「……己の夢と野心のために、なりふり構わず、ただ力のみを信じて戦い抜く! ……かつてこの国の荒野を駆け巡った者たちは、もう現れまい」(茶々〈北川景子〉)。260年もの長きにわたり平和な国をつくった徳川家康(松本潤)の生涯に、これまでと違った角度から光を当てたNHK大河ドラマ『どうする家康』の最終回は、過去と現在が行き来する不思議な展開だった。
戦国武将をヒーロー視せず、戦わないで済む道を考える物語に
家康が臨終の淵をさまよっているとき、瀬名(有村架純)と信康(細田佳央太)が現れる。戦いばかりだった人生を嘆く家康に、瀬名は、孫・竹千代(のちの家光)が鎧をまとって戦場に出なくて済む世の中を作ったことを讃える。それを聞いて家康はようやく安堵し、目を瞑る。……と、そこは、1616年の世ではなく、1567年のなつかしの岡崎城で、幼い信康(寺嶋眞秀)と五徳(松岡夏輝)の結婚式の日だった。そこで、織田信長(岡田准一)からの贈り物・3匹の鯉を誰かが食べてしまったと大騒ぎに。
鯉よりも家臣の命を大切にする家康によって、その場は丸く収まり、みんなが楽しく「えびすくい」を踊りだす。そして、家康は瀬名と、こんなふうに「誰もが認め合い、励まし合い、支え合う……いつかきっとそんな世が来る」と未来に思いを馳せた。
家康の視線の向こうには、現代の東京の風景が映っていた。実際の日本の歴史は、戦いのない時代は260年で終わり、明治、大正、昭和と、日本は外国と戦うようになる。そして、敗戦国となった。何もかも失いながらなんとか立ち上がって今がある。
もう二度と戦争を繰り返してはならないという思いを持って生きているが、世界では戦争がなくなっていない。『どうする家康』は、世界のどこかで戦争が行われているなか、戦国武将をヒーロー視した物語を描くことをためらい、どうしたら戦わないで済むか考える物語になった。おりしもウクライナ戦争やパレスチナ問題が深刻化してきて、物語が現実と重なって見えた。
視聴者の想像に委ねられた信康と五徳の結婚式シーン
信康と五徳の結婚式の場面は、家康が死ぬ間際に見た夢なのか、過去の回想なのか、それとも別の世界線なのか、作り手は明言はしていない。視聴者の想像に委ねられている。
筆者は、別の世界線かなと想像した。ここからの家康は、瀬名と信康がこのまま死ぬことなく、仲睦まじく暮らせる世界に生きていくのだと思いたい。
だが、別の世界線になったら、家光は生まれてないかもしれないから、さてどうしよう。それはともかく、最後に家臣団が全員集まって、幸福な場面で終わったことはステキだった。大河ドラマも朝ドラも、最終回はたいてい、主人公の晩年なので、密接に関わった人たちがひとり去り、ふたり去り、寂しくなっていく。しかも当人も老いている。
人間は誰もがひとりで死んでいくものだ。それが、最終回の前半の、老いた家康の姿に現れている。ところが『どうする家康』では、そこから時を遡り、最高に楽しかった、輝いていた頃が新撮部分として描かれたのだ。この最高に楽しく、輝いていた時間は、『どうする家康』においてとても重要である。
振り返れば、全48回中、回想シーンが多かったとは思わないだろうか。第47回では、茶々が家康の無事を祈ってお参りしている回想があった。茶々が生まれたばかりで、桜の下で家康が抱っこしたときの回想もあった。この場面は、第14回、お市(北川景子)の従者・阿月(伊東蒼)が使命を帯びて走るときにも、最高に楽しかったひとときの思い出として印象的に使用されていた。お市は、家康と信長と楽しく(家康的には楽しくなかったわけだが)過ごした幼い頃の思い出を大事にしていた。本多正信(松山ケンイチ)は、幼馴染の少女・お玉との思い出を大切にしていた。これらを改めて噛みしめると、みんな、戦争がなければ、大切な人たちと楽しく生きていけたのに……という気持ちになる。
大河ドラマはたいてい、人が散っていく瞬間が見せ場になり、かっこよく描かれるのだが、古沢良太氏は、それをあまり好まないようだ。筆者がヤフーニュースで磯智明チーフプロデューサーに取材したとき「歴史を描く上でそこまでセンチメンタルに染まり切らない古沢さんの眼差しがぼくは好きです。古沢さんは人の死の瞬間や別れの場面の心や身体の痛みみたいなものを直接的に描かず、それよりも、その人物が生きて、一番輝いて、一番魅力的に見える瞬間を描きたいと思っている気がします」という話を聞いた。それを古沢氏に確認してみると、「死を盛り上げて描くのは限られた回だけにしようと思っていました。さらっといつの間にかいないというほうが好みです」との回答だった。
大河ドラマをつなぐ者として最適だった小栗旬
戦って死んでいくことが讃えられるのではなく、その“人物が生きて、一番輝いて、一番魅力的に見える瞬間”。このかけがえのなさを『どうする家康』は愛し、守ろうとしていたと思う。そんな壮大なメッセージ性のある作品の最終回。前作『鎌倉殿の13人』の主役だった小栗旬が南光坊天海役で出演した。
『鎌倉殿の13人』の最終回には松本が家康役で登場し、松本と小栗は、『どうする家康』がはじまったときの対談番組で熱く語っていた。そもそも、大ヒットしたドラマ『花より男子』(05・07年/TBS系)の頃からの盟友である。古沢氏の作品にも出ている小栗だから、当然の流れという気もしたが、そういう友情出演ということだけでなく、彼が天海になる必然性をドラマに感じて膝を打った。
天海は、神君家康伝説をプロデュースした人物として登場した。家康の情けない逸話はことごとく隠蔽し、家康の良い逸話だけ残そうと画策するのだ。
「世間では、狡猾で恐ろしい狸と憎悪する輩も多ございます。かの源頼朝公にしたって、実のところはどんな奴だったかわかりゃしねえ。周りがしかと讃えて語り継いできたからこそ今日、すべての武家の憧れとなっておるわけで……」と言いながら、天海は、『吾妻鏡』と『源氏物語』の表紙に目をやる。
『吾妻鏡』は『鎌倉殿の13人』の時代をのちに北条家にとって都合のいいように書き残した書である。『鎌倉殿の13人』では義時と姉・政子が後世に悪人として語り継がれるであろうが、本当はそうではなかったという話になっている。とすれば、その後の『吾妻鏡』はなんなのだ? という疑問が残る。そこが三谷幸喜氏の巧みなところで、『吾妻鏡』の記述は偏っているとしたら、真実はどこにあるか、想像を自由に広げて描いたわけだ。そして続く『どうする家康』でも、家康は策士の狸親父で、瀬名は悪女だったという説とは違う物語を描き出した。
家康の歴史の草案を作った天海を小栗が演じることは、『鎌倉殿の13人』と『どうする家康』をつなぐ者として最適な俳優であったといえるだろう。老いた坊主の姿が誰がわからないくらいで、悪目立ちすることなく、役割に徹し、引いた演技がすばらしかった。
それにしても、いろいろな俳優が次から次へと、松本への友情で出演していて、主役の人望の厚さも感じた作品だった。最後みんなが、大勢集まって、仲良く踊っていることがその象徴のようだ。「わしは幸せ者じゃな」というセリフは松本の気持ちも入っているんじゃないだろうか。
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