Skinamarink(原題)』

(日本公開未定)

2023年のシンデレラ・ストーリーにもっともふさわしい異色作。カナダ出身のカイル・エドワード・ボール監督が放つ幽霊物語は、発掘された恐怖映像特有のざらついた感覚と、実験的映画ならではの言い回しを融合し、みごとな効果を生み出している。『パラノーマル・アクティビティ』(2007年)とアメリカ実験映画の母と称されるマヤ・デレン好きにはたまらない、希少なホラー作品である。真夜中に目を覚ました4歳の男の子(ルーカス・ポール)は、どうやら自分がひとりであることに気づく。父親と母親、そして姉(ダリ・ローズ・テルーオ)が順番に姿を消し、外の世界につながる窓やドアもひとつひとつ消えていく。天井に張り付いた人形や椅子を写した奇怪な映像は、なにか恐ろしいものが近づいてくることを予感させる。だが、その前に見知らぬ声が、「ナイフを取れ」と男の子にささやく。見捨てられ不安に長年悩まされている人は、醒めながら見るこの悪夢に飛び込む前に、スマホ画面にかかりつけのセラピストの電話番号を表示させておくことをおすすめする。形のない恐怖と幼少期の不安との間を自由自在に行き来する監督の手腕のおかげで、私たちはトラウマに関する実体験がなくても、それがどのようなものであるかを体験できる。身を委ねて、どこまでも不安を味わってほしい。

14位『ボーはおそれている

(2024年2月16日より日本公開)

TAKASHI SEIDA/A24

主人公は、ボー(ホアキン・フェニックス)という、病的なくらい怖がりの男。母親が他界したことを知ったボーは、ヒエロニムス・ボスの絵画から飛び出したかのようなダウンタウンから、海辺の実家を目指す。こうしたフロイト風の里帰りは、まずは考えるよりも行動するに限る。『ヘレディタリー/継承』(2018年)と『ミッドサマー』(2019年)を手がけたアリ・アスター監督の最新作は、魂がテーマの壮大なダークコメディである。同時に、母親の死という誰もが避けられない悲劇を、悲しみに沈む郊外居住者やPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ兵士、旅芸人の一座、そして怪物のような存在感を放つ母親を通じて、おとぎ話へと昇華させた。バロック風のタッチと先見性あふれる華やかな描写に満ちた本作は、マザコン男を描いた『市民ケーン』(1941年)と呼ぶにふさわしい。独自ジャンルの悪夢とは、まさのこのことである。

13位『ソウルに帰る

SONY PICTURE CLASSICS

アイデンティティ・クライシスを描いた、ダヴィ・シュー監督の『ソウルに帰る』。演技未経験のビジュアルアーティストのパク・ジミンが主役に大抜擢されたことは正直意外だったが、それ以上にその素晴らしい演技に驚かされた。自身の原点を探し求める若い女性を描いた本作には、さまざまな感情が織り込まれているのだが、この新人女優はこうした感情をほぼすべて活写した。パクが演じたのは、韓国で生まれフランスの養父母のもとで育ったフレデリック(フレディ)というZ世代の女性。ふとしたきっかけで韓国に帰国することになった彼女は、実の両親を捜しはじめる。パクは、昼は実の両親との絆を見出そうとする女性を、夜はティーンエイジャーと社会人のはざまを象徴するような、自由奔放な快楽主義者を演じながら、まるでジェットコースターのようにさまざまな感情を行き来する。見終わった後は、酔っ払って頭がクラクラするような珠玉の作品である。

12位『異人たち

(2024年4月19日より公開)

PARISA TAGHIZADEH/SEARCHLIGHT PICTURES

舞台は現代のロンドン。ある日、脚本家のアダム(アンドリュー・スコット)は、同じタワーマンションに住むハンサムな青年(イケメン俳優のポール・メスカル)と出会う。ふたりは瞬く間に恋に落ちるが、子供の頃から心を閉ざし続けてきたアダムは、青年との未来に漠然とした不安を抱いている。数日後、アダムはロンドンを離れ、幼少期を過ごした家を再訪する。そこにはなんと、30年前に他界したはずの父(ジェイミー・ベル)と母(クレア・フォイ)が当時のままの姿で暮らしていて、アダムを温かく迎え入れるのだった。40歳になった自分と両親が同い年のように見えることには、なにかワケがあるのだろう。アンドリュー・ヘイが脚本と監督を務めた本作は、記憶と家族、そして”やり残したこと”への比類なきオマージュであると同時に、「もし……だったら?」という筋書きを、愛することに臆病な男に向けられた静かな眼差しに変えた。本作を観れば、以前のような気持ちでは二度と帰省できないという。確かにその通りかもしれないが、この感動作は、私たちが良くも悪くも過去の記憶から逃れられないことを改めて教えてくれる。山田太一の小説『異人たちとの夏』の再映画化。

11位『American Fiction(原題)』

(日本公開未定)

CLAIRE FOLGER/ORION PICTURES RELEASE

大学教授で小説家のセロニアス・”モンク”・エリソン(ジェフリー・ライト)は、自分の小説が世間から見向きもされないことに苛立ちを感じていた。そんなある日、やけくそになったモンクは、ペンネームを使って超典型的な黒人小説を書くのだが、それが爆売れしてしまい……。エミー賞受賞歴を誇る脚本家コード・ジェファーソンの監督デビュー作となった本作を従来の風刺劇——例えば『Bamboozled』(訳注:アメリカの人種問題とエンタメ界を批判したスパイク・リー監督の映画)やポール・ビーティーの『The Sellout』(訳注:アメリカの人種差別問題を扱った小説)——になぞらえたとしても、本作が辛辣で死ぬほど笑えることに変わりはない。さらにジェファーソン監督は、広義のコメディという枠組みのなかで細やかな人間観察と心温まるファミリードラマを展開しながら、出版界を痛烈に批判し、きょうだいのダイナミクスを痛いほど的確にあぶり出した。それだけでなく、ジェフリー・ライトという当たり役にも恵まれた。ライトは、俳優人生最高の演技を披露することで、監督の期待にみごとに応えたのであった。

10位『バービー

WARNER BROS

60年以上前に生まれたファッションドールを売り続けながら、「こんなにたくさんの”お荷物”がついてくるおもちゃを、どうしていまだに買い続けるのだろう?」(ここでの”お荷物”は、多様性の欠如という比喩的な意味である。文字通りバービー用のキャリーケースが欲しい人は、お金を出して買えばいい)と消費者に自問させることは、簡単なことではない。グレタ・ガーウィグ監督は、バービーの実写映画がどこまでもピンクに染まることを覚悟していた。それだけでなく、ガーウィグ監督と共に脚本を手がけたノア・バームバックやプロデューサー兼主演のマーゴット・ロビー、さらにはタイムレスなケンを演じたライアン・ゴズリングといった関係者の名前を聞いて、きっとあなたはこの映画がバービーの長編プロモーション映像になることを予想したに違いない。それにもかかわらず本作は、自由な遊び心と、現実世界は必ずしもバラ色ではないという感覚のフィルターを通じて、壮大な自己実現の物語——イプセンの『人形の家』の領域に常に入り込むファッションドールの物語として、オーディエンスの意表を突いた。ガーウィグ監督と仲間たちは、バービーが背負い込んでいる”お荷物”から目を逸らすのではなく、それをひとつひとつ紐解きながら、本作をめくるめくメガヒット作に昇華させた。観終わった後も陶酔感が続く、21世紀最大のディスラプティブな大作映画をぜひご覧あれ。

9位『オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト』

(2023年12月22日より4週間限定公開)

JACLYN MARTINEZ/SUNDANCE INSTITUTE

詩人および写真家として活躍するレイヴン・ジャクソン監督による長編デビュー作『オール・ダート・ロード・テイスト・オブ・ソルト』のような作品に出会うたび、世界にはこうした作品がもっとあればいいのにと願わずにいられなくなる。車に轢かれながら、誰かにぎゅっと抱きしめられるような衝撃と心地よさ——本作は、観る人をそんな気分にさせると同時に、新しい才能の出現を告げている。1970年代前半のアメリカ・ミシシッピ州のとある町で暮らす黒人女性(カイリー・ニコール・ジョンソンが幼少期を、チャーリーン・マクルーアが20代の時期をそれぞれ演じた)の生涯を形式にとらわれずに活写するいっぽう、ジャクソン監督の視点を裏打ちする力強い女性たちを称えるこの成長物語は、はじまった瞬間から単なる映画ではないことを予感させる。それは人生と風景が絡み合うポートレイトが織りなす没入型体験であり、そこでは創り手の”声”が文字から音声へ、そして映像へと変換されながらも、その力を保ち続ける。

8位『The Delinquents(原題)』

(日本公開未定)

”完全犯罪”を描いた『犯罪者たち』。銀行員の男(ダニエル・エリアス)はある日、勤め先である銀行の金を奪い、同僚(エステバン・ビリャルディ)に託そうとする。男の計画は、自首して短い刑期をこなし、預けていた金を受け取ってハッピーな引退生活を送ること。だって、あと25年も同じ給料でつまらない仕事を続けるより、こっちのほうがずっといいに決まっているじゃないか。同僚はしぶしぶ同意し、男が奪った金を田舎に隠すのだが……。本作が初の長編作品となるアルゼンチン出身の映画監督・脚本家のロドリゴ・モレノの手にかかった結果、ありきたりな強盗映画よりもオーディエンスを考えさせる、はるかに哲学的で遊び心あふれる作品が誕生した。私たちは、働くために生きているのか? それとも、生きるために働くのか? あなたにとっての自由の価値とは? 1970年代に活躍したパッポズ・ブルースという南米のロックバンドの楽曲を起用したサントラのレコードはどこで手に入る? 実にいろんなことを考えさえてくれる作品である。

7位『落下の解剖学

(2024年2月23日より公開)

フランス出身のジュスティーヌ・トリエ監督によるサスペンス『落下の解剖学』。ドイツ人の女性作家(絶好調のサンドラ・フラー。後述の主演作『The Zone of Interest(原題)』も必見)の一家が暮らすフレンチアルプスの人里離れた山小屋で、女性の夫(サミュエル・タイス)が謎の転落死を遂げる。第一容疑者は、作家である妻。転落は事故か? あるいは殺人か? 裁判が進むにつれて、夫婦の不和が徐々に明るみになる。筆者の同僚は、本作を「スリラー版『マリッジ・ストーリー』(2019年)」と評したのだが、夫婦の言い争いが録音された音声が絶叫と罵り合いに変わる瞬間は、まさにその通りである。50セントの「P.I.M.P」のパッシブ・アグレッシブな使い方には、ボーナスポイントをおくりたい。

6位『コット、はじまりの夏

(2024年1月26日より公開)

BREAK OUT PICTURES

内気で寡黙な9歳の少女(キャサリン・クリンチ)は、夏休みを過ごすために農場を営む年配の親戚夫婦(キャリー・クロウリーとアンドリュー・ベネット)のもとに送られる。大家族のなかで孤独に暮らす少女は、徐々にこの新しい保護者たちに心を開いていくのだが、夫婦のほうも暗い過去を抱えている。そんな3人は、言葉を超えたコミュニケーションを通じて、絆を深めていく。アイルランド出身のコルム・バイレッド監督が愛しむことの大切さを綴ったこの感動作は、昨年のアイルランドの賞レースを席巻した。さらに本作は、クリンチのようにオープンで表現力豊かな役者がいれば、セリフがなくても無数の表情を伝えられることを改めて教えてくれる。これほど優美に観る人の胸を打つ作品には、そうそうお目にかかれない。

5位『ショーイング・アップ』

(2023年12月22日より4週間限定公開)

ALLYSON RIGGS/A24

ケリー・ライカート監督最新作『ショーイング・アップ』は、芸術作品(アートワーク)に取り組むことが一種の労働(ワーク)であることを教えてくれる映画である。コラボレーター兼ミューズとしてライカート監督と長年タッグを組んできたミシェル・ウィリアムズが演じるのは、アメリカ・オレゴン州のポートランドを拠点とする彫刻家の女性。自身の個展に向けて、必死に作品を仕上げようとしている。怪我をしたハトから無責任な大家(ホン・チャウが安定の名演を披露)にいたるまで、ありとあらゆるものが彼女の邪魔をしようとしているように思えるなか、個展の日が迫る……。ライカート監督の傑作(『オールド・ジョイ』[2006年]『ウェンディ&ルーシー』[2008年]『ファースト・カウ』[2019年])のほとんどがそうであるように、人間観察でもある本作は、不安定な生活を送るエキセントリックな人々に対する私たちの見方を改めさせてくれる。同時に、日々の面倒が重なることで人をじりじりと精神崩壊へと追い込むことを描いた、ドライなコメディでもある。だがそれ以上に、創造性を発揮するための血がにじむような努力の証、ひいては本作ほど深くて複雑な作品をいともたやすく自然に作り上げてしまう、ラインカート監督やウィリアムズのような真の芸術家たちの宣誓証言でもある。本作のレビューの全文はこちら。

4位『哀れなるものたち

(2024年1月26日より公開)

ATSUSHI NISHIJIMA/SEARCHLIGHT PICTURES

メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』をより面白おかしくし、辛辣でフェミニストにした『哀れなるものたち』。ヨルゴス・ランティモス監督版『フランケンシュタイン』ともいうべき本作の主人公は、エマ・ストーン扮するベラ・バクスターという若い女性。ベラは、顔に傷のある天才外科医(ウィレム・デフォー)によって死から蘇る。赤ん坊の脳を移植されたベラは、話すことからエチケットにいたるまで、すべてを学び直さなければならない。その過程でセックスの悦びを知ったベラを待つのは、厳格な教育とエンパワーメントのコンセプトである。脚本家のトニー・マクナマラ、ランティモス監督、ストーンという『女王陛下のお気に入り』(2018年)のトリオが再集結したことにより、女性が抑圧されていた時代が舞台の歴史コメディが完成した。確かに当時の女性は、結婚後は家庭に閉じ込められ、母親になることを強要され、所有物のように扱われていたかもしれないが、だからといって肉体的な快楽を感じなかったわけではない。男性にとっては、それが狂気の元となるのだ。ストーンのみごとな演技力によって、私たちはベラという堕天使が立ち上がって翼を広げ、科学を武器に自らの生き方を貫こうとする姿を堪能できる。観た後は、心が豊かになるような作品である。

3位『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン

MELINDA SUE GORDON/APPLE TV+

確かに、”傑作”という言葉は濫用されすぎてきたかもしれない。だが、現役で活躍している最高のアメリカ人監督との呼び声が高いマーティン・スコセッシ監督が放つ、権力と汚職、そしてアメリカの暗い過去を描いた壮大なドラマ(上映は約3時間半)を、その深みやスケール感を失わずに親密な物語に変えた本作を傑作と呼ばずして、いったいなにを傑作と呼べばいいのだ? デヴィッド・グランのベストセラーノンフィクション『花殺し月の殺人——インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』の単なる映画化というよりは、原作におくられた拍手喝采と呼ぶにふさわしいこの歴史ドラマがフォーカスするのは、白人のアーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)と先住民族・オセージ族のモリー・カイル(リリー・グラッドストーンの名演が光る)という夫婦の愛の物語である。舞台は、1920年代前半のアメリカ・オクラホマ州。オセージ族は、石油の発掘によって一夜にして莫大な富を得ていた。相次ぐ”謎の病”と殺人によって母親や姉妹を失ったモリーは、夫と地元の有力者である叔父(ロバート・デ・ニーロ)が一族の財産と土地の所有権、そして自分の命を狙っていると怯える。本作は、スコセッシ監督が手がけたなかでももっとも西部劇らしい作品であり、ジャズ・エイジの近代的精神とオセージ族の伝統文化——さらには、20世紀の白人至上主義の脅威——との衝突を際立たせたことで、何十年にもわたる映画界の神話を補正した。あらゆる点において圧倒的な作品である。

2位『The Zone of Interest(原題)』

(日本公開未定)

CINETEC

ジョナサン・グレイザー監督がマーティン・エイミスの2014年の同名小説を映画化した『The Zone of Interest』は、塀の外から舞い込んだ地獄絵図ともいうべき映画である。ナチス親衛隊の将校(クリスティアン・フリーデル)とその家族は、アウシュヴィッツ強制収容所を取り囲む住宅街で暮らしている。一家がプールパーティーを開いたり、友人たちを招いてアフタヌーンティーを楽しんだりするなか、遠くの収容所の煙突からは黒い煙がくすぶる。グレイザー監督は、私たちがよく知るホロコースト映像を一切使用せず、きわめて形式主義的なスタイルに徹した。そうすることで、おぞましい悪行が平然と行われる、身の毛がよだつようなプロセスをみごとに浮き彫りにしたのである。実際、本作を観ていると、犬の吠え声や銃声、さらには家の外の苦しみの音が気にならなくなってくる。まさに、組織の命令に盲従した人々によって行われる”凡庸な悪”を描いた作品である。将校の妻を演じたサンドラ・フラーの名演は、彼女が世界的に活躍するもっとも勇敢な俳優のひとりであることを確信させてくれる。

1位『パスト ライブス/再会

(2024年4月5日より公開)

TWENTY YEARS RIGHTS/A24

ソウルに暮らす少女ナヨンと少年ヘソン。幼馴染のふたりは、互いに恋心を抱いていた。だが、ナヨンの家族がカナダに移住し、ふたりは離れ離れになってしまう。それから数年後、ナヨン(グレタ・リー)とヘソン(ユ・テオ)は、オンラインで再会を果たす。ナヨンは”ノラ”という名前でニューヨークに暮らすいっぽう、ヘソンはいまも韓国で暮らしている。やがてオンラインでのやり取りも途絶え、ふたりはそれぞれの人生を歩む。ノラは作家のアーサー(ジョン・マガロ)と結婚する。そのことを知りながらも、ヘソンはニューヨークにいるノラのもとを訪れる。ノラはヘソンのためにツアーガイドを買って出る。観光を楽しみながら、失われた歳月を埋めるかのように気持ちを通わせるふたり。変わらない想いを胸に、ふたりはどのような道を選ぶのだろうか?

本作の脚本と監督を手がけたのは、韓国系カナダ人劇作家のセリーヌ・ソン。本物感あふれるニュアンスと、痛いほどリアルで、まるで昔から知っているような親近感を抱かせるキャラクターづくりが特徴の彼女は、あえて語らないという手法の魔術師のようだ。実際、ノラ、ヘソン、アーサーの3人は、言いかけた言葉やちょっとした沈黙、眼差しを通して自分の気持ちを表現している。ひとつひとつのためらいや沈黙には、各々の想いが込められているのだ。長編デビュー作である本作(監督自らの体験に材を取っている)において監督は、過剰にならずに観る人の涙腺を緩ませる、キャラクター主導の親密なロマンチックドラマづくりの手腕を証明した。また、グレタ・リーが役者としてのポテンシャルをフルに発揮する機会にいままでずっと恵まれてこなかったことにも気づかされる。それほどまでに、ノラという女性の複雑な心の内をみごとに演じ切っているのだ。だがそれ以上に、一見、報われぬ恋がテーマのシンプルな物語であるように思える本作は、奥行きや感情、ひいては映画よりもはるかにスケールの大きなエモーションを感じさせる。筆者は本作を1月に観たのだが、そのときすでに2023年のベスト・ムービーであるという確信を抱いた。それからしばらく経ったいまも、そう確信している。本作のレビューの全文はこちら。