球団に“怒り”も…プロ野球、契約更改を保留した6人。フロントとの”銭闘“を…

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 オフシーズンとなった2024年のプロ野球。現在は契約更改に突入し、各選手が続々と来季契約を締結している。近年の契約更改では大きな問題もほとんどなくなったが、かつては球団側の提示額に納得できず、記者会見で怒りを露わにする選手も珍しくなかった。ここでは、契約更改で不満を見せた歴代選手を紹介したい。

 

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中村紀洋

出身:大阪府

投打:右投右打

身長/体重:180cm/93kg

生年月日:1973年7月24日

ドラフト:1991年ドラフト4位

 

 日本球界屈指のスラッガーとして、NPB通算404本塁打を放った中村紀洋。中村もまた、契約更改で球団と闘った選手だった。

 

 渋谷高ではエース兼4番打者を務め、チームを甲子園に導く活躍。高校通算35本塁打の実績を引っ提げて近鉄バファローズに入団した。

 

 

 1995年から徐々に頭角を現し始め、2桁本塁打の常連となった中村。2001年には打率.320・46本塁打・132打点と持ち前の打棒を爆発させた。

 

 その後、メジャー挑戦を経てオリックス・バファローズに復帰するも、けがの影響もあり不振に終わる。球団側は減額制限を大きく超える金額を提示したが、中村は公傷を主張し平行線に。6度の交渉も実らず退団となった。

 

 一時は所属先なしの事態となる可能性もあったが、入団テストを経て中日ドラゴンズに入団。日本シリーズのMVPを獲得し、同年オフの契約更改で超大幅アップを勝ち取るなど、まさに激動の1年だったことは想像に難くない。

井端弘和

出身:神奈川県

投打:右投右打

身長/体重:173cm/73kg

生年月日:1975年5月12日

ドラフト:1997年ドラフト5位

 

 福留孝介と同様に、中日ドラゴンズで保留を選択した選手に井端弘和がいる。

 

 井端は堀越高から亜細亜大に入学し、3年秋にリーグ戦優勝を経験。ひざの半月板を損傷する負傷も乗り越え、中日への入団を果たした。

 

 

 プロ4年目にレギュラーを獲得すると、球界髄一の遊撃守備とつなぎの役割を全う。打撃面も年々向上し、2005年は全146試合に出場し、打率.323のハイアベレージを残した。

 

 大幅な昇給が期待された一方、同年オフに提示された年俸額は、井端の想定額に到底及ばず。「金額を見た瞬間に足がガクガクになりました」とショックを露わにした。

 

 この事態を球団側も重く見たのか、前回の提示額を大きく超える金額で更改。最終的には大幅昇給を勝ち取ったシーズンオフだった。

福留孝介

出身:鹿児島県

投打:右投左打

身長/体重:182cm/90kg

生年月日:1977年4月26日

ドラフト:1998年ドラフト1位

 

 日米で実績を残した福留孝介は、契約更改後の会見で怒りを前面に出したことが話題になった。

 

 PL学園高時代に高校生離れした打撃を披露し、近鉄バファローズからドラフト1位指名を受けるも入団拒否。日本生命を経て中日ドラゴンズに入団すると、入団4年目となる2002年に打率.343で首位打者を獲得。

 

 

 その後も中日の主軸打者として活躍を続け、リーグ優勝を果たした2006年は打率.351・31本塁打・104打点と圧巻の数字を残した。

 

 シーズンMVPを獲得したこともあり、大幅昇給が見込まれていたが、球団からの提示額には納得いかず保留。「誠意は言葉ではなく金額」という言葉を残したほどだ。

 

 なお、最終的には最初の提示額からは微増で決着している。

関本健太郎(賢太郎)

出身:奈良県

投打:右投右打

身長/体重:186cm/96kg

生年月日:1978年8月26日

ドラフト:1996年ドラフト2位

 

 まさかの理由で保留を選択した選手が、阪神タイガース一筋でプレーした関本健太郎(賢太郎)である。

 

 天理高では3年時に甲子園出場も果たし、高校通算20本塁打を記録。ドラフト2位という高い評価を受け、阪神に入団した。

 

 

 スラッガーとしての活躍を期待された一方、プロの世界で長打力を発揮できない期間が続いた。しかし、2002年に出場機会を増やして飛躍のきっかけをつかむ。

 

 プロ8年目を迎えた2004年、サードやファーストで出番を獲得し、110試合出場で打率.316をマーク。2006年には規定打席に一歩届かなかったが、打率.301を残した。

 

 その年の契約更改では、担当者があくびをしたことを理由にサインせず保留を決断。関本本人は後に謝罪したが、2回目の交渉では1回目の提示額を大きく上回る金額を提示され、思わぬ形で年俸アップを勝ち取ることとなった。

森本学

出身:大阪府

投打:右投右打

身長/体重:175cm/78kg

生年月日:1978年1月6日

ドラフト:2002年ドラフト6巡目

 

 控え選手に対する評価の見直しを求め、保留を選択したのが福岡ソフトバンクホークスの森本学だ。

 

 森本は大阪桐蔭高で持ち前のユーティリティぶりを発揮。卒業後は福井工業大に進学すると、リーグ戦では首位打者も獲得した。

 

 

 その後、社会人野球のシダックスでプレーを続け、2003年にダイエー(現:ソフトバンク)に入団。

 

 入団後しばらくは控え、あるいは守備固めといった起用が多かったものの、2009年は松田宣浩の故障もあってキャリアハイの95試合に出場。

 

 だが、球団からの提示額は自らの希望額には届かず。「レギュラーだけで試合をやってみてください」と主張した。改めて、控え選手の大切さを認識する一件だったと言えるだろう。

杉内俊哉

出身:福岡県

投打:左投左打

身長/体重:175cm/82kg

生年月日:1980年10月30日

ドラフト:2001年ドラフト3巡目

 

 「携帯会社と同じで既存契約には冷たい」と痛烈な言葉を残した杉内俊哉。球団に対する怒りは相当なものがあったのだろう。

 

 鹿児島実時代には甲子園でノーヒットノーランを達成。卒業後は社会人野球の三菱重工長崎で活躍し、福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンク)に入団した。

 

 

 現在の球団名に変更された2005年、杉内は18勝4敗・218奪三振・防御率2.11と抜群の成績を残し、大きく飛躍。同年は最優秀防御率、最多勝のタイトルに加えて沢村賞とシーズンMVPにも輝いた。

 

 その後もチームのエースとして活躍を続け、2010年にも16勝を挙げた。ただ、防御率3.55は、前年より1点以上悪化。これが影響したのか、球団からの提示額は杉内の想像より低い金額に。球団の事業に対する皮肉も交えつつ、保留を選択した。

 

 この一件をきっかけに球団との溝が深まり、2011年オフにFA権を行使。読売ジャイアンツで現役生活を終えることとなった。

 

 

【了】