続いて、同時代の画家が蛍光発光を意図的に使用しているかどうかを調査。ルノワール『レースの帽子の少女』(1891年)、フジタの師にあたる黒田清輝『野辺』(1907年)、黒田の師にあたるコラン『眠り』(1892年)を調べ、師からの技術的な継承があるかどうかも含めて調査が行われた。

  • 比較対象の絵画

    比較対象の絵画(出所:共同プレスリリースPDF)

結果として、ルノワールについては「蛍光成分のある白が帽子や肌のハイライトに分布しているが、肌内部の散乱などは意識されていない」、黒田は「耳などには蛍光成分が見られるが、各成分の空間配置を確認するとあまり意図的に描いてはいない」、コランは「耳、唇、鼻、頬など、赤の肌内部の散乱が空間配置を考慮して描かれているように見える」と判断することができたとする。このことから、コランが意図的に使用したと考える蛍光成分を持つ1つの顔料を発展させて、複数種類の蛍光発光を持つ顔料による肌質感を描き分ける表現は、フジタ特有のものであると結論づけられたとしている。

  • 比較対象の絵画における蛍光成分の分離結果

    比較対象の絵画における蛍光成分の分離結果(出所:共同プレスリリースPDF)

今回の調査結果から、研究チームは以下の点がわかってきたとした。

  1. フジタは、異なる蛍光発光をする白を使い分けていた
  2. 肌と背景の白の表現は異なっており、「乳白色の肌」と「乳白色の下地」は異なる
  3. 異なる蛍光発光の白の使用は、肌の表面反射と内部の散乱を描きわけるためであり、肌の構造ではなく肌の光学特性を真似ていた可能性が示唆された
  4. 20世紀後半以降、「乳白色の肌」の本来の質感を見る機会は極めて少なかったと考えられる。

今回の研究成果は、彼の作品の評価を左右する発見といえるといい、もしフジタが描いたころの状態で自然光の下で鑑賞していたならば、人間の肌と同じような色つやの良い生々しい絵肌(マチエール)が見られたことだろうとする。

また今回の周辺調査で判明した、絵画を蛍光発光する白色顔料を使ってまるで液晶モニターのように発光させる方法は、印象派のモネの絵画やそれ以降の一部の画家たちの絵画に前例がみられたものの、それらは原則的にハイライトに使用する場合に限られていた。そうした面から、複数の白色顔料の蛍光発光を操った画家として、研究チームはフジタを再評価することができるのではないかと報告した。

そして今後フジタの「乳白色の肌」の手法で描かれた絵画を、自然光下で見てその効果を確認したり、フジタがどのような日本画材を使っていたか調査したりすることで、その前後の洋画家、日本画家たちの分析も進めて関連を探っていきたいとしている。