1993年12月25日、人気絶頂の司会者が、48歳の若さでこの世を去った。フジテレビアナウンサーからフリーになり、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』(日本テレビ)、『たけし・逸見の平成教育委員会』(フジテレビ)など、各局で高視聴率番組を抱えていた逸見政孝さん。異例の“がん告白会見”の衝撃が冷めやらぬ中でのクリスマスの訃報に、日本中が悲しみに暮れた。
『SHOW by ショーバイ!!』をはじめ、『夜も一生けんめい。』『いつみても波瀾万丈』と、逸見さんが出演していた日本テレビの全レギュラー番組のプロデューサーだったのが、後に日テレ社長も務めた小杉善信氏。「一生であんなに泣いたことがない」という別れから30年の節目で、思い出を振り返ってもらった。
後編では、あの“がん告白会見”の舞台裏から、病室での最後のやり取りを回顧。そして逸見さんが去って30年が経った今、試練を迎えているテレビへの提言とは――。
異例の会見は“宣戦布告”だった
――93年9月6日、逸見さんが、がん告白会見をされました。小杉さんはどのタイミングで、逸見さんから知らされたのですか?
その年の最初に1回休んだときに「十二指腸潰瘍」だと言ってたんですけど、あのときには、がんだと聞いてました。でも、全部切除したということだったので、その後は本当に普段通りにやってましたね。でも、8月のカズ(三浦知良)とりさちゃん(三浦りさ子)の結婚式が終わってしばらくしてから、東京女子医大で再発が判明した。それで逸見さんから、ちょっとステージが進んで、手術しなきゃいけないという話を聞きました。
大変ショックだったんですが、そこで僕がやらなければいけなかったのは、逸見さんがいない間のMCをどうするか。『SHOW by ショーバイ!!』は逸見さんが帰ってくるまで、古舘(伊知郎)さんとか山城(新伍)さんとかいろんな方にやってもらうことにして、留守を守る。『夜も一生けんめい。』は迷わず歌番組が得意な徳さん(徳光和夫)にお願いしました。マネージャーにも外に出てもらって、2人だけになって「これは絶対秘密なんだけど、逸見さんがしばらく入院するんで、司会を受けてほしい」と頼みました。『いつみても波瀾万丈』は留さん(福留功男)にお願いして。
それぞれに「3カ月したら戻ると思うから、年内やってほしい」とお願いしたら、スケジュールを全部調整してくれました。皆さん、逸見さんのことをすごく良く思っていたので、「逸見ちゃんのために協力しよう」と言ってくれて、これで番組は何とか辛抱できると思い、9月6日を迎えました。
――がん告白で記者会見をするというのは、今でも相当異例なことだと思います。それでも逸見さんが会見をやるというのを聞いて、どのように受け止めましたか?
でも、やることの意味は分かりましたよね。自分の口で語ることで、説明責任をきっちり果たしたい。それと、「絶対に戻ってくるんだ」という“宣戦布告”だったと思うんです。あそこで「戻ってくるんだ」という気持ちを伝えることで有言実行にする思いを、ずっと持ち続けていましたから。
控室に戻って第一声「数字(視聴率)とってるね」
――あの記者会見は、麹町にあった旧日テレ社屋で行われましたが、なぜ日テレが会場になったのですか?
やはりレギュラーを3本やってて、日本テレビの顔みたいになっていましたからね。他局でもレギュラーはありましたけど、どこも1本ずつくらいだったと思います。ただ、会場はうちでしたが、全局で生中継されましたから。
――各局のワイドショーが生中継できるよう15時にスタートしました。
あの9月6日は、今でも忘れられないことがいっぱいあります。逸見さんって「普通」の人で、楽屋とかなくて、Gスタ(ジオ)の横にあった『SHOW by ショーバイ!!』のスタッフルームに来るんです。やってくるとニコッと会釈しながらソファーに座ってテレビを見て、ちょっとメイクをやりに行くというのが決まりで、あの日もいつもと同じように入ってきましたね。お昼の13時頃に来て、出前のざるそばを頼んだんですよ。「一緒に頼む人いる?」とか言いながら、何人か手を挙げて出前が届くと、逸見さんが払ってくれたのですが、あの人は必ずピン札なんです。家を出るときに財布の中の向きも全部そろえて、それで払ってくれて。
それで、15時から記者会見を予定していたのですが、実はその年の春の番組改編で、日本テレビだけ15時より前にワイドショーをやってたんです。だから、僕は14時54分に会見場に入ってもらって、うちだけ先に映像を出そうと思いました。逸見さんはフェアな人なので、こっそりやろうと。
――事前に言うと「ダメ」と言われるのが分かるから。
そしたらもうびっくりしたのは、南本館2階の大会議室で記者会見をやるんですけど、会見が始まる前に、逸見さんがGスタの控室から会見場まで実際に歩いて、どれくらいかかるか時間を計ってるんです。もっとすごいのは、戻ってきて電話してるんです。どこにかけてるかと思ったら117(時報)で、それを聞いて時計を秒まで合わせてる。そこから逆算して、14時58分何秒かのところで控室を出て行ったんですね。もうここまで生真面目でフェアな人なのかと思って、びっくりしました。
――完全に15時に生放送がスタートするという意識で臨んでいたんですね。そしてあの記者会見が始まって、どのような思いで見ていたのですか?
これは「逸見ショー」だなと思いましたね。こんなこと言ったら不謹慎ですが、生き生きとやってる感じがしたんです。
――まるで生放送の番組の司会のように。
はい。会見が終わって控室に戻ってきたときの最初の一言にびっくりしたんですが、「小杉ちゃん、今日数字(視聴率)とってるね」って。この人は、もう根っからのテレビマンだと思いましたね。
――毎分視聴率のグラフを思い描きながら、会見をされていたんですかね。
そうなっていたんでしょうね。だから、「私が今、侵されている病気の名前。病名は、がんです」と言ったところは、ドーンと上がったと本人は思ってたんじゃないかと。しゃべりながら俯瞰(ふかん)で見ているもう一人の自分がいたんでしょうね。
でも、スタッフルームにニコニコ笑って入ってくる姿を、その後二度と見ることはできませんでした。