「学校を辞めるとか、学校に行かないとか、もしかしたら学生の皆さんにとっては大きな出来事かもしれませんが、歳を重ねると、そういうことは自然と気にしなくなります」

アイディア高等学院が8月11日、勉強に悩む生徒や保護者らに向けて「健康と脳に関するスペシャルトークライブ」を開催。医学博士の南雲吉祥さんが登壇し、学校からドロップアウトした自らの学生時代を振り返りながら生徒らにアドバイスを送った。

■「とにかく学校の先生や周りの人たちを見返したい」

アイディア高等学院は、「生徒一人ひとりに対して専属のメンタルトレーナーがつく」通信制のサポート校だ。

通信制の学生は自宅などの学習環境を整えることが特に重要だが、学習環境の整備は家庭の事情や周囲の環境に大きく左右されてしまうという難点がある。また、自己管理や自主性が強く求められる場合も多く、受験勉強などのモチベーション維持やストレス管理も課題に挙げられる。

アイディア高等学院のアンバサダーでもある南雲さんは、高校を退学後、医学部の専門予備校に入り直して医師となった異色のキャリアの持ち主。もともとは整形外科領域のがん治療医として活動していたが、アメリカで再生医療の研究に従事し、帰国後はスポーツ外科医に転身。現在はアスリートを医療技術でサポートする「アスリートサポートプログラム」を展開している。

中高一貫の私立学校に通っていたという南雲さんだが、中学2年生の頃からあまり学校に行かなくなったという。たまたま気が向いた日や、友達とのバンド練習がある日だけは登校していたが、エスカレーター式で高校に進学し、義務教育の枠から外れると、いよいよ出席日数の少なさが重くのしかかってくるようになった。

「母のサポートも得てなんとか学校に通うようにはしたんですけど、高1のときに素行不良が原因で無期停学になっちゃったんです。先生たちに蔑まれていたのもわかっていたし、停学のタイミングで心機一転、見返してやろうと勉強を始めたものの、急に成績が伸びることもなく。結局、高2のときに2回目の無期停学になって、自動的に退学させられました」

高校を辞めたあとも、しばらくは平常心で過ごしたという南雲さん。しかし退学から1カ月後、当時交際していた彼女から別れを告げられたことがきっかけで重いうつ病を発症。学校を辞め、所属するコミュニティもない中で、彼女だけが唯一の支えだったが、「振られたことで、気持ち的にはひとりぼっちになってしまったんです」と振り返る。

その後、南雲さんは、同じく高校をドロップアウトした地元の仲間たちと過ごす時間が多くなったが、ある日、仲間のうちのひとりが「学校に復学する」と決めてグループを離脱。これが「もうそろそろ自分も何か変わらないといけない」と南雲さんが強く認識するキッカケになったようだ。

「じゃあ、何をすれば自分自身が変えられるかと考えたときに、『とにかく学校の先生や周りの人たちを見返したい』と思ったんです。そこで、『できるだけ単発で大きなインパクトがあることしたい』と考えて、医学部を目指そうと決めました」

■高校中退や不登校、「歳を重ねると自然と気にしなくなる」

まもなく南雲さんは医学部の専門予備校に入学。本格的なスイッチが入って以降は、毎朝8時頃から夜10時頃まで勉強に集中したという。

「予備校では死にものぐるいで勉強に費やしたんですけど、1年目はあえなくすべての大学に不合格。かなりショックだったし、相当ヘコみました。とはいえ、医学部に入ることは決めていたし、長時間留まっているわけにもいかないので、割と早く切り替えました。1カ月くらいで勉強を再開し、2年目でようやく合格できました」。

高校中退から医学部に合格。見事な逆転劇だが、話はここで終わりではない。

「医学部入ったあと、すごく気持ちが落ちちゃったんですよ。目標を達成したことで、何も目標がなくなっちゃったので。合格直後は『偉業を成し遂げた』と思ったけど、周りの学生も全員が合格しているわけですし、僕なんてワンオブゼムです。『ここに入って何をしたかったんだろう』『この先に何があるんだろう』と落ち込みました」

こうした経験から、「医学部にしても、大学にしても、合格することはあくまで手段であって、目的にはしないほうがあとあと楽だと思います」と学生らに語りかけた南雲さん。目標を失ったものの、再び不登校、退学とならなかったのは、意外なほどシンプルな理由だった。

「医学部って本当にキツイんですよ。親の金で入った学生の集まりと思われているかもしれませんが、3~4カ月おきに5~6教科の進級試験があって、そのうち2教科を落とすと自動的に留年する仕組みなんです。

このサイクルが6年間続くなんて、生きた心地がしなかったですね。医学部に通う意味なんて考えている余裕があったのは最初の3ヶ月くらいで、それ以降はそんなことを考える暇もなく勉強に追われ、気づけば医学部卒業まで走り抜けていました」

素行不良の不登校生徒が、猛勉強を経て医師に。この逆境を乗り越えた経験は大きな自信に繋がったように思えるが、「ワンオブゼムで、課題をこなすことに必死だったので、達成感は割と早い段階でなくなりました」と南雲さん。

「むしろ、大学に入ったら、いちいちどこの高校出身かなんて聞かれないんですよ。僕が高校を辞めたことを知っているのもごく一部の友達だけ。別に隠しているわけではないんですけど、誰もそんなことに興味がないんですよ。社会人になればなおさらです。

学校を辞めるとか、学校に行かないとか、もしかしたら学生の皆さんにとっては大きな出来事かもしれませんが、歳を重ねると、そういうことは自然と気にしなくなるんです。渡米して研究していたときは、医師かどうかも聞かれませんでした。どんな研究をしていて、どんな成果を出していたかということにしか興味がないんですよ」

自身の半生を振り返った南雲さんは、最後に「大変なこともあるかもしれませんが、しばらく時間が経てば『なんてことなかったな』と必ず思えるようになります」と学生や保護者らにメッセージを送った。