酪農業界危機、そして今
2022年、酪農業界がいかに厳しい状況にあるかをこの連載内で伝えました。
この記事の公開当時、ウクライナ問題や円安などさまざまな外的要因によって、牛の飼料価格はかつてないほど高騰していました。
時を同じくして、生乳が余る需給緩和の状況にも直面。背景にあったのは、数年前から国策によって進められていた急激な規模拡大による生乳生産量の増加、そして、新型コロナウイルスの影響による消費量の減少でした。製造コストは上がっているのに即座に価格転嫁できないような状況に陥り、酪農業界は未曽有の危機を経験したのです。
農家として消費者に向けて窮状を訴え小売価格の増加に理解を得ることが、マイナビ農業に掲載した記事の意義でした。であれば、その後の経営状況の改善も伝えることが消費者に対する誠意であると考え、本記事をしたためております。
酪農界全体については、楽観するにはほど遠い状況です。ある程度の経営規模がなければ資金繰りも難しいため、今回の危機を乗り越えられずに廃業に追い込まれた酪農家も多いと聞きます。ただ、一時に比べると改善の兆しも見え始めています。
そこで今回の記事でも私の経営する朝霧メイプルファームの決算書などの数値をもとに、現在の状況を皆さんにお伝えしたいと思います。
結論から言えば、昨年に比べメイプルファームの状況は回復しています。2023年10月現在、牛乳を搾るほど損になるような異常な状態ではありません。しかし将来を楽観できるほど安定しているとは言いがたく、特に需給の緩和に対して特段の注視をしている、という状況です。要するに小売価格が上昇したことによって消費が落ちてしまうのでは、という心配です。
以下に現在の状況説明、私がこの1年で変わったこと、そして酪農業界の将来についてまとめようと思います。
乳価上昇、飼料費の減少
酪農の経営状況に影響を及ぼす数字は主に2つあります。乳価、そして飼料費です。ひとつずつ説明していきます。
乳価
生乳の販売価格「乳価」は、地域ごとの生産者団体と乳業メーカーによる協議で決められます。これに関しては2023年10月現在までに2回上昇するタイミングがありました。2022年11月の飲用向け乳価、そして2023年4月の加工乳向け乳価の引き上げです。
生乳は出荷したものが全て同じ価格で買い取ってもらえるわけではなく、用途によって価格が変わります。出荷したままの生乳をほぼすべて製品にできる飲用に比べ、チーズやバターなどの加工に使われる生乳の価格は低くなっています。生乳の用途は受け入れを行う地域によって違うので、地域ごとに農家が受け取る「乳代」は変わります。例えばある地域では生乳向けの買い取りが多かったり、また別の地域では加工乳の受け入れの方が多かったりとさまざまです。
また、生乳の需要が高まり生産量が落ちる夏の乳代は高く、需要が緩和し生産量も伸びる冬の乳代は低くなります。季節によって乳代が変わるのです。乳業メーカーとしてはなるべく夏に多く搾ってもらって、牛乳が余る冬には控えてほしいというわけです。
上図は2020年のグラフです。メイプルファームで生乳1キロあたりの乳代が最も低かった3月をゼロ円として、その3月に比べてどれほど差があるのかを示しました。この年は1年間乳価の引き上げはありませんでしたが、季節によってかなりの差が生じました。
7~9月は、3月とおよそ15円の差があります。例えば毎日10トンの牛乳を出荷しているとすれば、その差は1日15万円にもなります。
季節による乳代の違いについて理解してもらったところで、本題の乳価引き上げによる影響を説明します。
この図は2021年1月から2023年7月までの期間において、生乳の1キロ当たりの乳代が最も低かった2021年3月を基準とした乳代の推移のグラフです。前年の同月と比較して見てください。
ちなみにこの数字はあくまで朝霧メイプルファーム個別の成績であることに留意してください。生乳中の脂肪分やたんぱく質の量が減ると、乳価も落ちます。原則乳業メーカーは濃い生乳を求めており、濃い牛乳には報奨金のような加算の制度を設けています。
2022年11月、飲用向け乳価の引き上げがあって、メイプルファームの生乳1キロ当たりの乳代も前年同月より7円高くなりました。さらに加工向け乳価の引き上げがあった2023年4月は前年同月に比べ12円増となりました。下のグラフは金額を省略したメイプルファームの売り上げ高のグラフですが、2023年4月以降、それまでより売り上げが高くなっていることがわかると思います。
飼料費
続いて飼料費に移ります。
ウクライナ問題、円安ドル高、コロナ問題、中国などの畜産需要の高まりによる引き合いの増加などを背景に、この数年は一貫して飼料価格が上昇する傾向にありました。必然的に、メイプルファームの飼料費も増加することになったのです。
しかしここ数カ月、特に3月あたりから配合飼料価格は低下傾向を示しています。
為替自体は依然として円安傾向にありますが、予想以上の豊作により、トウモロコシの国際価格が急落するなど、ここ数カ月に関して言えば下落しているようです。
乾牧草の輸入相場に関しても、暴騰した2022年と比較すれば今年度は比較的落ち着いているようです。
乾牧草相場の落ち着きに関して原因をネットで調べましたが、ネット上ではまだ価格減少に言及した公的な見解は見つけられませんでした。
飼料業界関係者に話を聞いたところ、2022年の乾牧草相場暴騰により、世界的に農家からの引き合いが弱まり、在庫が増えたことで価格減少につながったのではないだろうか、とのことです。
これらの事情をふまえ、同時期のメイプルファームの飼料費推移を見てみます。
図はメイプルファームにおいて、最も飼料費が低かった2022年2月を基準に、どれほど差があるかを示したグラフ。最大で1500万円ほどの差がありましたが、2023年3月からは減少傾向を示しています。これは主に乳牛用の配合飼料価格の低下が影響していると思われます。
経営は回復傾向。しかし油断はできない
では結局のところ、現在の酪農の状況はどうなのでしょうか。一言で言えば以前と比べれば好転はしているようです。朝霧メイプルファームに関して言うと、搾るほどに赤字というような異常な事態は脱しました。しかし、何度も注釈を入れたように、これはあくまで個別のケースであり、乳価がここまで上昇していない地域や、飼料費が下がっていない地域もあるはずです。また、地域によっては厳しい生産抑制圧力により頭数を大きく減らしてしまった農場もあるでしょう。
改めて、メイプルファームの飼料費と乳代が前年の同じ月と比べてどのように増減してきたか、その推移を見てみましょう。
飼料コストは長い間上がり続けていたのに対し、乳代が上がったのは2022年11月に飲用の乳価の引き上げがあってからで、まだ1年に満たないのです。本来であればコストが上がった分だけ、早急に、柔軟に価格転嫁がなされていればよかったのですが、需給の緩和によりそれが果たせませんでした。
飼料価格に関しても、まったく予測できません。為替は2023年9月時点で、依然として円安基調です。ウクライナ問題も長期化の様相を呈しています。来年どうなっているのか予測することは非常に困難です。
自給飼料の増産、生産量の安定化へ
酪農家個人が考えなければならないこと。つまり私自身が考えることは、やはり自給飼料の増産を行い、外的要因に左右されにくい経営を目指すことです。今になってようやく草地管理を真面目に勉強し直しています。施肥や播種(はしゅ)など、時間をかけるほどしっかりと成果が表れる、努力が報われる仕事なのだとようやく理解できました。
一方で行政や農協などに期待することといえば、需給のバランスを見極め、極端な増産や減産が起こらない、安心して経営計画を実行できる環境を整備してもらいたいということです。
規模拡大に対する補助金や、減産に対する補助金など、補助金一つで業界の命運が大きく左右されることを私も目の当たりにしました。日本の酪農を支え、そして未来の展望を持つ志ある経営者を離農に向かわせることだけは避けてほしいです。
すべては消費者との信頼関係のため
昨年一番苦しかった時、酪農業界の窮状を訴える記事を書きました。多くの気遣いと価格上昇に対する理解を得たと実感しています。本当に多くの方々に心配の声をいただき、励まされました。だからこそ、現状を伝えることが義務だと考え、こうして記事を書いたのです。
この数年の損失を取り戻すのには時間が必要です。今もまだまだ苦しい酪農家も多くいます。なんだ、もう酪農家は大変じゃないのか。そんな誤解だけは生まないように心がけて情報発信していきたいと思っています。
いい情報も悪い情報もできるだけ出すことで消費者の信頼を得て、乳製品に対する変わらぬ愛を育んでいきたいです。