スクールバスに乗った26人の子どもたちが不可解な状況で誘拐された実在の事件を、米CNN/Max共同制作の新作ドキュメンタリー『Chowchilla』が検証している。
物語は世間が驚愕した事件で幕を開ける。1976年、児童26人(と運転手)を乗せたスクールバスが、米カリフォルニア州中部ののどかな町チャウチラで乗っ取られた。誘拐された被害者は2台のワゴン車に移され、バスの先導でさびれた採石場へと連れていかれ、マットレスが敷き詰められた地下室で生き埋め状態にされた。こんな町では到底ありえない出来事だった。
70年代のカリフォルニアはゾディアック殺人事件に始まり、パトリシア・ハースト誘拐事件、ジム・ジョーンズ集団自殺など不吉な事件が相次いだ。こうした狂気一直線の物語と比べると、効果的かつ洗練された手法で語られるCNN/Maxの共同制作ドキュメンタリー『Chowchilla』の物語は、そこまで大ごとではなかった。だが共感度と奥深さという点では決して引けを取らない。幼少期のトラウマがもたらす影響や罪と罰が如実に語られる一方、数人の逞しい子どもの姿に胸を打たれる。そのうち14歳の少年は仲間を暗闇から救い出したが、しかるべき評価を与えられることはなかった。
白のカウボーイハットを被ったマイク・マーシャルさんはロデオ愛について、そして47年前に起きた恐怖の36時間を淡々と語った。自画自賛するタイプではないが、彼こそが土をかき分け、地中に沈んでいく27フィートのワゴン車から這い出した人物だ。当時は誰にも功績を認められなかった。バスの運転手で、現場にいた唯一の成人エド・レイ氏がほとんど世間の称賛を独り占めした。だが今や大人になった他の子どもたちは、マーシャルさんこそが英雄だと断言する。
その後マーシャルさんは辛い経験が頭から離れず、アルコールと薬物に溺れた。バスに乗っていた他の子どもたちも同様だった。なかなか消えない悪夢。猜疑心。無感情。薬と酒。当時チャウチラ事件の子どもたちを診察したトラウマ専門の精神科医レノール・C・テール氏は、ある意味彼らは初めてのケースだったとインタビューで語っている。当時、幼少期のトラウマの犠牲者についての研究は今ほど成熟していなかった。現在なら、たとえば銃乱射事件が発生すれば、カウンセラーがすぐに飛んでくる。だが当時は、地球上で一番ハッピーな場所に連れて行けば治るだろうとの考えから、子どもたちはライオンズクラブの計らいでディズニーランドに連れていかれた。
3人の犯行グループの捜索はほどなく終了した。『チャウチラ』の前半で視聴者は(おそらく事件について初めて知る人がほとんどだろう)、「誰がいったい、なぜこんなことを?」と問い続ける。だが答えは予想外だ。首謀者のフレデリック・ウッズは裕福な若者で、家族はMagic Mountainという遊園地のオーナーだった。バカな男は自由に使える金欲しさに、500万ドルの身代金を要求すれば望みが叶うと思ったのだ。犯人らは映画『ダーティ・ハリー』から着想を得たと思われる(映画のクライマックスでは、いかれた男がスクールバスを乗っ取って採石場に誘導する)。必然的に3人は刑務所に送られたが、仮釈放が認められたため、生還した被害者が犯人を再び塀の中に戻そうとするもう1つのストーリーが展開する。
ポール・ソレット監督はアーカイブ映像、とりわけ事件を報道した当時のTVニュースを巧みに使い、時代感や空気感、子どもたちを乗せたスクールバスが忽然と行方をくらました当初の困惑や、生還後の晴れやかな歓喜を見事にとらえた。また迫真に迫る再現ドラマも盛り込んでいる。子役のセリフは一切ないが、その必要はない――表情がすべてを物語っている。ドキュメンタリーの中に登場するインタビューも衝撃的だ。ラリー・パークさんは事件当時やその後の出来事を回想しながら、あたかも追体験しているかのように、うつむいて身を縮こませる。一言でいえば、これがトラウマだ。最終的にパークさんは、自らの魂と精神を救済すべく牧師になった。本人の言葉を借りれば「僕は犯人を許すことができないので、神に許してもらいます」 とはいえ、最後にはパークさんも赦しを与える。
繊細かつ確固たるドキュメンタリー手法で制作された『Chowchilla』には、派手さやニュース性や話題性はまったくない。その後の人生を形成する事件に見舞われた子どもたちにとって、この作品はひとつの節目であり、また辛く奇妙な時期をまざまざと思い出させるタイムカプセルだ。
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