日本テレビ系特番『箱根駅伝 伝説のシーン表と裏 3時間SP』が、きょう30日(18:00~)に放送される。

  • MCの内村光良(左)と生田絵梨花

デッドヒートにアクシデント…自然との戦いが生んだ伝説のシーン

東京の大手町から箱根の芦ノ湖まで、2日間で往復217.1キロを10人でつなぐ箱根駅伝。その最大の敵は“自然”だ。大雨、強風、霧、大雪…その過酷な戦いは、数々の伝説を生んできた。2001年、中継車も揺れるほどの強風の中、ゴール手前2キロから繰り広げられた3校による伝説のデッドヒート。2011年には気温マイナス1.9度で路面が凍結、まさかのアクシデントが発生。さらに、過酷な寒さに加えて脱水症状や低血糖…限界を迎えながら、なおも走ろうとするランナーたちの思いを紹介する。

スタジオでは、ゲストの柏原竜二と和田正人が、ランナーたちの意外な寒さ対策や、沿道の声援を浴びている時の心境など、“ランナーあるある”を披露する。

天才ランナーを襲った悲劇…伝説シーンの裏側を羽鳥慎一が直撃

100回の歴史の中で数々のスターを生み出してきた箱根駅伝。中でも“天才”と呼ばれたのが、2002年(第78回大会)で法政大学のキャプテンを務めた4年生・徳本一善だ。茶髪にサングラスの派手ないで立ちと、他を圧倒するスピードで注目を集めた徳本は「もう箱根は一生走れない。もう1回やりたいと思わないようなレースをしたい」と、悔いの残らない走りを誓ったが、大会当日、まさかの悲運に見舞われてしまう。エースが集う2区を任された徳本は、走り始めて5キロを過ぎたところで右脚に肉離れを起こし、急失速。足を引きずりながらも走り続けたが、監督に止められて無念のリタイアとなった。当時、実況を担当した羽鳥は、チームメートに泣きながら謝る徳本の姿を見て「痛々しさしかなかった」と振り返る。

あれから21年。現在は監督として駿河台大学駅伝部を率いる徳本を羽鳥慎一が直撃。あの時、徳本は激痛の中で何を思っていたのか。止めに入った監督の判断をどう思っているのか。そして箱根の後、どん底だった徳本を救った父との思い出、その全てを激白。さらにスタジオでは、徳本と同期の和田が、当時のエピソードを語る。

2代目「山の神」柏原竜二の今だから話せる壮絶なドラマ

往復217.1キロの中で最も過酷といわれるのが、往路の最終区となる5区。小田原から芦ノ湖まで20.8キロメートル、標高差840メートルを駆け上がる“山上りの5区”を制した者は「山の神」と呼ばれる。その過酷な5区に、2009年(第85回)、突如スターが現れた。9位で襷を受け取った東洋大学1年・柏原竜二は、前を走る8人をあっという間にごぼう抜き。「2代目・山の神」と称えられると、そこから4年連続で区間賞を成し遂げ、東洋大を往路4連覇に導いた。しかし、その裏には誰も知らない壮絶なドラマが。「練習に身が入らない時期もあった」と振り返る柏原。今だから話せる真実とは。

さらにスタジオには、柏原が10年前に使用していた貴重なシューズが登場。「山の神」の強さの秘密が明らかになる。

早稲田大のエース・櫛部静二が語る、どん底から救ってくれた瀬古利彦の言葉

箱根駅伝13回の優勝を誇る強豪・早稲田大学。中でも“花の2区”を走ってきた早稲田の歴代エースは、日本を代表するランナーばかり。1991年(第67回)、1年生ながら2区に抜てきされた櫛部静二もその一人だ。だが、若き天才・櫛部を悪夢が襲う。トップで襷(たすき)を受けたにもかかわらず、突如、走れないほどフラフラの状態になった櫛部は14位に転落。チームも惨敗に終わった。あの時、櫛部に一体何が起こっていたのか。レースの後、失意の櫛部を救ったコーチ・瀬古利彦の言葉とは。あれから32年、52歳になった櫛部が全てを語る。

さらに、現在、城西大学で監督を務める櫛部には、忘れられない教え子がいた。「私と同じ失敗によって苦しんだ」…かつての櫛部と同じ苦しみを味わい、そこから這い上がった生徒の知られざるエピソードにスタジオも涙となる。

伝統校の復活優勝を支えたのは、萩本欽一!?

2015年、73歳で駒澤大学に入学して世間を驚かせた、萩本欽一。入学式の日、駒澤の門をくぐった萩本は、ある人物に声をかけられたという。「駅伝の大八木監督。“よかったら生徒に顔を出してあげてください”って」。実は、萩本が入学する3カ月前、駒澤は箱根駅伝で優勝を逃していた。その責任を最も感じていたのは、5区を走った馬場翔大。低体温症に陥って大失速した馬場は、自分を責めて駅伝を辞めることすら考えたという。そんな馬場を見かねた大八木監督から「励ましてほしい」と頼まれた萩本は、選手たちにある言葉を贈り、その後も選手たちと積極的に触れ合った。すると、選手だけでなく監督の意識も徐々に変化していき、やがて2021年(第97回)、駒澤大学は13年ぶり7度目の総合優勝を果たすことに。萩本がチームに贈った言葉、知られざる秘話をテレビで初めて語る。

徳光和夫、石田ひかり…箱根を愛する有名人が選ぶ伝説シーン

箱根駅伝を地元・茅ケ崎で応援すること64年の徳光和夫が、忘れられないベストシーンを発表。ゴールまで残り120メートル、4チームが横並びで激走するデッドヒートの中でまさかの珍事件。64年間も箱根を見てきた徳光も「かなわない」とお手上げの「駅伝おばさん」とは。そして徳光が最も感動した伝説のシーン、2006年(第82回)、順天堂大キャプテン・難波祐樹を襲ったアクシデント…その裏にあった真実が明らかに。

さらに、毎年のように箱根駅伝を応援している石田ひかりも登場。「家のそばを走って行かれるので、沿道に出てご近所さんと一緒に応援しています」と言う石田。20年以上も箱根を見てきた石田が「本当に、涙なくして見られない」と振り返る感動シーンとは。

わずか30メートルの激走…夢を追い続けた男の知られざる物語

2015年(第91回)、順天堂大の7区を走る4年生・稲田翔威に、水を渡した一人のランナーがいた。小盛玄佑、当時27歳。高校時代に駅伝で日本一に輝きながら経済的な理由で進学を断念した小盛は、地元の製鉄会社に就職したものの、箱根の夢を諦めきれなかった。5年間必死に働いて入学費を貯め、念願の順天堂大に入学した小盛。だが、5年間のブランクは大きすぎた。27歳、4年生の小盛が迎えた最後の箱根駅伝。肩にかけたのは襷ではなく、給水係のビブスだった。花の2区でも、山上りの5区でもない、給水係として水を渡すためだけに走った、わずか30メートル。そこに青春の全てをぶつけた男の知られざる物語とは。あれから8年、35歳になった小盛は今、何を思うのか…。

100年に一度の事件簿…池井戸潤のメッセージも

箱根駅伝100年の歴史の中で起こった信じられない事件を、関係者の証言や再現ドラマで振り返る。レース中に起こったアクシデントのおかげで区間新記録!? 警備中の警察官が駅伝ランナーに!? 前代未聞、アレを忘れたランナーとは!?

さらに、2009年から箱根駅伝のテーマソングを手がけている作曲家・久石譲と、箱根駅伝の大ファンだというベストセラー作家・池井戸潤のメッセージも。池井戸が最も心を打たれたという、箱根駅伝のもう一つの物語とは。

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