徳川家康には人生で3つの大きな危機があったと伝えられている。三河一向一揆と三方ヶ原の戦いと、伊賀越え。大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第29回は、この3つ目の危機「伊賀越え」が描かれた。サブタイトルは「伊賀を越えろ!」。
信長(岡田准一)を本能寺の変で討った明智光秀(酒向芳)が、家康(松本潤)をも狙う。光秀の名を受けて首を取ろうと追っ手が次々と家康に襲いかかってくる。大坂・堺にいた家康一行は岡崎に戻るため、伊賀越えを選択。でもその地に暮らす伊賀忍者たちに捕まって風前の灯に……。
本能寺の変のあとの家康の「伊賀越え」は戦国歴史好きに好まれるエピソード。『真田丸』(16年)で伊賀越えが描かれたとき、とても盛り上がった。『どうする家康』では伊賀越えにまるまる1話をかけた。しかも、いまなおはっきりしていない家康がたどったルートの3つのパターンを、家康、数正(松重豊)、左衛門尉(大森南朋)で3手に分かれた設定にする凝りようだ。
さらに、穴山梅雪(田辺誠一)が別ルートで堺を発つ。また、にわかに天下をとった明智も、山崎の合戦で秀吉(ムロツヨシ)に敗退、逃亡する。それぞれの人生ルートがどこに向かっているのか――。家康が「要は、このわしに徳があるかどうかじゃ。わしに徳あらば、天が我らを生かすであろう」と言うように、まさに運命の分かれ道。首を狙われる者、首を狙う者、皆がそれぞれたどったルートと、悲喜こもごもの人生ルートが重なるようだった。
「首」をめぐる追走劇の元は、信長の首である。本能寺で亡くなったとされる信長の首が見つからなかったため、光秀の立場は危うくなった。信長が燃え盛る本能寺のなかに消えたのは、首を光秀に絶対に渡さないという意思表示だったのだろう。それはつまり、家康へのはなむけのようなものでもあるにちがいない。死してなお、信長は家康の手助けをしたのだ。
信長の首がないことで、家康は命拾いする。伊賀忍者に捕まった家康が首を切られそうになったとき、ふいに現れた本多正信(松山ケンイチ)が、信長の首がないことを理由に家康をさりげなくかばう。
これだけだと家康がただ、何かにつけ守られていてツイてるだけのようだが、ツキではなく「徳」。徳川だけに。服部忍軍たち身代わりになろうとしたところ、家康は潔く、自分が家康と認め「わしの首をやる……だからほかの者は見逃せ」と言うのだ。他人を犠牲にしないこと、それが家康の「徳」を決めた。
梅雪は「われこそは家康なり」と言って首をとられた。梅雪は、武田家の家臣だったが、瀬名(有村架純)の考えに賛同し、武田を裏切る形になったものの、やはりそれを憂いていた。「主を裏切って得た平穏は、虚しいものでございますな」と言っている。家康の身代わりになることが彼なりの贖罪だったのではないだろうか。
梅雪とは逆で、光秀は逃げるとき自分は光秀ではないと誤魔化す。彼には「徳」がなかったのだ。
命を賭して徳を守った梅雪を演じたのは田辺誠一。大河ドラマと並行して、朝ドラ『らんまん』にも主人公の恩人である植物学の研究者・野田役で出演している。『どうする家康』にも『らんまん』にもごくたまにしか顔を出さないが、出てくると物語が締まる名優である。
『らんまん』で直近、登場した際(7月20日)には、エンド5秒(15分のうちの最後の5秒が、視聴者投稿コーナーになっている)で花のイラストを投稿してSNSをざわつかせた。「田辺画伯」という異名も持つ田辺。独特の感性の絵が人気だったが、その絵が上達していると視聴者を驚かせたのだ。
田辺誠一は、87年、ファッション誌『メンズ・ノンノ』の専属モデルとしてデビュー。メンズ・ノンノのモデルとしては『家康』で信玄を演じた阿部寛が85年の創刊号からモデルをやっていて、つまり武田軍はメンズノンノモデル出身が2人もいたのだ。どうりで華やかである。
田辺は10代の頃からアート活動を行っていたこともあって、俳優デビューしたときから単に、与えられた役を演じるだけではなく、能動的な表現者として注目されていた。泉鏡花原作で蜷川幸雄演出の『草迷宮』(97年)という文学的な演劇に出演したりもして、繊細なイメージだったが、2003年、宮藤官九郎作、演出の舞台に出た頃から、大衆的なコメディのできる親しみやすさを発揮、レンジの広い俳優として認知度を増していく。2015年には、その独特の絵で『偉人たちの最高の名言に田辺画伯が絵を描いた。』という書籍も上梓した。アーティスティックなところをぐいぐい出して大衆と自分は違うのだという距離をつくらず、ヘタウマな絵に代表されるような、ふわっと柔らかく才能を覆って提示する才覚がある。
大河ドラマには『徳川慶喜』(98年)で初出演、『青天を衝け』(21年)では主人公・渋沢栄一に影響を与えた尾高惇忠役で出演。私塾を開いて少年たちを教育する、知性的かつ骨のある人物を演じた。一見、ふんわりやさしそうだが、芯には強いものを秘めている佇まいで、穴山梅雪も、信玄、勝頼(眞栄田郷敦)、山県昌景(橋本さとし)と強めのグループでも埋没しない。真意が掴ませない雰囲気が、誰につくのかわからない梅雪の役割にマッチした。
梅雪と比べると、命乞いして潔くなかった光秀。酒向芳は、『麒麟がくる』(20年)で大幅にイメージアップした光秀を、再び、織田を討った悪者キャラへと塗り替えた。酒向は舞台俳優としてデビュー、映画『検察側の罪人』(18年)で、ふてぶてしい容疑者を演じて注目された。朝ドラ『半分、青い。』(18年)では岐阜県出身者としてヒロインの地元の農協職員を演じていた。痩せていて、ぎょろりとした瞳で睨みを利かせる、癖のある悪役が多いが、気のいい人物も演じることもある。
今回はどちらかと思ったら、安土城で家康に陥れられたあとは諦念からかすっかり開き直ってクレージーになった。『麒麟がくる』のような知性ある善人・光秀ではなかったことにがっかりした視聴者もいたようだが、『麒麟がくる』では描かれなかった小栗栖で庶民にあっけなく刺されてしまうおなじみの悲劇的場面を見たかった視聴者もいるだろうから、酒向はひとつの光秀像をみごとに演じきったと思う。
田辺誠一、酒向芳が退場し、寂しくなったところへ、松山ケンイチが復活。岡田准一と並んで大河主演経験者として、ドラマを引き締める。
徳を積んだ家康は、これからは立派な天下人への道を突き進むのだろうか。3大危機は 済んだが、まだまだ試練が待っている。
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