タレントの黒柳徹子が、きょう25日に放送される日本テレビ系バラエティ特番『1周回って知らない話SP』(19:00~)に出演する。
1953年、テレビの誕生と共に生まれた“テレビ女優第1号”の黒柳。MCの東野幸治から「テレビの初日のことは覚えてますか?」と聞かれると、考える間もなく「覚えてます」と即答。放送初日の様子を鮮明に振り返り、さっそくスタジオの度肝を抜く。
そんな芸能界のレジェンドに聞きたい“今どきの視聴者が1周回って知らない疑問”は、「今の芸能界、ぶっちゃけどう思ってるの?」。テレビに出演し続けて70年、芸能界の表と裏を誰よりも見てきた黒柳は「今、忖度があるとかないとか、皆さんおっしゃいますよね。でも昔、テレビが始まった頃って…もっと露骨だった」と語る。
放送開始当初は全て生放送だったテレビ。ニュースやスポーツ中継はもちろん、ドラマも生放送。それゆえ、今では考えられないハプニングが続出していた。ドラマの最中に出前が来たり、アドリブが多すぎて放送時間が延長したり、挙げ句には話のつじつまが合わなくなってドラマが強制終了ということも。「なんだか分かんないうちに、みんな家に帰っちゃう」と当時を面白おかしく振り返る黒柳だが、セリフを全く覚えてこない“ある大物俳優”には手を焼いたという。
ゲストには、黒柳を慕う田原俊彦が登場。田原を10代の頃から知る黒柳は「あなたも62歳になったの?」と時の流れに驚く。そんな2人の出会いは、黒柳が司会を務めた大人気番組『ザ・ベストテン』(TBS)。番組開始当初、黒柳は司会を引き受けるに当たって1つだけ条件を出していたという。後に『ザ・ベストテン』を人気番組へと押し上げる要因にもなった、そのこだわりとは…。
『ザ・ベストテン』に毎週のように出演していた田原。当時は歌番組全盛期で、田原のような人気アイドルは各局から引っ張りだこだった。分刻みのスケジュールの中、スタジオでの生出演が無理なら中継で…と、移動中の公園で歌わされたことも。今ではあり得ない中継映像の数々が一挙公開される。
一昔前のタレント名鑑には、芸能人の住所や電話番号、納税額までもが掲載されていた。そのため当時は、芸能人の自宅に突撃したり、芸能人の子どもの運動会に潜入したり、新婚旅行にも同行してしまうという事態に。黒柳の家はもちろんのこと、田原も引っ越したばかりの新居に突撃されたという。さらに、納税額も知られるので収入もバレバレだった、プライバシーゼロなトンデモ時代を貴重映像で振り返る。
黒柳のおかけで人生が変わったという斉藤由貴も登場。かつて黒柳からもらった贈り物を今も大切に持っている斉藤に、黒柳は「うれしい!」と大感激だ。そんな斉藤と一緒にふり返るのは、忘れられない経験となった『NHK紅白歌合戦』。1958年、それまではベテランアナウンサーが務めるのが慣例だった紅白の司会に、当時25歳の徹子が異例の大抜てきとなり、ただでさえ緊張していたが、放送当日、緊急事態が発生。さらに、やっと現れた大物歌手の名前を…。あたふたする黒柳の実際の音声が公開される。
テレビ界のレジェンド・黒柳徹子と音楽界のレジェンド・松任谷由実は、一緒に散歩へ出かけるほどの仲だが、実は共演していない空白の10年があった。発端は1981年、2人の初対面となった『ザ・ベストテン』での出来事。番組初登場のユーミンに黒柳がとんでもない一言を浴びせてしまい…。その場が凍り付いた当時のやりとりを完全再現。初対面から40年が経ち、すっかり仲良しの徹子とユーミンが交わした“ある約束”に、スタジオ一同が感動する。
今年で48年目の長寿番組『徹子の部屋』。その長い歴史の中で出演者を怒らせてしまいそうになった黒柳の失言を、黒柳に憧れるフリーアナウンサー・神田愛花と一緒に振り返る。人気デュオに見当違いのアドバイス、国民的子役への容赦ない一言、芥川賞作家がアタフタ……その自由すぎる発言に、さすがの神田も感服する。
さらに、黒柳と共に3人娘として活躍した同期2人の貴重な証言VTRを交えながら、デビュー秘話を公開。採用試験でやらかしたとんでもない行動と、才能を見抜いて窮地を救った恩人とは。さらに、「ものすごく悲しくて…」と70年の芸能人生で唯一涙を流した事件を語る。
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