マクラーレンの発足60周年記念イベント「FOREVER FORWARD」で珍しいクルマに出会った。ただでさえ街中ではレアな存在のマクラーレンだが、このクルマについては実物を初めて見たどころか、写真ですらお目にかかったことがない。「M6GT」というモデルらしいが、その正体は?
マクラーレン・ロードカーの起源
マクラーレンはイングランドのサリー州を本拠地とする自動車メーカーだ。創業者はレーシングドライバーでもあるブルース・マクラーレン氏。20代前半からF1に参戦し、優勝を果たすなど好成績を残した。1963年になると、自身の名を冠したレーシングチーム「ブルース・マクラーレン・モーターレーシング」を設立。同氏はデザイナーとしての才能も発揮し、究極のスポーツカーの開発を志すようになる。最高のスペックとスピードを備えたロードカーの実現を目指し、ブルース・マクラーレンが自ら開発を手掛けたのがM6GTというクルマだ。
M6GTは年間250台の量産を目指したクルマだったが、ひとまず4台のプロトタイプが完成した。4台のうち1台はレッド、3台は「マクラーレンオレンジ」をまとい、ブルース・マクラーレン氏は日常の移動はもちろん、仕事で会議に出席する際にもM6GTのハンドルを握っていたという。
M6GTはBarts社がチューニングを施したシボレー製のエンジンを搭載。想定最高速度は165mph(約257km/h)、停止時から100mph(160km/h)に到達するまでにかかる時間はわずか8秒という高性能ぶりだった。
だが、年間250台のM6GTを生産するというプロジェクトは、1970年に突然終わりを迎える。ブルース・マクラーレン氏が同年6月2日、サーキットでレーシングマシンのテスト走行を行っている最中にクラッシュして亡くなってしまったからだ。32歳という若さだった。これにより、M6GTの量産計画は中断。4台のプロトタイプのみを残し、同プロジェクトは幕を閉じることになってしまったのだ。
4台のうち1台は日本に現存!
M6GTのプロトタイプ4台は2023年現在、4台とも現存していることが確認されているそう。そのうちの1台は日本のコレクターが所有している。写真のM6GTがそれだ。
メーカー担当者によれば、4台はそれぞれ仕様が異なる可能性があるらしく、正確な車両データは把握できていないとのこと。ただ、日本国内でここまできれいな状態で保存されていることは奇跡に近いことなのだという。なぜなら、残りの3台はエンジンがかかるかどうかさえわからないからだ。
展示車両のM6GTは日本では車検が通らず、公道を走ることはできないそうだが、きちんと整備されているためエンジンをかければ走行可能な状態に保たれているという。会場内でエンジンサウンドを堪能することは叶わなかったが、間近で実車を見て、当時の量産プロジェクトの息吹を感じることができた。
ブルース氏の死去によって、高性能なレーシングカーを市販するというマクラーレンの夢はついえたかに思われた。しかし、1988年のイタリアグランプリ終了後、ミラノ空港でフライトを待つ間、マクラーレンの首脳陣は世界最高のロードカーを設計・製造すると決意。創業者の夢を形にすることを決めた。その翌年には高性能レーシングカーを市販するためにマクラーレン・カーズ(現マクラーレン・オートモーティブ)を設立。1992年に「マクラーレン・F1」の市販開始という形で積年の夢を実現することとなる。
マクラーレン・F1はカーボンファイバー製のシャシーを採用して軽量化を実現した高性能スーパーカーだ。レーシング仕様ではおなじみのスポイラーやウイングは付いていないが、派手なエアロパーツなしでも安定した高速走行が実現できるよう、入念かつ徹底した設計を行い、最新の技術を投入した。エンジンはV型12気筒6.1リッターの自然吸気、最高速度は391km/hを実現。このクルマが採用したカーボンファイバーやエアブレーキシステムといった技術は、今もマクラーレンのクルマに採用され続けている。
ドアの開け方まで受け継がれている?
マクラーレンの源流ともいえるM6GTはレトロな雰囲気を持ちながらも、ヘッドライトからドアにかけての流線型の造形や大きくカーブしたフロントガラスからは近未来的な印象も受ける。メーカー担当者は「M6GTもマクラーレン・F1も、2011年製造のMP4-12Cも、ドアの開け方がほぼ同じで変わっていません」と説明してくれた。創業者の精神だけでなく、ドアの開け方にまで意思と哲学が連綿と受け継がれていることに、マクラーレンの真髄を見た気がした。