「もっと驚き! もっと見応え!」と青い松本潤と紫の松本潤がNHKの新BSのCMをやっている姿は華々しい。鮮やかなカラーシャツに白いパンツでソファに座っている姿にはスマートなセレブっぽさがある。一方、大河ドラマ『どうする家康』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)で松本が演じる徳川家康は、それこそセレブ中のセレブのはずが、やや頼りない人物として描かれていて、松本はいつも眉を八の字にして困り顔をしている。

  • 『どうする家康』徳川家康役の松本潤

『どうする家康』では家康がやがて征夷大将軍になる前の、悩み多き時代を描いているからだが、最初のうちは、なにかあるとすぐにお腹が痛くなるメンタルの弱い若者を、30代後半の大人の俳優が演じることにやや違和感もあった。が、それは大河あるあるで、実年齢と役の年齢が近づいてくるにつれて、いつも自然と解消される。松本家康は、弱さが思慮深さに転じた。そうなったときの松本はがぜん輝きと説得力を増す。とりわけ第25回「はるかに遠い夢」では松本の魅力がふんだんに発揮された。その魅力とは憂いである。

戦のない世の中を作ろうとした瀬名(有村架純)と信康(細田佳央太)が信長(岡田准一)への謀反とされて、2人は家康に迷惑をかけないために自決する。その悲劇に至るまでに家康はなんとか2人を助けようと策を講じるが、瀬名は自分の身代わりを出さないために潔く身を捨てる道を選び、信康も母に続いた。

築山のはかりごとが露呈したと知ったときの家康の顔、雨のなか、信長に頭を下げる顔、瀬名との別れの場になる佐鳴湖で、半狂乱になる顔。たくさん泣いて瀬名に子供をあやすようにされる姿が、胸に迫る。家康は第1回からずっと国盗りの戦よりも瀬名を選んで来た。この時代の武士にはそれはあるまじきことである。この時代、武士と生まれたからには、家のために身を捨てて戦わなくてはいけない。そうやって領土を広げていくのだ。でも家康はそうではない。まったく勇ましくない。できれば戦いたくない。そういう人物に松本潤はハマっている。彫りが深く陰影の出る表情は、いつもこれでいいのか考えている人物にうってつけなのだ。

松本潤といえば、どうしても大ヒットした代表作『花より男子』(TBS系 05、07年)のおらおらキャラの道明寺が浮かびがちであるが、じつは真逆の控えめなキャラも得手である。大河主演前に主演していた『となりのチカラ』(テレビ朝日系 22年)も人の話を聞きすぎて悩んでしまう人物を演じていた。筆者的には松本潤の真骨頂は、まだジャニーズJr.時代の出演作『ぼくらの勇気 未満都市』(日本テレビ系 97年)の犬をつれた少年役だと思っている。気弱でいじめられたりもするが、大きな瞳は洞察力やなにか強い信念があるように見える役で、『どうする家康』の家康はこのときからの系譜ではないかと思う。

この世をその大きな瞳でみつめその惨状に憂う。でも完全に諦めてはいなくて、どうすべきか思考を巡らせている。口数は多くはないが思慮深さのある、そんな役が松本潤には似合うのだ。

ときに飾らないぶっきらぼうな発声や斜に構えたそぶりはやんちゃにも見えるし、黙って伏し目がちにしていると気品があるようにも見える。松本は様々な要素を内包して、見る側にいろいろな感情を湧かせる独特の魅力。戦乱の混沌と、そこにわずかばかり見える光(オープニング曲の繊細なピアノのイントロのような)を松本は体現している。

さて。戦のない世の中作り計画は、子供の思いつきのようなもので、だからこそ露呈し、捻り潰されてしまう。ある意味浅はかな計画に、なぜ、家康と家臣団たちが賛同したのか、と、史実にない子供じみた出来事をわざわざ描く必要性があるのかと批評する視聴者もいる。これまで多くの人が好んできた戦国ものは、勝っても負けても、登場人物が知力と武力を大いに発揮し、目覚ましい活躍をする物語だった。待ってました! の場面を楽しむ、それがエンタメではある。

けれど、『どうする家康』は、そうではない物語を模索している。なにかをやろうとして失敗した物語をあえて描く。傍から見たら笑われそうな、とるに足らない計画を思いついた結果、案の定、失敗してしまったという悲劇の物語なのである。でも、戦をしたくないと思うことは自由だし、間違っているわけではない。願いや思いつき、最初の芽がこれから育っていけばいいわけで、その芽を『どうする家康』は描いている。

市の侍女・阿月や、本多正信の幼馴染の玉など、うまくいかない人たちの物語のひとつが、瀬名の助け合う国づくり計画である。どうにもならないことに望みをかける切なさ。そういうものが存在することを受け入れるのが本当の多様性ではないか。

生まれたときから戦が当たり前に育ってきたけれど、武芸より人形遊びが好きな家康が、それを許容してくれる瀬名と出会い、戦のないところで暮らしたいと願いながらも、戦の中心にあれよあれよと奉りあげられた。本音は戦はしたくない。当時の感覚だとそんなふうに思うのがおかしいかもしれないけれど、そういう人もいたっていい。いたかもしれないのに、いてはおかしいという考えにかき消されてしまったことを、松本家康の大きな瞳と少し八の字になった眉が映し出している。

「もしも◯◯が◯◯だったら」という物語を作るなら、オリジナルキャラでやるべきかもしれないが、日本一有名そうな家康だから面白い。多少、オリジナルで描いたって、家康が誰もなし得なかった太平の世を作る偉人であることは知れ渡っている。それだけの懐深い人物なのだから、歴史の陰に隠れた心を考えてみようという試みが家康だから可能なのではないか。何も知らない子供たちがこのドラマを見て、歴史を間違って学ぶなんてことはない。へー、この人たち、実際にいた人たちだったのか、そして、実際はこんな風に伝えられているのか、面白いなあと興味を持つだけである。自分の頭で考えたり、想像したり、そして真実を調べたりすることが人間の叡智。

次週第26回、家康に変化が見られる。が、別人のように陽気な雰囲気のなかにもやっぱり憂いが見え隠れしている。

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