農家になるのは、子どもの頃からの夢だった
夏の間は農家、冬は和紙職人という二つの顔を持つ長尾さんは、「飛騨V7(ひだブイセブン)」のメンバーの1人だ。飛騨V7とは飛騨市内に住みながら、有機農業を実践し、夏は農業、冬の農閑期は好きな仕事や暮らし方を追求するグループのこと。現在は長尾さんを含め7人のメンバーが所属している。
「子どもの頃から、農家になるのが夢だったんです」
そう語る長尾さんは、岐阜県下呂市で、両親はサラリーマン、祖父母が農家という家庭に生まれた。祖父母の手伝いをして一緒に野菜を作ったり、また、エコ活動を行ったりするなど、自然や農業を身近に感じながら子ども時代を過ごした。そんな環境で育った長尾さんは、子どもながらに、将来はトマトの有機栽培をしたいと思うようになったという。
成長した長尾さんは、農業系の高校に進学。その後は農業大学校に入校し、トマトの慣行栽培を学んだ。今は有機栽培を行っているが、学校で学んだ内容も研修先で学んだ内容も慣行栽培だったため、有機栽培については独学で勉強した。
研修先だった河合町の自然環境や、地域の人たちの人柄に感動した長尾さんは、そのまま河合町で2反の農地を借り、21歳のときに長尾農園を立ち上げた。就農直後は慣行栽培でトマトを作っていたが、元々有機栽培を志していたこともあって、数年かけて慣行栽培から減農薬栽培、そして有機栽培に切り替えていった。
主な栽培品目は、各種トマトやミニトマト、万願寺とうがらし(4月~10月)やほうずき(4月~11月)、ハーブ(4月~7月)や野菜、和紙の原料になるコウゾなど、さまざまな作物を作っている。
冬の暮らしを支えてきた山中和紙作りを、次世代に伝える
そして、11月になると、飛騨に古くから伝わる山中和紙職人としての暮らしが始まる。
山中和紙というのは、鎌倉時代ごろから、河合町で800年以上作り続けられている伝統工芸品だ。この地域で栽培されるコウゾとトロロアオイを原料に使用し、一般の和紙よりも頑丈でうっすらと茶色がかっているのが特徴だ。
コウゾは古来から和紙の原料として使われている低木で、繊維が長く強固なため、粘りが強く頑丈な紙になる。また、トロロアオイはオクラに似た花を咲かせる植物で、根から抽出される粘液が、和紙の原料であるコウゾの繊維質を均一にほどく性質があり、和紙作りには欠かせないという。
積もった雪の上にコウゾをさらして白く色抜きをする「雪晒し(ゆきさらし)」という技法を用いており、豪雪地帯ならではの作り方を今に伝えている。
河合町の農家にとって、山中和紙づくりは養蚕と並んで大切な冬の収入源だった。和紙作りが最盛期を迎えていた江戸時代、200軒ほどの家で和紙作りが行われていたという。しかし、今となっては長尾さんを含め3軒しか職人は残っていない。
長尾さんにとって、和紙作りは単に冬の収入源であるだけではない。冬の暮らしの中で、地域の歴史や伝統を次世代に伝える大切な時間なのだ。
年間2500~3000枚の和紙を作っているという長尾さん。意外にも、長尾さんが山中和紙を知ったのは、河合町で就農したあとのことだ。
「山中和紙の存在は知っていましたが、身近に思ったのは25歳の時ですね。清水さんという山中和紙職人の方のところで、コウゾの栽培管理の手伝いをすることになったんです。その時はまさか、自分が職人になるとは思いませんでした」
コウゾの栽培管理を手伝い始めて2年、長尾さんにある転機が訪れる。職人が減少し、山中和紙という伝統が途絶えてしまうことを案じた清水さんが和紙職人の後継者を探し始めたのだ。当時長尾さんは、冬はスキー場でアルバイトをしていたが、伝統工芸を支援している飛騨市から「やってみないか?」と声を掛けられた。「何かの縁だし挑戦してみよう」とアルバイトを退職。和紙職人の修業を始めた。
清水さんから教わった和紙職人の仕事は多岐にわたる。原材料であるコウゾやトロロアオイの栽培、雪晒しなど原材料の処理法、紙の漉き方など、和紙作りに欠かせないイロハを2年かけて学んだ。
「師匠には丁寧に優しく教えていただきました。これまで手掛けてきた農作物の栽培とはまた異なる、経験したことのない作業に取り組むのが楽しくて、充実していましたね」と自身の修業を振り返る。
冬の紙漉きに向け、原材料作りから準備を始める
和紙そのものを作るのは冬場だが、原材料から手作りする山中和紙職人は、5月から準備を始める。
① 5月
トロロアオイの種まきをする。
トマト類や万願寺とうがらしの栽培管理も並行して行う。
② 6月
コウゾの栽培管理が忙しくなる。芽かきをして脇芽をとったり、草取りをしたりする。
③ 11月
原材料であるコウゾとトロロアオイを収穫する。収穫したあとは、コウゾを1メートル位に切って、釜で蒸して皮をむく。皮をむいたあとのコウゾは1年ほど乾燥させる。
④ 12月
紙漉きを始める。原材料には1年かけて乾燥させたコウゾを使う。
<紙漉きの工程>
1.コウゾをふやかし、炭酸ナトリウムで煮る
2.繊維だけ取り出し、細かいゴミを取る
3.たたいて繊維をほぐす
4.紙漉きをする
この4工程を、だいたい1週間から10日間かけて行う。長尾さんの工房では、3月くらいまでにこの一連の工程を6回転ほど行い、和紙を作っている。
⑤ 2月
和紙作りの合間に、来年使用するコウゾの雪晒しを行う。
コウゾの表面の皮をとり、内側の白っぽい皮を削って雪の上に晒し、色を抜く作業。豪雪地帯に古くから伝わる和紙制作の技法だ。
意外性のある用途。こんなものにも使われている山中和紙
和紙としてだけではなく、さまざまな用途にも使われているのが山中和紙の特徴だ。山中和紙は作り方次第で、厚さや模様を変えることができるため、多様な使い道があるのだという。
「私の作った山中和紙の半分程度は、河合町近辺で使われています。地元の保育園では、卒業証書に山中和紙を使っているんです。卒業証書の紙を子どもが自分で作るのが伝統になっているんですよ」
卒業証書のほかにも、市内の蕎麦(そば)屋で、蕎麦を包む紙に山中和紙を使っていたり、飛騨市の道の駅では、ランプシェードにも使われていたりする。
山中和紙は一般的な和紙と比べて粘りがあって頑丈で、プリンターで文章や写真などを印刷できるため、飲食店のメニュー表やカレンダー、キッズメジャーなどいろいろな商品に山中和紙が活用されている。
「山中和紙を使ってくれる人が増えてきて、ありがたい限りです。山中和紙は職人だけではなく、原材料を作る農家も減ってきています。いずれ次の世代の子どもたちが和紙作りと原材料栽培の両輪を継いでくれていったらうれしいですね」
冬は農業ができない。だからこそ、自分と向き合うことができる
飛騨市は雪深いところで、冬の間は農業ができない。平地や温暖地と比べて、農業という面では不利な場所だ。だが、長尾さんは「飛騨だからこそできる暮らし方が私にはあってるんです」と語る。
「夏は一生懸命農業に取り組んで、冬の間は好きなこと、やりたいことを追求できるんです。私のように変わった仕事をしてもいいし、のんびり過ごしてもいい。いろいろな暮らし方を実践できるのが飛騨のいいところだと思います。
1年中農業で働く時代ではなく、いかに自分の人生を追い求めることができるのか。自分のスタイルにあった暮らしをしたいという人には、飛騨はベストな場所です。ぜひ若い人に来ていただきたいですね」
飛騨市の厳しい冬は、農業活動を一時的に休止させるが、それがかえって多様な生活スタイルを可能にしている。長尾さんのように、季節に応じた暮らしの中で、自分らしい時間の使い方を見つけることができる。飛騨は、自分自身を見つめ直し、個性的な生活を実現したい人々にとって理想的な場所であるといえるだろう。