地元のカフェで食べられる、伝統農法の野菜

徳島県東みよし町にある「みかも喫茶」は、地元の魅力を発信することを目的としたカフェだ。代表の金村盟(かなむら・まこと)さんは、地元でとれた新鮮な野菜にこだわり、メニューづくりをしている。シロウリなど徳島県内でよく目にする野菜に限らず、ズッキーニなどのヨーロッパ野菜も東みよし町産だ。

みかも喫茶で提供されている地元野菜を使ったメニュー

金村さん。みかも喫茶店内には、地元名産の桐下駄などが並ぶ

これらの野菜を作っているのは町内で300年以上前から続く農家である「田口農園 徳島」だ。田口農園で実践される農法は「にし阿波の傾斜地農耕システム」として、世界農業遺産にも認定されている。「にし阿波」と呼ばれる徳島県西部の美馬市・三好市・美馬郡つるぎ町・三好郡東みよし町の山間地には傾斜の厳しい条件不利地が多い。しかし、この条件でも耕作する伝統農法が継承されているのだ。
一般的に傾斜地では雨などで土壌が流れてしまうため、それを防ぐために階段状に水平な畑を作り、そこで耕作を行うことが多い。日本の傾斜地では水をはるために棚田を作ってコメづくりする風景がよく見られる。水田に限らず、水平な土地のほうが農業の利点は大きいように思える。
しかし、急峻(きゅうしゅん)な山々が連なるこの地域の先人たちは傾斜地のまま畑を作ることにした。斜面に張り付くように形成された集落の景観は日本の原風景を維持しているという側面もあり、外国人観光客にも人気だ。

にし阿波地域の斜面にある集落の様子

伝統的な農法と聞いて筆者は、現代的な資材や機械などは使わない、昔ながらの農法を守っている田舎の風景を思い浮かべつつ、田口農園に向かうことにした。

みかも喫茶の店頭の看板。世界農業遺産の農法で育てられた野菜をアピールしていた

思いがけず現代的! これが伝統農法の畑?

標高400メートルの田口農園まで、まがりくねった山道を車で登る。山の傾斜がきついため何度もカーブしながら、耕作放棄地であろう畑をいくつも過ぎたところに、想像とは全く違う風景があった。山の斜面に横しまを作るように整然と並んだ畝にはビニールマルチが敷かれ、その周りには害獣よけの柵やネットが張り巡らされている。

きれいにビニールマルチが敷かれた斜面の畑

この畑を作り上げたのは、田口農園代表の田口真示さん。ここで約300年続く農家の9代目だ。田口さんは長く関西地方のメーカーで働いていたが、早期退職して2017年に54歳でUターンし、田口農園を継いだ。今は約1.4ヘクタールの土地で年間60種類以上の野菜を作っている少量多品目農家だ。ここで作られた野菜や加工品は、世界農業遺産「にし阿波の傾斜地農耕システム」のブランド認証品にもなっている。

田口さん

また、田口さんは農薬適正使用アドバイザーの認定も受けており、科学的な根拠に基づいて必要最小限の農薬を使用している。畑には害虫防除のための粘着シートやコンパニオンプランツなど、ありとあらゆる工夫もなされていた。

青い粘着シートを使って害虫を捕獲する(写真左)ほか、ナスの根元にマリーゴールドを植えるなどして、野菜を害虫から守っている

さまざまな努力はすべて「お客さんに根拠をもって安心安全を伝えるため」と田口さんは言う。現在、田口農園の売り上げの33%は地元の直売所、35%は四国内の直売所、そしてみかも喫茶のような地元の飲食店に15%ほど直納し、地産地消を心掛けている。田口農園の役割を「地域の食の情報発展拠点」とも考えているからだ。

一方でネットでの直販にも力を入れている。2022年は売り上げ全体の15%ほどを食べチョクをはじめとした産直ECでのネット販売が占めた。産直ECのリピート率は46.5%。その高さも評価され、食べチョクアワード2022の野菜部門で16位になった。
田口さんの接客のポイントは「洗いざらい出すこと」。特に産直EC内での客とのコメントのやり取りでは根底にある人となりが見えてしまうので、自分を飾ることはないそう。客のコメントへの返事は一人一人違う。その人のニーズに応じて、時には過去の注文内容を振り返りながら、その人にだけ届くコメントを書く。「コメント返しは必死」と冗談交じりながら、そうした客とのつながりも自分の満足につながると田口さんは語っていた。
こうした努力もあり、田口農園の売り上げは右肩上がりに増え、地元での評価も高まっている。

世界農業遺産というブランド

田口さんが畑で実践していることの多くは、傾斜地でない場所でも行われていることだ。筆者は畑のどの部分が伝統農法なのかわからず、「傾斜地で耕作することだけが世界農業遺産のポイントなのか」と早合点しそうになっていた。
しかし、そうではないことを田口さんが教えてくれた。
「一番重要なのはこのカヤ。ここではカヤがなければ土づくりができない」

田口農園のキュウリ畑の畝間に敷かれたカヤ

カヤを敷くのは、土壌が流れてしまうのを防ぐためだという。これがこの地の農業を特徴づける伝統的な農法「にし阿波の傾斜地農耕システム」の要で、世界農業遺産のブランド認証の際にもポイントとなっている。
「傾斜地なのに、畑の上の方でも下の方でも同じように作物ができるのはカヤのおかげ」と田口さんが語るように、カヤの存在はこの農法の持続可能性の根幹をなしている。

一方で、カヤを使うには苦労も多い。別の農地でカヤを育て、それを刈り取って畑まで運び、細かく刻んで畝間に敷くのは重労働だ。
しかし、このように苦労してカヤを使っても土が流れてしまうことを完全に防ぐことはできない。下がってしまった土壌を元に戻すために「土あげ」という作業も必要だ。今は場所によっては機械を使うこともあるが、傾斜のきつい場所では昔ながらの手作業で行わざるを得ないという。

田口さんが持っているのが「サラエ」という伝統の農具。地元の野鍛冶(農具専門の鍛冶屋)がオーダーメードで作ったもの

しかし、このような苦労をしても田口さんがこの農法を続けるのは、「先人が積み重ねてきた土壌の大切さを感じる」から。傾斜地での農業を持続可能にするために培われてきた環境循環型の農法を守りたいと話す。

こうした田口さんの活動には、行政も注目している。にし阿波の傾斜地農耕システムの保全活動などを行う徳島剣山世界農業遺産推進協議会事務局の藤本将也(ふじもと・まさや)さんによると、世界農業遺産というのは伝統的な農法をそのままの形で残すことだけが大事なのではないという。「田口さんのように現代的なやり方を取り入れつつ、今までやってきた地域の農業をどんな形ででも継承していくのも大事」と、田口さんのやり方をこの中山間地で収益を上げて農業を守るモデルとして、藤本さんは評価する。

世界農業遺産で生まれた農産物だからといって、消費者からの評価につながるものではない。消費者にとって必要なものを生み出す農法でなければ、維持していけない。田口さんの取り組みは、世界遺産というブランドだけではなく消費者に喜ばれる野菜を通じて、伝統の農法を伝え守ることにつながっている。

次世代を育てる農家

傾斜地農耕システムでカヤを円すい状に積み上げて保存する「コエグロ」の模型。田口さんが農業体験の説明のために作った

田口さんは古くから人々が苦労して受け継いできた知恵や工夫を若い世代に伝えたいと、地元の小中学校で出前授業を行ったり、農業体験を受け入れたりしている。「子供の時にインプットしたものは頭の中に残る。20年後に農業をしたいと思ってくれるかもしれないから」(田口さん)。自身がUターンで就農したのは50代。そうした経験もふまえ、子供たちが遠い未来にでも農業を選ぶ可能性につなげようと活動を続けている。

体験にやってきた子供たちから手紙も届く。その中には「大人になったらまた絶対に来ます」「また手伝わせてください」といった言葉が並んでいた。いずれここから多くの農家が生まれることを期待したい。