20日に放送されるドキュメンタリー番組『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』(毎週金曜22:00~)では、「金閣炎上 若き僧はなぜ火をつけたのか」と題し、金閣寺放火事件を起こした犯人の動機に改めて迫る。
■金閣寺放火の犯人は若き修行僧
1950年7月2日未明、金閣寺が放火により焼け落ちた。消防署が駆け付けたときには、すでに鳥かごの骸のような状態になっており、義満の像や運慶作の観音像など、貴重な国宝は全て焼失した。
犯人は、金閣寺で修業する青年僧・林養賢。男が取り調べで語った動機「美に対する嫉妬」という言葉に触発された三島由紀夫氏は『金閣寺』を執筆した。一方、水上勉氏は20年かけて事件の背景を取材し、三島氏と全く異なる視点で1979年に『金閣炎上』を発表した。
■金閣寺の再建に奔走した住職・村上慈海
少年時代から70年間を金閣寺で過ごした金閣寺16世住職・村上慈海氏は、弟子に金閣を放火された後、再建に奔走する。臨済宗の僧侶で作家の玄侑宗久氏は、慈海氏と同じ京都の修行道場で修業した経験を持ち、以前より事件に興味を持っていた。今回改めて供述調書や精神鑑定書に目を通す中で、慈海氏と養賢の間には「事件の前に我々にはうかがい知れない“何か”があった」と推測する。
事件前の林養賢をよく知る鈴木義孝氏。養賢と大谷大学の同級生で、金閣寺に泊まりに行っては、二人で好きな文学や映画について語り合った。養賢は金閣寺を愛し、「俺の金閣」とも語っていたという。金閣の鏡湖池で、養賢がよく吹いていた尺八が今でも忘れられない。
■事件の供述調書を写した「若木文書」
事件の供述調書の写しや下書きを保存した「若木文書」。このファイルの存在が、三島氏や水上氏に作品を書かせた、とも言われている。まとめたのは、西陣署の見習い警部だった若木松一氏。放火の第一報を聞いて現場に駆け付け、養賢の逮捕や取り調べも行って、事件の一部始終に立ち会っていた。
なぜ若き僧は金閣に火をつけたのか。そして、弟子に金閣を燃やされた住職・慈海氏の胸中とは。金閣焼失に隠された謎と、人々を魅了し惑わす金閣寺の魔力に迫る。