コーシャス・クレイが語るジャズとポップを繋ぐ感性、上原ひろみやBTS・Vへの共感

億単位のストリーミング総再生回数を記録し、テイラー・スウィフトにサンプリングされた2017年のデビュー曲「Cold War」で知られるコーシャス・クレイ(Cautious Clay)。彼にとって2023年は、ジュリアン・ラージやイマニュエル・ウィルキンスらジャズシーンのトッププレイヤーを起用したアルバム『KARPEH』を名門ブルーノートからリリースしたうえに、V(BTS)「Slow Dancing」のリミックスも手掛けるなど進化の一年となった。

11月中旬には、ブルーノート東京で初の来日公演が実現。フルートもサックスもうまいし、歌声も素晴らしい。なにより、ジャズと歌ものがシームレスに繋がった楽曲の面白さで満ち溢れていて、想像していたよりもずっと凄まじい才能に驚かされた。

コーシャスは音大でジャズを学び、アーティストを夢見ながらも一度は不動産業に就職し、働きながらも音楽を続け、今の成功を掴んだ苦労人でもある。彼がどうやって成功をつかんだのか、それについてどう考えているのか興味があった。さらに、「Cold War」によって先にポップシーンで大成功したあと、そのイメージを覆すように自身のジャズを掘り下げた『KARPEH』を世に送り出したことの真意や、作品に込められている祖父を中心とした自身のルーツへの思いなど、『KARPEH』の特異さや深みをもっと掘り下げたいとも思っていた。ブルーノート東京の楽屋で行なった2度目のインタビューで、コーシャスはリラックスした雰囲気で語ってくれた。

2023年11月、ブルーノート東京にて撮影(Photo by Makoto Ebi)

―まずは前回に引き続き、ジャズにまつわる話を聞かせてください。大学でジャズを学んだことは、今のあなたの音楽にどんなプラスがあったと思いますか?

コーシャス:テクニックと学んだ知識によって、自分のアイディアを文脈化するのに役立ったから、結果として自由を手に入れたんだと思う。そもそも僕がジャズを好きなのは、ジャズには自由があるからだよ。アイディアを現実に変えるには自由が必要だ。知識を得ることで自由を得られるんだ、ジャズは他の音楽以上にね。

―自由の在り方、自由になる方法を学んだ、ということですか?

コーシャス:そう。人って物事を知れば知るほど「これだけ知っているから自由じゃない」と思いがちだけど、何を知っているかではなく、その知識から得るエネルギーや興奮が大切なんだ。知識があると「自分は知っているから心配しなくていい」と思うかもしれないけど、そうではなくて、知識は何かに応用するためにあるのだし、そこから興奮を得るためにある。関心あること、興奮できることを見つけるってとても大切なことだから。

―それをあなたに教えてくれた人がいるとしたら誰ですか?

コーシャス:大勢いるけど、フルートの先生だったグレッグ・パティーロ。彼はフルートを使って色んなことをしていたし、ものすごく広い知識を持っていた。だからと言って「クラシック音楽っていうのは……」と知識をひけらかすようなことはしなかったよ。その豊富な知識を応用して、新しく楽しくて面白いことに変えてた姿は、僕の手本になった。もう一人、いい例がジミ・ヘンドリックスだ。もしくはマイルス・デイヴィス。持てる限りの知識を自分のアートに応用した。期待されるものに応用するんじゃなくてね。

Photo by Makoto Ebi

―学校で勉強していた頃から、ジャズ・ミュージシャンになろうと思っていたのですか? それともその頃から今のような形を想像していましたか?

コーシャス:後者かな。どんな時も広く捉えていたよ。15〜16歳でジャズが大好きになったけど、それ以前に好きで聴いていた色々音楽はあった。でもクラシックやジャズは「勉強、勉強、勉強」ばかりで、気が削がれちゃったんだ。僕は音楽を作るクリエイティビティが好きなのであって、勉強が好きなわけじゃない。それで、プロデューサー、ソングライターになろうと思ったんだよ。そっちの方が制約が少ないからね。スケールや音を勉強することもちろんそれもやったけど、それよりは自分なりのやり方を見つけ出せればいいと思っていた。それにうまいプレイヤーが多すぎてね……「自分は別のことをやろう」と思ったのもある。

―とは言え、ジャズを学んだことは、ソングライターやプロデューサーになる上で役にも立ったはずですよね?

コーシャス:間違いなくイエスだね。自分が得た知識を恥じたり、悲しんでるわけじゃまったくないよ。常に「もっと知りたい」と思っていたから。ただ音楽を勉強するのは得意じゃなくて、成績はそこそこだったんだよね(笑)。僕にとって音楽はあくまでも直感的なもので、自然にできてしまうことだった。聴けばすぐに理解できるものだったんだよ。自分でもなぜそうだったのかわからないけど、そうだったんだ。僕が好きなアーティストたちは皆、自分のサウンドを持っているんだ。

そうだ、たまたまなんだけど……(来日公演にも帯同した)バンドのギタリストのニア・フェルダーは、上原ひろみと学校が一緒だった。僕は彼女の大ファンだったんだよ。10歳以上くらい彼女の方が年上なんで、こちらはまだガキで、ジャズを勉強してた頃だけど、独特の指のロールの仕方がすごくユニークだなと思った。そんなふうに各プレイヤーが持つちょっとしたことが理由で好きになることが多かったんだ。何が彼らを特別にしているか、なんだよね。だから、僕が作曲したり、クリエイトする過程でインスピレーションになったのは、何をおいても「まずは自分の耳で聴いたこと」だった。だって、聴こえてくるんだ、たくさんのことが聴こえてきたんだ。

ジャズとポップを横断する自由な感性、Vとコラボした経緯

―ジャズを学んでサックスやフルートを吹いていた頃から、今のようなシンガーソングライターとして成功するためにどんなプランを描いていたんですか?

コーシャス:プランはなかったかな(笑)。パッションだよ。それに運良く、多くの人が気に入ってくれる声をしていただけだし、しかも、歌い始めたのも遅かった。サックス、フルート、プロダクション……あと、大学で何年もDJもしてたね。それはプランというよりは、音楽に関するすべての要素が好きだっただけなんだ。ものすごい変わったジャズからポップなものまでみんな好きだった。このコンプレッションが……とか、このプロデュースの仕方が……とか、この1つの音が他の音を思い起こさせる……とかそんなふうに原因は色々。とにかくたくさん聴いて、技巧への熱い思いとリスペクトだけは持ってた。粘り強くね。僕には確信があった。だから、今の自分がいるんだと思う。

―確信……具体的に言うと?

コーシャス:たとえば、人って仕事に関して、大変な決断をしなきゃならない時ってあるよね? 仕事によってはただこなすだけで、批判的に考えずにできるものもある。でも僕は批判的に物事を考えたり、クリエイティブな仕事が好きなんだ。そう確信を持って言えるよ。パッションがあるんだ。サウンドを作るという技巧のあらゆる要素に対して興味がすごくある。音楽に限らず、サウンドを作ることが大好きなんだ。本来は一つにならないように見えることの中に関係性を見つける……これは太陽みたいに見えるけど、実際は違う……みたいな。上手く言えないけど。なんとかそれを説明する方法を見つけたいってずっと思ってるんだよ。

―人生の一時期、不動産の仕事をしてたり、かなり回り道をしてきたそうですよね。それでもミュージシャンになれる確信があったと。

コーシャス:うん、そうだったんだと思う。自分に作れるものをすべて作る方法を理解したかったんだ。音楽業界の悲しい点の一つは、あらゆる場面でアーティストとしての自由にクリエイトする能力を奪おうとする人たちがいるってこと。だから僕は音楽プロデューサーになる道を学び、曲を書き、自分で歌い、ミックスし、リリースした。ずっとインディペンデントなアーティストとして……きっと今だってまだある部分で僕はインディペンデントなアーティストなんだと思ってる。

だから、さっき僕が「確信」と言ったのは、自分のやっていることの意味を探し続ける道を僕は進み続けるし、進むことを止める気はないってことだね。楽しんでやっていることだから。それが当たり前のことだとは思いたくないんだ。

―億単位で再生されている曲をもつ一方で、ジャズの名門レーベルからアルバムを出している。それでもインディペンデントで自由でいるために必要なことはなんですか? それって若いアーティストが皆、知りたがっていることだと思うんですよね。

コーシャス:僕の場合はタイミングがすべてだった。不動産の仕事をしていた22歳の時点で、一人で音楽制作を行い、SoundCloudである程度のフォロワーがいた。その頃、出会ったマネージャーがありがたいことに、いいやつだったんだよ。音楽業界に通じていて、僕があらゆるプロセスにおいて自由にできる道を取り付けてくれて、助けてくれた。レーベル、音楽出版会社、ライセンス会社などは、アーティストにとって理解できないと脅威に思える存在だよね。でも、僕は時間をかけてそこらへんのことも学んだんだ。だから怖気付くことはないんだよね。

『KARPEH』は本当に贅沢に作らせてもらったアルバム。その時点で僕にはファンベースができていたし、自分一人でインディペンデントに作ることを心掛けた。ブルーノートのようなレジェンドレーベルから発表できたのは、僕にとっては素晴らしい機会だったけど、レーベルにとってもいい話だったんだよ。一から何かをしなくてもいいだけのファンベースが僕にはあったわけだから。もちろん、すごく手伝ってもらったけどさ!(笑)。いずれにせよ、両者にとって好ましい形だったということだよ。

―今まであなたが作ってきたポップでキャッチーな歌ものと比べると、『KARPEH』はかなり実験的ですよね。これまでのファンはかなり戸惑うんじゃないかと思うのですが。

コーシャス:それは大いにあったと思う。ただ、これが自分のやりたいことだったから。ポップミュージックは大好きだけど、ビッグなポップ・アーティストになりたくて音楽を始めたわけじゃない。自分が作りたい音楽を作るのが好きなんだ。理由はそれだけ。それでも驚いた人はいただろうね(笑)。でも僕はこの仕事を長くやっていくつもりだから、これからずっとジャズ・アルバムだけを作っていくつもりもない。

ジャズは大好きだし、その自由さも大好き。自分のアイデンティティ、カルチャー的な要素、その中での経験、母も父もジャズが好きだったので、ジャズを聴いて育ってきたし馴染みがあった……そういう背景があったから、自分に語れる音楽だと感じたんだ。それに新しいファン、これまでとは異なるファンを開拓したかったのもある。「この1曲しか聴きたくない」ってことじゃなくて、僕のやること全部をリスペクトしてもらえれば……と思ったんだ。みんなを疎外してなければいいんだけどね(笑)

―ジャズをやってきた自分の、アーティストとしての大事な部分を知ってもらうための名刺、という意味もあったんですかね。

コーシャス:それは絶対にあった。僕はジャズを理解しているし、ジャズから多くをもらって感謝してるけど、同時に僕はジャズ・ミュージシャンではない。でも僕の体験の一つではあるから。

―フルートのことも聞きたいんですが、フルートのどんな所に魅力を感じていますか?

コーシャス:柔軟性かな。僕は誰よりもうまいフルート奏者ってわけじゃないけど、先生だったグレッグからたくさんのトリックを学び、そこから自分だけのプレイスタイルを作ることはできたと思っている。フルートってかわいい音色だと思われがちだけど、実は様々なサウンドを出せる点が魅力なんだ。

―サックス、トランペット、クラリネットにはもう少し構造が複雑で「機械」って感じがしますけど、フルートは筒に穴を開けただけで。

コーシャス:本当にそうだよね。っていうか、なんだってフルートになる。これだってフルートさ(と言って、手元のペットボトルを吹く)。だから好きなんだ。なんだってありなんだよ。

―でもローランド・カークやエリック・ドルフィーを見てもわかるように、技術があれば奇妙な音も出せると。

コーシャス:その通り。ドルフィー、ローランド・カーク……そして理由は違うけど、キャノンボール・アダレーも、大好きなサックス奏者だ。彼らは当然ながら、もの凄いテクニカルなんだけど、サウンドやエネルギーからアプローチしている。パンクなんだ。エネルギーって部分で、ジャズとパンクには関係性があると僕は思ってる。でも人は忘れがちなんだ、特にジャズのコミュニティの人たちはね。実際、ジャズはパンクだよ。

Photo by Makoto Ebi

―V「Slow Dancing」やあなたが手掛けたリミックスでも、フルートの演奏がすごく活きてますよね。

コーシャス:あれはすごく面白い仕事だったな。彼は僕のことを数年前、少なくとも去年から聴いてくれてたらしく、1年前にVlogでドライブをしながら僕の曲、ジョン・メイヤーとコラボした「Swim Home」を歌ってくれたんだ。で、1年後に彼のチームから連絡があり、「Slow Dancing」という新曲に参加してくれないかと打診された。それで1分半のフルートソロを吹いたんだよ。その後、リミックスの話も来たのでそれもやったんだ。すべて最高だったよ。彼はいろんなアイディアにオープンで、フルートソロを入れるっていうことに対してもそう。Vのアルバム(『Layover』)は他にも、インストゥルメンタル・ジャズの要素が感じられる曲もあって、すごく良かったよね。今回の来日中にVと会いたかったんだけど、残念ながらタイミングが合わなかったね。

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「ブラック・エクスペリエンス」と自身のルーツへの思い

―話は変わりますが、『KARPEH』を作る上で、リベリアのクル族にルーツを持つおじいさんのことを調べたそうですね。その話を聞かせてもらえますか?

コーシャス:母から話で聞いていて、興味が沸いたのでさらに調べてみたところ、とても興味深くてね。クル族は西アフリカのガーナとかリベリアに住んでいて、彼らは海の探検者だった。船で航海し、漁をしたんだ。そもそも英語のcrew(船員)という言葉は、クル族のKuruから来ているのさ。1500〜1600年代にヨーロッパから渡来した者たちによってそう呼ばれたことからね。

―わざわざ調べるくらい知りたいと強く思ったきっかけは?

コーシャス:祖父は僕が生まれた年に亡くなったんだ。そしてなかなかの人物だった。リベリアのクル族の出身で、ドイツの医学大学で学び、医者になった。ドイツ語、フランス語、イタリア語、英語を含む7ヶ国語を喋り、世界中で子供を作った(笑)。母は兄弟たちとドイツに5年間暮らしたが、祖母が祖父と離縁したので、祖母に連れられてアメリカに移ったんだ。なので、僕も祖母が亡くなるまでは会っていたけど、祖父のことは何も知らずじまいで、知りたいと思ったんだ。アメリカに生きるアフリカン・アメリカンの祖先の多くが奴隷として連れられてきたのとは違い、母方の祖父母はどちらも移民として移ってきた。当然、彼らの人生のストーリーは他とは違う。それで知りたかったんだよ。

―そういったルーツにまつわるストーリーを、このアルバムで残したいという気持ちもあったということですか?

コーシャス:そうだね。そこで終わりではなく、永続させたかったんだ。我が家のストーリーは珍しい話ではないかもしれないが、決してどこにでもある話でもない。アメリカでは特に、アフリカン・アメリカンの辿ってきた人生は「こういうもの」という一つのパターンで捉えられがちだ。だから僕が知る、そして共感する自分の経験を語りたかったんだ。

―UKにサンファというシンガーソングライターがいますけど……。

コーシャス:ああ、サンファ!

―彼が今年発表したアルバム『LAHAI』は、祖父母がシエラレオネの出身だということを反映した内容でした。そして、イギリスに移る前の世代の記憶を、自分の子供達にも伝えたい、残したい……という意図があると本人から聞きました。その話に通じるものを、あなたの『KARPEH』にも感じたんですよね。

コーシャス:ああ、それは何世代も前からあったことだとは思う。ここ1〜2世代とかね。サンファはイギリス人なので、僕とは体験してきたことも違うだろうけど……というか、アフリカン・アメリカンが経験したことは、世界のどことも違っている。とても複雑なんだ。アメリカンであることと、アフリカン・アメリカンであることは違う話だしね。アメリカの歴史の多くはアフリカン・アメリカンの歴史でもあるので、二つは決して別ではないのに、いろんな部分で別のものとして捉えられている。

例えば、ジャズやヒップホップもアメリカが生んだもの……とされているけど、そこにアフリカン・アメリカンの歴史が絡んでいることとは切り離そうとする。人種差別が存在したのは過去の話だから、と言わんばかりにね。この話をし出したらすごく長くなるね(笑)。だからこの辺にしておくけど、僕個人はブラック・エクスペリエンス、もしくはアフリカン・アメリカンの体験ーーいや、やはりブラック・エクスペリエンスと言おうーーをネガティブに反映するのは好きじゃないんだ。苦しみやネガティビティは語り出したらキリがないくらいあるんだけど、僕自身はそのことに興味があるわけじゃない。そうではなく、複雑かもしれないけど、人間が体験したストーリーに興味があるんだよね。

Photo by Makoto Ebi

―『KARPEH』を聴きながら、あなたがブラック・エクスペリエンスに関心があるから、同じようにブラック・エクスペリエンスを作品に反映させているイマニュエル・ウィルキンス、アンブローズ・アキンムシーレのような音楽家を迎えているのかな、とも思ったんです。

コーシャス:もちろん、そうだね。

―イマニュエルと以前話したときに、ゴスペルとかアフリカ音楽の深い話を聞かせてもらったんです。そういう部分で何か通じるものがあるのかな、と思っていました。

コーシャス:うん、すごくあるだろうね。僕は「New Negro Era(ニュー・ニグロ期=ハーレム・ルネッサンス期。1910〜1930年代半ばのハーレム)における人種とジェンダー」の授業を専攻して学んだんだ。ジェンダー研究、アフリカン・アメリカン研究、ブラック・ディアスポラ研究……そういうことに関して思うところはたくさんあるし、とても興味がある。人の体験は本当に様々だ。特にダークな肌をした者はね。それぞれに素晴らしく、それぞれが違う。例えば、僕と、バハマに住んでいる僕と同じような肌の色をした人の間には、何の関係もない。むしろ僕と君たちの方が似てるかもしれない。それなのに肌の色が一緒だというだけで、同じだという目で見られる。逆にそれで、自分と何の関係もないと思える人たちとの繋がりを考えることにもなるわけだけど。そうやって人間それぞれの体験が、人の物差しでジャッジされるのは不幸なことだよ。そういうのは存在しなければいいなと思う。その方が本当はいいんだ、そうすれば皆がポジティブな形で繋がれる……って、僕はなんでこんな話をしたんだろう?(笑)

―いえいえ、大事な話です。

コーシャス:イマニュエルは僕とはまた違う体験をしてきてるはずだと思ったのさ。でも二人ともアメリカの出身で、アフリカン・アメリカンであるがゆえに共感できる部分もある。僕らはみんな自分たちではコントロールできない体験によって、どこかで繋がっているってことだね。まあ、僕とイマニュエルの場合は、音楽を通じて繋がっているというのもあるしね。

だって、街を歩いててたまたますれ違った黒人の知らない誰かと、僕らは繋がっているのか? 繋がる唯一の要素は肌の色ってだけだろ? そんなのバカらしいよ。「韓国にいる誰かと君とじゃ、まるで体験してきたことは違うから繋がりはない」とか「君たちは見た目が似てるから繋がってる」とかさ。人間って、人間に対して、本当にいろんなことを推定するものなんだなって、そう思うんだ……ごめんね、重い話で。

―本当に大事な話だし、おっしゃっていることはよくわかります。僕らと韓国人と中国人は見た目は似ているけど、文化は全く違っているわけで。

コーシャス:そうなんだよ!

―言葉も違うし。

コーシャス:文化も違う。

―でも歴史を遡ると、すごく深く繋がっている。だから共通点はたくさんあるんです。違うけど、同じなんですよね。

コーシャス:本当にそうだと思う。とても興味深いよ。確かにみんな繋がっている。でも違う部分の良さもすごくある。そこを正しく、オープンに認識できればいいなと思う。実際、認識している人たちも大勢いるよ。もっといてくれればいいんだけど……だから僕は旅するのが好きなんだ。自分とは違う人たちの体験の中に身を置き、体験することができるのは、とても恵まれたことだと思う。

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コーシャス・クレイ

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