越沢自治会長の伊藤さん

人口224人の限界集落が挑戦を始めたきっかけ

越沢地区の人口は224人(2023年11月現在)。「やまがたの棚田20選」にも選ばれた中山間地で、主な農産物はそば、山菜、キノコ。その他、郷土料理「笹巻き(ささまき)」の生産が盛んな小さな集落である。

越沢名物「笹巻き」

越沢集落がむらおこしの取り組みを始めたきっかけは、日本全国で共通する過疎化の問題からだった。学校が廃校になり、保育園も閉園。若者も仕事と暮らしやすさを求めて市街地へ流出し、高齢者ばかりが取り残されていく。
いわゆる限界集落の危機が現実味を帯び始めてきたところで、地元住民が立ち上がった。

2016年、越沢自治会長(当時)の大滝由吉(おおたき・よしきち)さんをはじめとする有志メンバーや地域おこし協力隊などで自治会活性化委員会が立ち上げられた。そして中学生以上の全住民を対象にアンケートを実施。住民が考える地域の課題と魅力を抽出し、むらおこしのアイデアを募り、地域活性化ビジョンを作成した。

「この地域活性化ビジョンを基に、地域の現状を踏まえた上で、できること、できないことを委員会で振り分け、順番にさまざまな取り組みを実施してきました」と伊藤さんは当時を振り返る。

具体的な取り組み例として、アンケートで多く提案された地元のそばを活用するというものがあった。1992年頃に集落内に建てられた「そば処(どころ) まやのやかた」を拠点に、そばの提供をして地域外から人を呼び寄せるというアイデアが採用された。
他にも、雪下ろしができない高齢者のために「雪下ろし協力隊」の仕組みを整えたり、地元の風景写真や年間行事が収められた「越沢カレンダー」を制作して全戸配布したりと、実現可能なアイデアを少しずつ形にしていった。

そば処 まやのやかた

すべてのそばを在来種にし、1キロ450円で全量買い取り

まやのやかたで提供するそばは、越沢集落だけで栽培されている在来種である。
越沢のそばは、ユネスコ食文化創造都市に認定され、地域に残る貴重な食文化の維持に力を入れる鶴岡市によって2016年に在来作物として認定された。2020年には「越沢三角そば」として商標登録をし、他の地域では食べられないそばとしてブランド力を強化している。

もともと越沢三角そばは、地元では昔からあるただの「地そば」だった。特別な品種名もなく、地域特有の種という認識すらされていなかった。
地域活性化の取り組みを始める前、一時は生産者2人で0.8ヘクタールの面積でしか栽培されておらず、種も両手に乗るほどしかなかった。多くの農家は、転作の補助対象になる「でわかおり」という品種に移行していたのである。

「私も地そばのことは話に聞いたことがあるぐらいの認識でした」と伊藤さん。「越沢では、どの家でも何かのお祝い事や年越しなどで、自宅でそばを打つんです。赤飯を炊くようなものですね。そういう時に、昔から地そばを使っていたようです」

季節の野菜を使ったメニュー「越沢天ぷらそば」

転機となったのは、活性化委員会を設立してまもなく、山形大学農学部の在来作物研究会が越沢を訪れた時のこと。同会のメンバーが「地そば」の由来を聞いて興味を持ち、改めて調査を行ったところ、「地そば」はこの地域の在来種であることが判明した。
伊藤さんは言う。「タイミングが良かったと思います。在来作物の専門家である江頭宏昌(えがしら・ひろあき)教授に調べていただけましたし、地域おこし協力隊の方や地域外の協力者が後押ししてくださいました」

その後、自治会の働きかけにより三角そばが転作の補助対象となり、でわかおりを生産していた農家も徐々に切り替えはじめ、集落で栽培されるそばはすべてが三角そばとなった。
2016年には生産者3人で2.5ヘクタールだったのが、2022年には13人で10.2ヘクタール、2023年には17人で14.9ヘクタールにまで生産規模が拡大している。
2022年の収量は約3.7トン。2023年は例年にない高温障害のため、前年より1トンほど収量が落ちて約2.8トンとなったものの、年々収穫量は増大している。

越沢で生産されたそばは、一度地元JAに出荷した後、「まやのやかた越沢三角そば生産組合」で全量を買い取っている。買い取り価格は1キロ450円。まやのやかたの収入と、そば店の人件費を含めた経費から計算して、可能な限り高い値段に設定した。
「まやのやかたとしては利益を出すつもりはなく、越沢の皆にお金がまわるようにしています。そうやって生産者さんの収入を安定させ、持続できる仕組みを整えています」

「在来そばを作りたい」新規就農者が現れた

「そば処 まやのやかた」は土日祝日のみの営業で、平日は5人以上の事前予約客のみ受け付けている。週末は地域内外から多くの客でにぎわい、建物の周囲は順番待ちの人たちであふれかえる。

土日祝日には地域内外から多くの客が訪れる

三角そばの味について、伊藤さんは「ナッツ(木の実)のように香ばしくて、甘い」と説明する。そばのつなぎには自然薯(じねんじょ)が練り込まれ、そば打ちも越沢独自の製法で行われている。「越沢そばはツルっとした喉ごしを楽しむのが特徴で、ゴキゴキとした内陸部の田舎そばよりも、信州そばに近いといえます。越沢三角そばのルーツも長野県にあるようで、信濃町とは毎年交流会をしています」

三角そばは、一部東京の飲食店にも卸しており、香り、舌触り、味の濃さなどで高い評価を得ているという。
今後は、神奈川や京都にある飲食店でも使われる予定だ。

作物としての特徴は、県内の主力品種である「でわかおり」と比べて、草丈が長く実が小さいところにある。一方で、実が小さいながらも中身がギュッと詰まっているので、そば粉にすると歩留まりが良い。
「商標登録をする際、そばの実の形から『三角そば』と命名しました。でわかおりよりも実が小さくて、かわいらしい三角形だったので」

越沢三角そばのブランド力を高め、維持するために、種子の持ち出しや他品種との交雑を防止するなど、いくつかのルールを設けている。東京や京都などの飲食店にそばを卸販売しているものの、契約書で外部に流通しないことなど、諸々の条件を定めている。
「基本は越沢集落の活性化が目的ですので、まやのやかたに足を運んで食べてもらおうと決めました。どこでも手に入るもの、どこでも食べられるものにしてしまうと、いずれ価値が下がってしまう。ここでしか食べられないそばでなければならないと、以前から皆で話し合っていました」(伊藤さん)

地域活性化の目的の一つに、農業の担い手を増やすこともあった。そのためにも、そばをこの地域でしか育てられない独自の作物とする必要があった。
2023年には、「三角そばを作りたい」という若い生産者が現れた。越沢出身の40代女性で、結婚を機に市街地で生活していたものの、子育てが一段落したのをきっかけに農家である実家に入り、そばの栽培を始めることになった。三角そばを目的に就農する人が現れたのは、これが初めてのことである。

たった7年での快挙。コンサル・補助金には頼らず

越沢集落の取り組みは、2023年度の農林水産祭(農林水産省と日本農林漁業振興会の共催)にて、天皇杯に次ぐ内閣総理大臣賞を受賞した。

2016年に活性化委員会を立ち上げてから、わずか7年での快挙である。
取り組みを先導した専門家や大きな補助事業の活用などはあったのだろうか。
「コンサルタントのような専門家は入れていません。越沢独自の取り組みです。近隣の田川地区のそば生産者の方から、土の作り方や肥料のやり方などを指導していただいてはいますが」

補助金については、そばの保冷庫、製粉機、真空機など、機器などの購入で活用したのみである。取り組みの運営資金は、「そば処 まやのやかた」で稼ぎ、働いた地元住民にもしっかりと人件費を支払っている。

地域活性化を進めるに当たって、コンサルタントなどの専門家は入っていないものの、各方面からの協力があったと伊藤さんは語る。鶴岡市、山形大学、温海(あつみ)地区の自然・文化体験交流事業を行うNPO法人「自然体験温海コーディネット」、地域おこし協力隊、その他多くの越沢ファンたち。

「まやのやかた館長の大滝由吉さんや、越沢三角そば生産組合長の野尻善共(のじり・よしとも)さんの人脈からの展開が大きかったかもしれません。一つどこかと話があると、そこからまた別の方とつながって、さらにまた別の方を紹介してくれて。そうやってどんどん広がっていったわけです」

そば打ちができるのは大滝さん(左)と野尻さん(右)の2人だけ

越沢地区には、宮城県の中学生やイタリア食科学大学の学生などが農業体験やそば打ち体験で訪れるようになった。活性化委員会の立ち上げ前から取り組んできた新そばまつりは、2日間で1000人が集まるイベントになっている(コロナ禍の後は、半分の客数500人に制限)。
まやのやかたの一般客とは別に、年間3000人ほどの訪問客があるという。

今後の展望・メッセージ

越沢の今後について、伊藤さんは次のように語る。
「委員会を立ち上げて最初に行ったアンケートのアイデアはほとんど実行してきたので、これからもう一度地域活性化ビジョンの練り直しをしようと考えています。今度は集落の中だけではなく、越沢ファンなど外部の方の声も聴きながら、新鮮なアイデアを入れて進めていきたいと思います」

最後に、越沢が活気づいている理由について伊藤さんに尋ねた。
「皆がワクワクしながらやることではないでしょうか。どうやれば楽しくできるか、楽しい酒が飲めるかを常に考えています。ですから、細かな作業上での大変さはありますが、苦しいと感じたことはありません。苦しいことをし始めたら、長続きしませんからね」

まやのやかた付近から眺めた越沢集落

「私たちは、周りの誰かや越沢をどう盛り上げようかという考えが根幹にあります」。越沢集落では、1951年に大火のために民家の多くが焼失してしまい、協力して復興してきた歴史が共有されている。その経験から、自分よりも周りのことをなんとかしようとする気持ちの強い人たちが多いのだという。
「究極、人の喜ぶ顔が見たいのでしょうね。皆、自分の仕事を持っていて、仕事を終えてから活動に参加しているわけで、そんなことは損得勘定だけではできません。こういう取り組みは一人ではできませんし、何かあったら力を貸すよというつながりを大事にしています。そういう地域の中で、周りの人と一緒に楽しく生き続けられることが幸せなんじゃないですかね」

地域活性化の成功事例では、その組織体系や仕組み、ビジネスモデルなどが注目され、それが他の地域でも再現可能であるかに関心が集まる。
しかし、越沢集落を取材して強く感じたのは「人柄」という資源だった。皆で、楽しく活動を長続きさせることが一番のむらおこしであるという。

「そば処 まやのやかた」を訪れると、越沢の方々が身内のような気軽さで迎え入れてくれる。そうして、一人、また一人と「越沢ファン」が増えていくことだろう。