“美容番長”として知られるお笑いタレントのシルク。小学校からの同級生・ミヤコと漫才コンビ「非常階段」として活躍するも、1996年に相方が肺がんで亡くなり、そのショックで顔面神経麻痺に。そこから健康と美容を研究するようになったのだという。そして、美容教室「シルクのべっぴん塾」を開催するなど、その知識を多くの人たちに伝える美容家として活躍。9月24日に約12年ぶりに東京で同イベントを開催するシルクにインタビューし、“美容番長”としてのモットーや自身の転機について話を聞いた。
■「身近な人が病気になり自分も顔面麻痺になったことで、意識が変わった」
――美容に興味を持ったきっかけから教えてください。
もともと漫才をやっていたのですが、30代の時に相方が肺がんで亡くなって、若くても病気になるんだなと思ったんです。そして、そのショックで顔の半分が麻痺してしまい、治すためにどうしたらいいのかな、というところから美容も健康もつながっているとわかったので、やらなあかんなと思うようになりました。
――それ以前は美容や健康を意識してなかったのでしょうか。
全然意識してなかったですね。やはり身近な人が病気になり、自分も顔面麻痺になったことで、意識が変わりました。
――最初は何から始めましたか?
相方が亡くなって「かわいそうやな」と哀れまれるのが嫌で、ニューヨークに行ったんです。暇なものですから、スーパーで食材を買って家で料理するようになって、お金もないので公園を毎日走って。そんな生活をしていたら、56キロあった体重が50キロになって、野菜をたくさん食べていたら肌もきれいになっていきました。
――食と運動で変わっていったのですね。今もその二本柱で?
そうですね。15年前にピラティスと出会ってからは、運動はピラティスがメインに。機械を買ったので、家で毎日やっています。
――ピラティスを始めてからどう変わっていきましたか?
痩せたというのもありますが、正しい姿勢がわかって、全体的に整いました。使っていないところを使えるようになるなど、体の仕組みもよくわかるようになります。
■「べっぴん塾」に注力「美容に悩んでいる人の力になれたら」
――そして、自分だけが美しくなるのではなく、「べっぴん塾」を開催するなど、その知識をたくさんの人に伝える活動に力を入れるように。
美容に関して悩んでいる人が多いので、少しでも力になれたらいいなと思って「べっぴん塾」などいろいろやっていますが、皆さんが興味を持ってくれて。表面のことで悩んでいる人が多いですが、化粧品だけに頼るのではなく、体の中からやるといいんです。
――皆さんからの声もモチベーションになっていますか?
もちろんです! 「べっぴん塾」を開催している中で、「質問コーナーが短かった」という意見をいただいたらもう少し長くしたり、そういった改善もしながら、なるべく皆さんの要望にお応えしたいと思っています。
――「べっぴん塾」に込めた思いも教えてください。
関西では、心も体もきれいな人のことを「べっぴんさん」と言いますが、そんな風になれたらいいなと思っています。
――美容に関して、シルクさんのモットーを教えてください。
私のモットーはそんなにお金を使わずに、地道にやっていったらこんな感じになりますよというところを目指しています。お金をかけたら簡単にきれいになれますが、そうではなく無理なく続けられる方法を提案していけたら。また、“できることをできる範囲で諦めない”ということも大切にしています。
――できる範囲で諦めないとは?
以前は「シワは絶対作らない!」と一生懸命になっていましたが、やりすぎたら筋肉が疲れたりしてしまうので、ほどほどにしないといけないなと。その程度がわかるようになってきたので、シワを完全に消すのではなく、できる範囲で諦めずに頑張るようにしています。どうしたって加齢に伴うものはあるので、年を取ることを否定するのはやめようと思っています。