「官能検査員」。耳なじみのない人もいるかしれない。実は、優れた感覚で商品に異常がないかを確認する味覚・嗅覚のスペシャリスト。今回は、世の中的にもあまり知られていない官能検査員の世界をのぞいてみた。
「官能検査員」について話をしてくれたのは、サントリープロダクツ 天然水北アルプス信濃の森工場で品質保証部門の技師長を務める溝口耕太郎さん。官能検査員である彼に話を聞くだけでなく、筆者も官能検査を体験させてもらったので、その様子とあわせて紹介していこう。
■官能検査員って何するの?
はじめに官能検査員とは、どんなことをするのだろう。キホンの「キ」を聞いてみた。
「官能検査と一口に言ってもですね、飲料工場と天然水工場とでは、行っていることが多少違っています。味がついているものの官能を"香味官能"といって、匂いがついてる飲料が、この匂いの中身でいいのかどうかを評価します。一方で、天然水の場合は余計なものや、商品価値を失うようなもの(異味異臭)が入っていないかを検査します。対象製品の種類によって官能検査も異なってくるのですが、その中で天然水というジャンルでは違った能力が求められるんです」
違った能力? それは?
「異臭を嗅ぎ分けられる能力が必要となります。どれぐらいのものを見分けるかというと、25mプールを思い浮かべていただいて。そこに目薬一滴の悪臭を入れて、それがわかるぐらいの官能力がないと、天然水って基本的に官能評価してはいけないんですよ」
25mプールにたった一滴!? 「世の中ではこんな風に例えるんです」と笑う溝口さん。うん、言っている意味がわからない(笑)。イメージするのさえ困難だが、とにかくすごい能力の持ち主ということは理解した。だが、毎回プールを用意して測定するのは大変そう……。
「ただ、実際にやっているのは、5種類ほど悪臭の成分を用意して、10本ぐらいランダムに並んでるボトルのどこかに異臭を入れるんですね。その状況でテストをします。まずは、どのボトルに入っているか、次に何の種類の異臭が入っているかを当てる必要があるんです」
この試験に合格すると優秀官能検査員の冠が与えられ、天然水の官能評価がはじめてできるようになるそうだ。一方で、1年に1回行われるこの試験に不合格になってしまうと、その肩書は名乗れない。つまり、どんなに偉くて経験があったとしても、試験に落ちれば官能検査員からは離れなければいけない。
シビアな世界……と思っていると、溝口さんがこんな補足を。
「勘違いがないようにお伝えしたいのですが、みんな(官能検査員を)専業でやっているわけではありません。資格として(官能検査員を)持っていると考えてくださいね」
なるほど。じゃあ、資格を失って職がなくなるわけではないのか! ちょっとホッとした。ちなみに、官能検査員になるため、利き酒師やソムリエのような統一試験や基準というものはないのだとか。その理由を尋ねると……
「商品の設計自体、各社違うので、商品の品質を守るためにそれぞれが規格を決めています。そのため違ってきて当然なんですね」
確かに。目的が"味を見分ける"ではなく"品質を守る"だとしたら、その基準は違って当然なのか。うんうん、ちょっとずつ官能検査員という役割も見えてきた。
■浄水器の水が物足りない!? 繊細な感覚に迫る
そんな味覚や嗅覚を研ぎ澄ます官能検査員。日々の生活で気をつけていることも多いのでは?
「舌がしびれるようなものを食べた直後に検査をすると結果は変わってしまう可能性はあるので、そういう面ではちょっと気を使います。かと言って、全くお酒を口にしないなど、自分のサイクルや日常を崩してまで備えるってことはあまりしていません。それよりも、サイクルを乱さないように気を使っています」
続けて、仕事をする上で大切にしていることをこう話す。
「やっぱり大事なことは、最終的に自分の体調が変わっているっていう状態を、知っていること。知っていれば当然、検査にあたってはいけないことがわかります。正しく結果を出すことが大事なので、いつもと異なる体調の場合、誰かに変わってもらいます。自分は今平常なのかということに関心を持つことが重要ですね」
だとすると、自分をコントロールできる人が、官能検査員って多いのだろうか? "向いている人"や"共通していること"を聞いてみた。
「工場で官能検査員の試験に受かった人たちを見てみると、年齢もバラバラ、性別もバラバラなんですね。ただ、一般的に女性の方が感度が高いといわれています。男性と違って、鼻の嗅覚細胞の数が女性の方が倍あるといわれているんですね。本社側で官能検査を専門にしてる人がいるのですが、それは女性が多いですね」
なるほど、それは興味深い!! では、ほかに"官能検査員あるある"なんてものは、存在するのだろうか。
「実は東京が住まいで、こっち(長野)に単身赴任しているんですけど、東京に帰ったら、飲食店で飲む水がなんか違うなっていうのを感じます。飲食店の水って、浄水器を通してるので、本当の"無"に近くなっちゃうんです。それに物足りなさを感じるっていうのがあります。飲んだときに作られたような水だなって」
作られた水? 水が物足りない……!? 次元の違う話に戸惑うと同時に、自然と笑いがこみあげてきた筆者。とにもかくにも繊細な仕事なのだと理解した。
■"外の世界"に気づいて面白さが見えた
では、溝口さんはなぜ官能検査員になろうと思ったのだろう?
「私自身が希望してやりたいって言ったわけではないんです」
天然水の品質を守るために技能を身に着けたのが始まりだったと話す溝口さん。じゃあ、ここまで続けてこられた原動力とは? そう尋ねると、鳥取にあるサントリー天然水 奥大山ブナの森工場にいた頃の話をしてくれた。
当時、すでに官能検査員として働いていた溝口さんは、水質検査のため試験的に掘った井戸へ水をくみに行った。だが、そのときは真冬の1月、しかも外は風速30mだというから恐ろしい。散々な思いで帰ってきた彼は、当時の工場長に、なんでこんなところに工場を建てたのか、質問を投げかけた。
すると工場長は「(奥大山工場の)上流には国定公園があり、もうゴルフ場も作れない、リスクが全てない場所にこの工場はある。ここほどに天然水を作るのに向いてる場所はないだろう」と答えたそう。
それを聞いた溝口さんは、「ものづくりが、工場という"箱の中"だけじゃなく、その外から始まっているんだという話を聞いて、なるほど。じゃあ、官能検査も、箱の中でただ匂いを嗅いでるだけじゃないんだと。水が取れるまで全て通ずる。そこに目を向けることで、仕事の面白さとか、こう魅力みたいなのが、ぐっと深まったんですね」と話す。
てっきり水と向き合っているとばかり思っていたが、実は水ができるまでのもっとずっと広い世界と彼は向き合っているようだ。
■素人でも見極められる!? 官能体験にトライ
ここまでずっと話を聞かせてもらったが、最後に筆者も官能検査体験をさせてもらった。お題は、3つのグラスの中に1つだけ異なる味のドリンクが入っているので、それが何なのかを当てるというもの。
いやいや、素人には厳しすぎるだろ……と心の中で愚痴を漏らしながらレッツトライ。コツはグラスを回し、飲む前に香りを嗅いでから、空気と一緒に水を口に含んで味を確認するとよいのだとか。
最初はあまりよく違いがわからなかったが、数回飲み比べていくと、なんとなくだが、1つだけ味わいが違うように感じた。
「すごい! あたってます!」
周囲に褒められ俄然(がぜん)やる気になった筆者。その後、何度も試飲をし、ようやくりんごのような味わいにたどり着いた。「才能あるかもしれませんよ」と、最後まで褒めてくれた溝口さん。
25mプールの一滴がわかるなんてこれは自分の新しい才能だ、と高揚していたら、実は今回のテスト、25mプールではなくバケツ1杯の量に、目薬一滴程度を入れただけ。
そりゃそうだ、"そんな簡単な仕事じゃない"ってさっきよくよく聞いたじゃないか。調子にのってごめんなさい……。体験してわかった、25mプールの一滴を見極める大変さとそのすごさ。
最後に、溝口さんに今後の展望を聞いてみた。
「天然水って"ただの水じゃないか"って方もいらっしゃると思いますが、もっと(天然水の)魅力を伝えていけたらいいなって。自然からもたらされるものっていうことをもっと理解し、自然の変化があるから、こういういいものができるんですっていうことを、伝えたりできるようになるとうれしいです」