2500坪の敷地にカフェを建設するバニラ農家
奄美大島は九州本土の鹿児島市から南に約380キロ離れた海洋性亜熱帯の島だ。一年を通して暖かく、スコールのような雨も降る。一面のサトウキビ畑が南国の雰囲気を醸し出している。
そんな奄美大島で、2022年の春からバニラを栽培しているという林晋太郎さんに取材しようと、指定された場所にやってくると、そこは畑ではなく建設現場だった。奄美空港から車で5分足らずだが、まわりは畑や原野以外何もない場所だ。
迎えてくれた林さんは真っ黒に日焼けしていて、官僚の面影はすでにない。すっかり南国の農家の人という雰囲気だ。「今、カフェを作っているんですよ。8月末には完成予定だったんですけど、台風とかもあって遅れちゃってて」と言いながら、ニッと歯を見せて笑う様子に人の良さを感じた。
「カフェの名前は『PolePole(ポレポレ)』って言います。バニラに出会ったタンザニアにちなんだ名前にしたくて、スワヒリ語で付けました。意味は英語で『slowly slowly(ゆっくりゆっくり)』、奄美の言葉では『よーりよーり』ですね~」
そう話す林さんの雰囲気には全くせかせかした様子は見受けられない。「PolePole」は林さんの性格を表したものなのかと思ったら、実情は全く違った。話を聞いてみると、林さんの農家としての経営計画はかなりのスピードで進んでいたのだ。ちなみに、カフェ建設もその一環。「バニラってお菓子に使うから、カフェと相性がいいんです。ここは空港にも近いので、搭乗前のラウンジ感覚で使ってもらえればと思って選びました」とのこと。ちなみに、この土地は……
「買ったんですよ~。2500坪(約8260平方メートル)です!」
故郷に似ているタンザニアでバニラに出会う
林さんは奄美大島の出身。父親は建設関係の仕事をしていて、農業とは縁のない家で育った。高校卒業後は九州大学農学部に進学。農学部を選んだのは「なんとなく世界の地球温暖化問題とか自然環境問題の勉強をしたいと思った」からだそう。そして卒業後、2010年に農水省に入省した。
入省5年目からは外務省の本省へ出向になり、2年間SDGsに関連する部署で働くことに。その後いったん農水省に戻り、2019年から2022年3月までタンザニアの日本大使館に赴任。そこで出会ったのがバニラビーンズだった。
「タンザニアって広さが日本の2.5倍もあるから、いろんな気候のところがあるんです。タンザニアでバニラを育てていたところは標高1000メートルぐらいある山の中腹だったんですけど、木々がたくさんあって、バナナがなっていて、パパイヤがあって、島野菜っぽい野菜もあって、そこにバニラがある。それを見て『すごく奄美に似ているな~』と思ったのが、バニラをやってみようかと思ったきっかけです」(林さん)
林さんはその思い付きをそのままにしなかった。もともと林さんは「いずれ奄美に戻りたい」と思っていたからだ。「バニラは地元に戻るためのツール」とも語る。
祖父母にかわいがられて育った林さんだが、4人とも林さんが島を出ている間に亡くなってしまった。4人のうちの最後に母方の祖父が亡くなったときはタンザニア赴任中で、葬式にも出られなかったという。
「いちばんお世話になったじいちゃんの死に目に会えなかったのがつらかった。その時に官僚として生きていくか、奄美に帰って奄美のためになることをやるかと考えて、後者の方がじいちゃんたちが喜んでくれるかなと思って」
奄美大島では若者の多くが高校卒業をきっかけに島外に出るため、人口減少や高齢化の一途をたどっている。奄美を若者たちにとって魅力的な場所にするためにも、奄美に新しい魅力的な産業を作りたいという思いが、林さんを突き動かした。
奄美でバニラ栽培のメリット
そこからタンザニアにいる間、奄美でバニラ農家になることのメリットとデメリットを洗い出した上で、メリットがデメリットを上回ると判断した。そう考えたのには、離島ならではの事情がある。
「奄美は離島なので、台風とかで船が止まると店から食べ物がなくなる。奄美は食料を島外に頼っているんです。その逆もしかりで、奄美の特産品にはマンゴーなどがありますが、船が止まると出荷できず、ロスになる。でも、バニラビーンズはキュアリングという工程で発酵乾燥させるので、真空パックにすれば2~3年保存が可能です。船が止まっても大丈夫なんです」(林さん)
また、バニラビーンズの重さあたりの単価の高さと送料の安さも魅力だという。「大量に使うものでもないので、一度に送る量はそんなに多くありません。クール便にする必要もなく、量によっては郵便局のクリックポストでも送れます」
さらに、栽培にそれほどコストがかからないことも林さんの思いを後押しした。
「基本的に現在のバニラの主産地は発展途上国。タンザニアのバニラ農家さんは肥料や農薬などを買うお金がないので、結果的に無肥料・無農薬です。それでも育ちます」
こうしてバニラ農家になろうと決意した林さんだが、栽培については素人。そこで、まだタンザニア赴任中だった2021年、奄美で試験栽培を始めることにした。しかし、林さん自身はタンザニアにいる。世話はどうしたのだろうか。「親にやってもらいました。パワポで資料を作って、当時東京にいた妻が奄美に帰省した時に説明してもらって」。先ほども説明した通り、林さんの両親は農業関係者ではない。「何でバニラ?」と言いつつも、試験栽培に協力してくれた。そんな両親の懐の深さも、息子の挑戦を支えた。
ちなみに、パワポで両親に説明をした林さんの妻は農水省の同期だそう。出身は東京だが、奄美に一緒に戻ることに反対せず、今は農水省を退職して林さんの会社の社員として働いている。林さんは配偶者にも恵まれているのだ。
お金をかけずにスタート
林さんの車に乗って案内されたバニラ畑は、2反(20アール)ほどの元メロンハウスだった場所だ。就農前から高校時代の友人を通じて土地を探し始め、紹介してもらったという。
貸してくれたのは海外への留学経験もある先進的な考え方を持った農家で、バニラという前例のない品目にも理解を示し、「ぜひ挑戦してほしい」と後押ししてくれたという。
契約の手続きが終わってこの土地に入った2022年6月当時、何年も使われていなかったハウスが7棟建っていた。5棟はそのまま上から遮光ネットをかけて栽培に使うことにしたが、残りの2棟は解体。その骨組みに使われていた鉄パイプを再利用し、バニラ栽培用の棚を作り上げた。材料を買えば相当な出費になるが、ハウスを再利用したおかげでほとんどお金をかけずにできたという。
今、5つのハウス合計で1700本のバニラを栽培している。バニラはラン科のツタ性の植物。林さんによると、タンザニアでは周囲の木に絡まるようにして育っていたという。ツタをうまく誘引してこの棚にはわせていく。これは海外の生産者とSNSなどでやり取りをして学び、自分なりに工夫を重ねつつ考えた方法だという。
根元には栄養分補給と土の乾燥の予防も兼ねて、地域で出るサトウキビの搾りかすを敷き詰めている。これもお金はかかっていない。
こうした作業は一人では難しく、林さんの父も一緒に作業を行った。「父はうちの会社の社員になりました」(林さん)とのことで、バニラ栽培はすでに林家を挙げた一大事業になりつつある。
奄美から日本全国にバニラを供給する未来を描いて
バニラは植え付けから収穫まで、2~3年かかる。栽培を始めたのは2022年なので、収穫できるのは早くて2024年。取材時には一度も収穫していない状況だった。収穫が可能になるまでの収入源については「2年半は無収入でもどうにかなるように考えた」と林さんは言う。
しかし、ただ収穫を待ってゆっくり2年半を過ごす気はないらしい。
「先に販路を作っておこうと思って、バニラの輸入販売を始めました」(林さん)
現在は、インドネシアからバニラを輸入し、個人経営のケーキ店などに販売している。
「僕の会社の名前は『AMAMI(奄美)バリュープロデュース』です。プロデュースは価値を作るということ。僕は奄美の価値を向上させるためにどうすればいいのかと考えて、そのツールとしてバニラを選んだんです」
奄美を日本のバニラの供給拠点とすることで、奄美の存在価値を高めていく。それが林さんの最終的な目標だ。
こういう考え方に至ったのは、国家公務員としての経験があったから。行政でさまざまな政策やプロジェクトに関わってきた経験を、地元の奄美に還元したいと林さんは言う。
「公務員ってガチガチに前例などの制約に縛られて仕事してるって思われがちですけど、実はできないことのほうが少ない。難しいことも多いけど、ロジックを組み立てて考えれば意外と突破口が見つかります。それが公務員の醍醐味(だいごみ)だと思います」
そして林さんは行政の仕事を通じて、地域貢献をしているさまざまなソーシャルベンチャーに携わる人にも出会い、刺激を受けたとも言う。
「すごく面白い人が多かったし、『とりあえずやっちゃったぜ!』という人も多くて、そういうメンタリティーも学ばせてもらいました」
ということで、林さんが「とりあえずやっちゃった」のが、冒頭で紹介した2500坪の土地の購入だ。空港から近くカフェに理想的な立地条件で、畑にもできるということで、すぐに購入を決めたという。
カフェ経営はバニラビーンズの出口としてもともと計画していた。バニラが収穫できる2024年までにはキュアリングの施設も作り、バニラビーンズの生産拠点として、また加工品の製造拠点としても動き始める。
「バニラビーンズってめちゃくちゃ可能性があると思っています。奄美のサトウキビを原料にしたザラメを使ってバニラシュガーが作れるし、名産の黒糖焼酎にバニラビーンズを漬け込んでバニラエクストラクト(風味付けに使われるアルコール液)も作れます」(林さん)と新たな特産品づくりにも余念がない。
近々一般社団法人を設立し、バニラビーンズ自体の普及や栽培技術の普及への取り組みも始める予定だという。その理由は、奄美でバニラ栽培をする人を増やしたいから。投資が少なく栽培を始められるバニラ栽培は新規就農者向きでもあると林さんは話す。「今、バニラビーンズの輸入量は65トンぐらい。うちが10トン、そしてあと10トン奄美の農家が作れるようになれば、奄美から20トン出せます。そのうち、奄美から日本産のバニラを輸出できるようになるかもしれません」
林さんの展望は、すでに奄美を超えて日本全体、そして世界も見据えていた。ふるさとの奄美の魅力がバニラの甘い香りに乗って、世界中に広がっていく日は意外と近いのかもしれない。