農業をなりわいにするために小売業に就職

中部圏最大の鉄鋼基地として、製鉄業を中心に発展してきた愛知県東海市は名古屋市のすぐ南、知多半島のつけ根に位置しています。その温暖な気候のため、じつは昔からミカンの栽培も盛んに行われてきました。

そんな東海市を地元とする加古さんは、この地でミカン農家として新規就農しました。大学で経営学を学んだことから、卒業するときには「いつか地元で独立して食に携わる仕事をしたい」と考えていたそう。農家である祖父のミカン畑を遊び場にして育ったこともあり、仕事の選択肢として頭に浮かんだのが「農業」だったといいます。
しかし、大学を卒業してすぐに就職したのは小売業の大手企業。じつはこれも就農のための布石でした。

「農業で弱い部分は“販売”だと考えています。せっかく良いもの、おいしいものを作っても販売力が弱いと思うように売ることが出来ない。自分で価格の決定権を持つこともできない。だから販売が学べる小売業で学ぼうと思ったんです」

そしておよそ3年後に就農するという計画で入社し、商品の仕入れから加工、そして販売までの一連の流れを学び、順調に実績を積んでいきました。

小さいころから身近にあったミカンの木

栽培経験ゼロからのスタート

加古さんの祖父にあたる一夫(かずお)さんはミカン農家でしたが、両親は農家を継ぎませんでした。そのため、加古さん自身は就農するまでミカン栽培の手伝いをすることはなく、栽培の知識や経験はほぼゼロだったそう。
そんな加古さんが引き継いだのは7反程度のミカン畑。定植から何十年もたった古いミカンの木や小屋があるだけでした。

「古い木ばかりだったため、最初はほぼ全ての木を植え替えたり小屋の修繕をしたりしている状態。農地はあったものの収益的にも非常にしんどい状態で、就農して数年はバイトをしながら生計を立てていました」

さらに、栽培技術の習得にも非常に苦労したと加古さんは言います。祖父は「背中で見せる」タイプの人。一緒に農作業をしてはいたものの、具体的に栽培技術を教えてもらうことはできませんでした。そこで加古さんは自主的に「実践しながら」「ネットや本で調べながら」「人に聞きながら」技術を磨いていったそうです。特に地域の農家さんには季節ごとの畑の様子を見せてもらったり、手入れの方法を教えてもらったりととても助けてもらったと言います。

「時には自身でアポを取り付けて視察に行くこともあり、積極的に動いたことが良かったと思っています。農家は土と触れ合って黙々と作物を作るイメージを持っている人もいるかもしれないですが、農家こそ人と人とのつながりがとても重要だと感じています」

祖父の一夫さん(左)と博之さん(右)

こだわりの“味”に応じた価格で売るために直売へ

祖父の時代、ミカンは全量を市場に出荷していました。しかし加古さんはそこに違和感を抱き、販売方法の見直しを考え始めます。

「祖父は“味”にこだわっていましたが、市場ではセリで価格が決まるため、どんなにこだわりがあってもそこは考慮されませんでした。ミカンの産地ブランドは高値が付きますが、そうじゃない地域は高値がつかないことが多い。これではダメだと思い、やり方を変えていきました。」

その後、まず行ったのが市場出荷をやめることでした。

「市場を通さず直売する形式に変えることで、自分自身が価格の決定権を持てるようになりました。まずは東海市近郊の直売所に商品を置かせてもらい販売を始めました。これによって同じ栽培面積でも売り上げは2~3倍上がりました。幸いにも東海市は都市近郊農業地帯であるため、消費を見込める直売所が近隣に増えていたことも良かったと思っています」

通年で売り上げを立てるために

加古さんが次に行ったのが、通年での売り上げ創出のための取り組みです。

「果樹だと1年のうち収穫できる期間が限定的なため、その時期しか青果での販売ができないんです。そこでミカンを使った100%ジュースやジャムなどの加工品を作り、年間を通した売り上げを作れるようにしました」

特に、木になったミカンを寒空の下で完熟させてつくる「越冬完熟みかん」を使ったこだわりのジュースは、地産地消を売りにするショップやおしゃれなカフェから問い合わせが来るほど。
「加工品にすることで賞味期限を長く持つことができるようになったため、消費者は年中ミカンジュースが楽しめますし、販売者は年間を通して売り上げを立てられるようになりました」

オズ果樹農園のミカンを使った人気の100%ストレートジュース

多品目栽培でリスク分散

通年で安定した売り上げを立てていくためには、さらに農業ならではの栽培のリスクを回避していくことも必要です。そこで加古さんが行ったのが「多品目栽培」です。

「天候不順や自然災害等へのリスク分散のため、初めに考えたのはミカンと逆の時期の夏に収穫ができる品目です。そこで出会ったのがブルーベリー。国産品のおいしさと粒の大きさに感動し、栽培を始めました。その後、レモン、ブドウと徐々に品目を増やしていきました。品目が増えると管理も増え大変でしたが、ミカンで培った栽培技術を他の作物でも応用できることが多く、面白みも感じています」

初めて食べたときにその大きさとおいしさに感動して作り始めたブルーベリー

知多半島のミカン産地化を目指して

加古さんに今後の目標を聞くと、「東海市のミカン産地化を進めたいですね」とすぐに答えが返ってきました。

「東海市がある知多半島では昔からミカンの栽培が行われてきたのに、ブランドイメージが低いのが現状です。私自身は現在、自社農園のブランドを作り認知度を上げる取り組みを行っていますが、今後は地域全体としてブランドイメージを作ることで地域活性化や後継者育成にもつなげたいと考えています」

現在、加古さんが所属する地元のミカン生産者の部会は、地元小学校の授業の一環として児童とともにミカンの栽培を行っています。植え付けから肥料散布などの管理や収穫まで3年かけて学ぶという体験を通して、地元の子供たちが地元の農業をより深く知ることができます。この授業をきっかけに地元産のミカンへの愛着を育んでもらいたいと、多くの部会員が積極的に参加しているそうです。

この授業で育てているのが、愛知県が開発したオリジナルのミカン品種である「夕焼け姫」で、加古さん自身も栽培に取り組んでいます。

「夕焼け姫はミカンの皮の色が一般的なものより濃く、夕日のような色をしているのが特徴なんです。栽培方法にもこだわり、糖度12度以上・酸度1%未満を目指すために白いマルチシートを使用して水分の吸収を抑え、シートの反射で色づきが良くなるようにしています。酸味と甘みのバランスをコントロールし、おいしいミカンを作ることで地域ブランドとして認知してもらい、地域全体の底上げにつなげていきたいと思っています」

就農して13年、通年で安定した農業収入を得られるようになった今、加古さんの視線は自身の経営だけでなく、地域の農業にも向いています。農業は地域に根差した産業であるだけに、加古さんのような経営の安定した農家の存在が、地域の活性化につながっていくのかもしれません。