僕の部屋にある、一本のアコースティックギター。メーカーはマーティン(Martin)、機種はD-15である。
■D-15の「D」はドすけべの「ド」? 超老舗ギターメーカーの歴史に埋もれた話
マーティン社(C.F.Martin & Co., ltd)は今から190年前の1833年、ドイツ出身のギター職人であるクリスチャン・フレデリック・マーティンが、アメリカ・ニューヨークで創業したギターメーカーだ。
同社はペンシルベニアに移転した1838年から本格的にギター製作を開始。アメリカ大衆音楽の発展を追うように画期的なギターを続々と開発し、今日のアコースティックギターの基礎を築き上げていく。
特に、音量を大きくするために既存のギターよりボディサイズを大型化させ、1916年から販売している“ドレッドノート”は、第二次世界大戦後になってから爆発的にヒットした人気シリーズだ。
僕のD-15のような「D」品番が付されているギターは、この“ドレッドノート”モデルなのである。
ちなみにモデル名は、イギリス海軍の「戦艦ドレッドノート(Dreadnought)」に由来している。
『Dread=恐怖、不安』と『Nought=ゼロ』を合わせた合成語で、「恐れを知らない」というような意味だ。
1906年に進水した戦艦ドレッドノートは、それまでの戦艦と比べて革命的に大きく、搭載した武器も強力だったためその名が与えられたという。
さらにちなみに、戦艦ドレッドノートは艦船の世界に新基準を生み出し、日本ではこのクラスの戦艦を「弩級(どきゅう)戦艦」と呼んだ。
「弩(ど)」とはあまりなじみのない漢字だが、“ドレッドノート”の「ド」の音から取った当て字である。
今でも、ものすごい晴れた日のことを“どピーカン”と言ったり、ものすごくいやらしい人のことを“ドすけべ”、著しく愚かな人を“ドアホ”、決してあきらめない心根を“ど根性”、めっちゃピンクのことを“どピンク”と言ったりするけど、その「ド」とは、戦艦ドレッドノートおよび弩級戦艦に由来しているのである。
話がどんどんアサッテの方向にいってるので、ここらで我がアコギのことに話を戻そう。
僕のマーティンD-15を改めて見ても、別にそれほど大きくは感じない。ごく普通サイズのアコギだ。
だが、マーティンがドレッドノートを発表するまで、伝統的なアコースティックギターはもっともっと小型だった。マーティンのドレッドノートが人々の間に広まり、この大型ボディがアコギの標準となったので、現代人には普通に見えるのだ。
マーティンギターの「D」という品番からこんな歴史が紐解けるって、なかなか面白いと思いませんか?
それにしても、僕の「D-15」の「D」と、「ドすけべ」の「ド」が元を正せば同じ語源とは…。
いやその話は、もう忘れよう。
■マーティンのDシリーズの中では不人気な、オールマホガニーモデルのD-15
マーティンの「D」シリーズは、1931年に発売され、今でもアコギの王道と目される代表モデルD-28や、同時開発の素材違いモデルD-18、それにD-41、D-42、D-45などが有名だ。 特にエルヴィス・プレスリーやボブ・ディラン、ジミー・ペイジ、ニール・ヤングなどが愛用したD-28は、アコースティックギターを弾く者誰もが憧れる名器として知られる。
それにひきかえ我がD-15は、同じマーティンのドレッドノートといえども、なかなかその名を聞くことのないマイナーモデルである。
これを愛用しているという有名ミュージシャンの名前も、ほとんど聞いたことがない。
というのも、D-15はその素材と音色がやや特殊だからだ。
その特徴的な外観を見ればわかるが、D-15はボディからネックまですべて、“マホガニー”という広葉樹の木材が使用されている。
普通のアコギは、ボディのサイドやバックにマホガニー材を使うことはあっても、トップ(フロント)部分には“スプルース”というマツ科針葉樹を使うのが一般的なので、僕のD-15のようなオールマホガニーはややレアなのだ。
僕のギターは「D-15」と記されているが、同モデルでも現行品は、末尾にマホガニー素材であることを強調したイニシャルをプラスした「D-15M」という品番で販売されている。
オールマホガニーのアコギは、その材質の特性から、少しくぐもったような柔らかく温かい音が鳴る。
僕はその音が好きで敢えてD-15を選んだのだけど、強く派手に響く一般的なギターの音色とはかなり違うので、ミュージシャンの間ではあまり使われないのかもしれない。
東京・お茶の水の中古楽器屋で、このD-15を買ったのは20年くらい前。
確か7〜8万円だったという記憶があるが、現在はやや値段が高騰し、中古価格12〜15万円程度で取引されているようだ。
だが新品でも20万円弱であり、高価なギターというイメージの強いマーティンの中では、比較的お手頃な価格のモデルでもある。
まあなんせ、ぶっちゃけ“不人気モデル”なので。
■マーティンD-15を20年間手元に置いている、筆者のギターの腕前は?
さて、ここまでわが愛機、マーティンD-15について滔々と述べてきたが、読者の皆様におかれましては、これから書くことにどうか突っ込んだりせず、温かく読み流してほしい。
実は僕は相当な楽器音痴で、このギターもあんまり弾けないのである。
とはいえ20年も持っているんだから、ある程度はできるでしょ? と思われるだろう。
確かに、まったく弾けないというと嘘になる。
代表的なコードくらいはわかるし、簡単な曲で譜面を見ながらであれば、たどたどしいながらも一曲通して弾くことくらいはできるのだ。
だが上手なギター弾きから言わせたら、まったく初心者レベルというところだろう。
僕は高校・大学時代、それに社会人になってからもバンドをやってきた経験がある。
それなのになぜ楽器が弾けないのかというと、僕はボーカルだったからだ。
でもとても残念なことに、歌もたいしてうまくない。
なぜなら、バンドを始めた入口が、パンクだったからだ。
高校一年生のとき、趣味と気が合う仲間とバンドを組むことになり、パート決めをした。
そのとき僕がボーカルを任されたのは、単純に剣道部だったからだ。
「大声で叫ぶの、慣れてるでしょ」と。
パンクバンドだから、肝心なのは歌心よりもシャウト力だったのだ。
ボーカルだったからといって、楽器を弾けないことの言い訳にならないのはわかっている。ボーカルもサイドギターくらい弾けた方がかっこいいし、バンドの音も厚くなる。
そう思って密かにギターを何度か練習したのだが、そのたびに挫折した。どうも、根本的に楽器の才能が乏しいようなのだ。
20年前にこのD-15を買ったのも、「今度こそは」という気持ちからだったのだが、残念ながら、今や我が家のインテリアに成り下がっている。
残念な話でしょ? 僕だって極めて残念なのです。
だけど一通り練習はしたので、基本的な音の出し方はわかっているから、ときどき気まぐれに触ってボロンと鳴らし、その温かい音色を確かめたりしている。
人様にお聞かせできるようなものではないが、本人的にはそれだけで十分楽しかったりするのだ。
宝の持ち腐れだから、とっとと処分すればいいのにという声が聞こえるようだが、僕にもこのギターを手放せない大きな理由がある。
“モノ好き”の難儀なところだが、ギターを持っていないとギターが欲しくなるからだ。
なんだかうまく言い表せないけど、わかってもらえるだろうか、この気持ち。
「ギターが欲しい!」という衝動を抑えるため、ろくに弾けないのにギターを保有し続けているというわけだ。
ああ、我ながら面倒くさい…。
でもいずれはちゃんとギター教室に通い、完全にものにしようとも思っている。
それが、老後の楽しみなのである。
文・写真/佐藤誠二朗