約10ヘクタールでレタスや白菜を露地栽培
北海道伊達市にある約10ヘクタールの圃場(ほじょう)で、レタスや白菜などを露地栽培してきた流山(ながれやま・仮名)さん。
高齢と体調等の事情で勇退を考えていたという流山さんから、第三者承継で農業経営を引き継いだのが、昨年創業したupdate(アップデート)株式会社だ。今村さんはここで栽培管理の責任者を務めている。
「現在は流山さんご夫婦に教えていただきながら、栽培技術の習得に励んでいます。実質的にはすでに経営を引き継いで、農業法人として生産、販売に当たっていますが、計7台のトラクターのほか、施設や圃場など有形資産の評価額が決まる来年ごろのタイミングで、正式に譲り受ける見通しです」(今村さん)
新卒で農機メーカー、その後マイナビ農業へ
岐阜県出身の今村さんは大学卒業後、新卒で農業機械メーカーに入社。動機は「世界人口が80億人を超えるなど、『食』を取り巻く情勢に危機感を感じ、自分たちが生きる上で必要な『食』の根幹を支える農業の分野に携わりたい」と考えたから。入社後は営業職として埼玉、群馬、栃木3県の農機具販売店及び生産者のサポートに尽力した。
一方で、業界の行く末に不安がよぎる出来事も多くあった。象徴的だったのが、自社が主催する農機具販売会での一幕だ。「80歳くらいのおじいさんが、100万円ほどする乗用草刈り機を買いに来たのですが、理由を尋ねると『使っていない畑の草を刈るため。そうしないと農地として認められなくなってしまうから』と教えてくれました。後継者がいないがために、年金生活のお金を切り崩してまで農機を買い求めなければならないその姿に衝撃を受けましたね。すぐそこまで、農業という産業の限界が来ているのではとも感じました」と今村さんは振り返る。
この問題の根底には、新規就農者にとって参入しにくい業界構造があると考え、「自分たちが生きていくために必要な食の産業を守っていくために、新しい人が農業を志すきっかけを自分が作っていきたい」と、2019年春に農業関係の広告や媒体運営を手掛ける株式会社マイナビ農業活性事業部(当時)へ中途入社した。この言葉通り、入社後は官公庁や地方自治体と連携し、就農イベントの企画・運営や広報事業などに携わった。
献身的な仕事ぶりが評価され、成績優秀社員を表彰する制度「マイナビグループ全社顕彰」では受賞者の常連だった。2020年に結婚し、翌年には第1子が誕生。夫婦にとってゆかりのある埼玉県内に自宅を構えるなど、自身もこのまま営業マンとしてキャリアを築いていくと疑わなかった。
頭になかった就農の選択肢。体験通じて一念発起
そんな今村さんがなぜ、ゆかりのない北海道へ移住してまで農業に携わろうと考えたのか。転機は取引先の社長の誘いで訪れた、カボチャの収穫の手伝いだった。
「生産現場を知っておくことは、今後の仕事の財産になるだろうと考え、有休を使って訪問したのが、この農場との出会いでした。当時は実際に農業をやりたいとは思っていなかったのですが、収穫に誘ってくれた社長から話を聞くと、どうやら働き手を募っているようでした。社長からはマイナビの求人媒体で広告を出したいというお話をいただきましたが、これは自分で農業ができるラストチャンスなんじゃないかと思い、自ら手を上げました」(今村さん)
話を持ちかけたアップデート代表の梅津国英(うめず・くにひで)さんは「今村さんが自宅を購入してまだ半年で、家族がいるという事情も知っていたので、手を上げてくれた時は正直、半信半疑でした」と笑う。それでも「一度決めたことは曲げない性格」という今村さんの決意は固かった。2023年4月でマイナビを退社し、第2子妊娠中の妻と2歳になった愛娘とともに伊達市へ移住。初めて、農業生産の現場に身を置いた。
農業法人の立ち上げに参画。実質2年で事業を承継
アップデートは、農業経営のコンサルティングなどを手掛けるSucSeed(サクシード)株式会社が分社化する形で立ち上げた農業法人。サクシードの代表取締役社長も務める梅津さんは「前職時代から農業の生産から販売までを支援してきた中で、いつか自分で農業をやってみたいという気持ちが芽生えていました。そんな時、たまたま流山さんから離農の意向と後継者を探している現状を耳にし、農場の規模もちょうどよかったことから、事業を引き継いで農業法人立ち上げを決めました」と経緯を話す。
昨年は流山さんの勧めもあり、研修の一環として1.5ヘクタールの畑を借り受けてカボチャを試験的に栽培。生産から販売までの一連の流れをつかんだ。今村さんを社員として迎えた今年からは、流山さん夫婦の指導を受けながらも、自社での農業経営を手掛けている。本来は3~4年ほどかけて栽培技術やノウハウの引き継ぎ、資金調達を行っていくのが事業承継のセオリーだが、業界に明るい今村さんの経験が生き、融資や補助金の申請など資金調達が滞りなく進んでいることから、研修開始2年後の2024年には正式に事業譲渡がなされる見通しだという。
短期間での事業承継を可能にする理由はもう一つある。栽培技術の見える化とマニュアル化だ。流山さんが培ってきた技術やノウハウなどの無形資産のほか、「生産者の勘」などの経験を言語化し、社内共有ツールとして運用していくという。
「基本的な作業ごとの流れをルーティン化するために、栽培マニュアルを確立させたいと思っています。新しく入った人であっても、すぐに作業に当たることができる体制を作っていきたい」と今村さん。こうしたマニュアルづくりも、栽培管理責任者たる今村さんの務めだ。
栽培マニュアルには、一見して作業の工程やコツが理解できるよう、動画の資料を付けて運用していく。現在、アクションカメラ「GoPro(ゴープロ)」を自身の体に装着し、作業中の手元の動きを映像として残している。これにより、流山さんにとっても長期間にわたって、つきっきりで指導する必要もなくなるというわけだ。
販路は新規開拓のほか、流山さんと取引のあった産地業者との契約栽培の形をとっているが、目標に掲げる「3年以内の黒字化」に向けて取引単価の適正化に動いている。「これまでは市場価格の変動や資材の高騰などの事情にあまり目を向けてこなかった部分がありました。そのため、まずは契約内容や単価を見直すところからはじめています」(梅津さん)。このほか、通年で収益を上げるため、東京都内、伊達市内に焼き芋店をオープン予定。農閑期は今村さんも運営をバックアップしつつ、消費者との交流を計るつもりだ。
取引内容の見直し、新たな販路やビジネスパートナーの開拓と、やるべきことは山積みだが、今村さんの表情からは充実感が漂う。
「まさに今、引退したいと考えている農家さんから継ぎ手として経営を譲り受けるさなかにいます。こうした、新しい人が農業経営を引き継いでいく動きは今後も増えていくべきだと思っていますし、もっとフラットに行われていくべきものだと考えています。まずは黒字化に向けて挑戦を続け、ゆくゆくは自身の経験を生かして、これから同じように農業経営を承継したいと考えている人たちのサポートもできるような人材になりたいですね」
生産者を取り巻く課題、新規就農希望者を取り巻く課題、業界の構造的な課題。これらを身をもって体感してきた今村さんだからこそ、言葉の端々からは強い覚悟と確固たる自信がうかがえた。
■取材協力
update株式会社