「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というフレーズについて、哲学チックで理解が難しい、とっつきにくいと感じる人も多いでしょう。

本記事ではこの言葉の解釈や教訓をわかりやすく紹介。英語や原文のドイツ語、ニーチェの生涯にその他の名言もまとめました。

  • 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだとは

    偉人・ニーチェが残した格言「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」の意味や、教訓について紹介します

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」とは

「深淵(しんえん)をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という言葉は、かの有名な哲学者であるニーチェが、著書内で記したフレーズです。

早速、意味や解釈、出典などについて解説していきます。

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」の意味・解釈

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」は抽象的な言葉のため、人によってさまざまな解釈がされています。

広く知られている意味、解釈は「乗り越えるべき悪や問題に立ち向かうことに没頭し過ぎると、いつしか我を失って、自分自身が悪い方向に影響されてしまう可能性がある」ということです。

例えば刑事が事件を解決すべく、凶悪な犯罪者と接するうちに、次第に共感したり影響されたりして、犯罪に手を染めてしまうことなどが挙げられるでしょう。

似た意味を持つ言葉として、「ミイラ取りがミイラになる」ということわざがあります。

誰の言葉? 元ネタは?

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」は、ドイツの哲学者・思想家であるニーチェの言葉で、1886年の著書『善悪の彼岸(原題:Jenseits von Gut und Böse)』第146節に登場します。

『善悪の彼岸』でニーチェは、当時のヨーロッパにおける、キリスト教を中心とした道徳感を批判し、新たな道徳に対する考えを確立するべきだと主張しました。

「深淵」とはどんな意味を持つか

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」に使われている「深淵」とは、水深が深い淵、つまり水が深くよどんでいる場所を指す言葉で、英語では「abyss」と表記されます。

単に水が深くまであることを指すこともありますが、奥深く底知れないこと、容易に抜け出すことができない苦境を暗示する際に使うケースもあります。

ニーチェが危惧した「怪物」とは何か

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」には、実は「怪物と戦う者は、戦ううちに自分も怪物とならないように用心した方がいい」という旨の前文が存在します。

「怪物」が何を指すのか明記はされていないため、「悪」「敵」「問題」「悩み」など、多くの解釈が成立します。

これを踏まえて「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」の意味を考えてみると、先ほども触れたように「乗り越えるべき悪や問題に立ち向かうことに没頭し過ぎると、いつしか我を失って、自分自身が悪い方向に影響されてしまう可能性がある」という解釈にたどり着くというわけです。

自分が倒す側、影響する側、観察する側だと思っていたら、逆に倒される側、影響される側、観察される側だったという可能性があるのです。

ドイツ語・英語で表すと?

『善悪の彼岸』の原書はドイツ語で書かれているため、「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」も原文はドイツ語です。

ドイツ語では「Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.」と記されています。

英語では「When you gaze into the abyss、the abyss gazes into you.」「If you gaze long enough into an abyss, the abyss will gaze back into you.」などの訳が考えられます。

なお同様に、日本語訳も複数存在します。

ドイツの哲学者・フリードリヒ・ニーチェとは

  • ドイツの哲学者・フリードリヒ・ニーチェとは

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」という言葉を残したニーチェの思想は、後世にも多大な影響を及ぼしました。彼の生い立ちと、他にどんな言葉が有名なのかなどを見ていきましょう。

ニーチェの生い立ち・生涯

フリードリヒ・ウィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)は、1844年10月15日、ドイツ・プロイセン王国領、ザクセン州の田舎町で、父母ともに代々牧師である家庭の長男として生まれました。

哲学者・思想家・古典文献学者として活躍し、代表的な著書には『ツァラトゥストラはかく語りき』『道徳の系譜』『善悪の彼岸』『権力への意志』などがあります。

ニーチェは幼い頃から極めて優秀で、古典文献学者であるリッチュルによって才能を見いだされ、24歳という異例の若さでスイス・バーゼル大学の古典文献学の教授として抜擢されます。

その後体調を崩し、大学を辞職。各地を周遊しながら執筆活動を行います。1889年に精神に変調をきたして発狂。精神科病院に入院した後、母や妹に看護されたものの、1900年に55歳という若さで亡くなりました。

ニーチェは、現実の人間の存在に目を向けようとする「実存主義」の先駆者として有名です。また、あらゆる物事の根底に虚無を見いだし、既存の価値体系や権威を否定する思想である「ニヒリズム(虚無主義)」でもありました。彼は当時のヨーロッパで支持されていたキリスト教的思想を弱者の奴隷道徳とみなし、厳しく批判しました。

ニーチェが残したその他の名言

ニーチェは「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」以外にも、多くの名言を残していますので、いくつか紹介しましょう。

もっとも有名な言葉は、著書『喜ばしき知恵』『ツァラトゥストラはかく語りき』にある言葉「神は死んだ」だと言えるでしょう。宗教の持つ力が大きかった時代としては、異例の発言ではないでしょうか。

また、自分に正直に、かつ自らの言動に責任を持つことを説いた「人生を危険にさらせ」、自分自身こそが人生において勝つべき敵であることを示した「あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう」なども、ニーチェが残した言葉として有名です。

【あわせて読みたい】
ニーチェの名言・格言集 -「神は死んだ」などの言葉や思想から人生を考える

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」の教訓

  • 「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」から学べること

ニーチェが残した「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」から、わたしたちの人生に生かせることを考えていきましょう。

どんな状況でも自分を見失わず、強い信念を持って生き抜くこと

何かに立ち向かうとき、見たくないことや知りたくないことに触れてしまうかもしれません。時には心に大きなダメージを受けてしまうこともあるでしょう。しかしそのようなときも、常に自分を見失わずにいれば、平常心を保てるはずです。

万が一のときに自分自身を守れるように、普段から自分の今までの言動を振り返ったり、考えを整理したりする時間を持つことで、自分に対する理解がより深まるでしょう。

もちろん、自分と違う意見に耳を傾ける柔軟性は大切ですが、譲れる部分と譲れない部分を明確にして、ふとした拍子に引きずり込まれないようにしたいものです。

自分を過信してうぬぼれることなく、常に用心すること

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」は、立ち向かう相手や物事を甘く見ることを避け、用心することの重要性を説いているとも考えられます。ふとした拍子に足をすくわれてしまうことは誰にでも起こり得るので、どんなときでも油断は大敵です。

自分だけは大丈夫だと慢心することで、大切なことが見えにくくなる可能性も出てくるでしょう。常に周囲に気を配って用心しておくことが、結果的には自分の身を守ることにつながるはずです。

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」を人生に生かそう

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」は、19世紀の哲学者・思想家であるニーチェによる言葉です。難解な意味を持つ言葉のため解釈が分かれることもありますが、生きる上での本質を表している言葉であることは確かです。

「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」の意味を自分なりに理解して、よりよい人生を送っていくために生かしましょう。