【取材対象者プロフィール】
父の姿に憧れた少年、大きくなって農業を継ぐ
「多古米王子」として活動する萩原宏紀さんを語るためには、まず多古米を紹介する必要があるでしょう。
多古米とは多古町で栽培されたコシヒカリで、千葉県のコメ生産量の2%しかない希少なブランド米です。かつて2度にわたり皇室献上米に選ばれ、「米・食味分析鑑定コンクール:国際大会」早場米部門で金賞を受賞するなど、確かな味と品質を持ちながらも、市場にはほどんど出回らないため「幻の米」と呼ばれています。
多古米を生産する農家に生まれた萩原さんは、幼少期に大型機械を駆る父の姿に憧れ、コメ農家になりたいと思ったそうです。小学校の卒業文集に書いた将来の夢の一つ「農家を継ぐ」を実現しました。もう一つは「卓球でオリンピック選手になる」こと。小学生の時に卓球を始め、高校はスポーツ推薦で千葉県内の強豪校へ。寮生活と練習の厳しさを乗り越えた経験が自身の力になりました。
部活動での実績を買われて進学した東京農業大学でも卓球部でスポーツに励んだ萩原さん。大学では国際食料情報学部の食料環境経済学科で経営・経済を専攻。「農業はもうからないと言われることに疑問を持ち、どうやったらもうかるのかを学びたくて、この学部学科を選びました」と話します。
自分で作った米を自分で売れるようにしたいと考え、卒業後はすぐに就農せず、営業経験を積むために新卒で不動産会社に就職。オフィス仲介の営業職で企業への飛び込み営業もいとわず経験を積み、故郷の多古町へ戻ってきたのは2015年、23歳の時でした。
100%生産者直販、もみ保存で通年販売
現在、萩原さんは就農8年目。栽培面積16ヘクタールで、両親と3人で多古米作りにいそしんでいます。圃場(ほじょう)の大部分が、山と山に挟まれた谷津田と呼ばれる自然景観のど真ん中。里山の生態系を守るために、父の代から減化学肥料・減農薬、有機肥料を用いた環境保全型の農業を実践しています。
多古米のさらなる付加価値化に燃える萩原さんが、就農と同時に取り組んだのは「売り方改革」です。生産者が自ら栽培のこだわりやおいしい食べ方を伝え、農産物を育む地域の風土も紹介もしながら販売することが価値になると考え、まだD2C型の産直通販サービスがなかった時代に自社サイトでインターネット販売に着手しました。
同時に東京都内のマルシェで対面販売も始めました。毎週土曜日に墨田区曳舟(ひきふね)で開催されるファーマーズマーケット「すみだ青空市ヤッチャバ」での販売です。東京農業大学の先輩方との縁でマルシェ立ち上げ当初から出店し、多古米と多古町の農産物を積んで販売農家が1軒もない墨田区へと通っています。
多古米を通年販売するために「貯蔵方法」も工夫しています。一般的に新米は玄米で保管して年内に売りさばくことが多い中、たこまいらいふ萩原農場では、一部をもみ殻つきの状態で保存して、在庫が減り始めると玄米にし、注文を受けてから精米することで劣化を防ぎ、翌春以降も新米同様の食味で提供しています。
SNSでもリアルでも「多古米王子」を名乗る理由
そんな萩原さんが自身のTwitterで農作業の発信を始めたのは5年ほど前。「多古米王子」を名乗るようになったのとほぼ同じ頃です。名付け親は、町内でサツマイモなどの露地野菜を生産する「もっこり農園」の園長である菅澤多加男(すがさわ・たかお)さん。萩原さんが「すみだ青空市ヤッチャバ」で販売する野菜を同園に仕入れに行く度に、菅澤さんが自身のInstagramやFacebookで「きょうも多古米王子が来てくれました」と投稿したことがきっかけです。
当時は王子の呼び名を特に気に留めていなかった萩原さんですが、コロナ禍の緊急事態宣言が田植えの時期にあたり、自粛中の世間に楽しい話題を提供したいと思い、スーツ姿で田植えをする写真をTwitterで発信するとすぐさま話題に。「スーツ姿が王子ぽかったので自ら名乗ることにしました(笑)」と萩原さん。SNSのフォロワーもぐんぐん増えました。
多古米王子を名乗るのは、多古米と多古町を知ってもらうため。「就農して多古町に帰ってきたら、人は減り、通っていた小学校が閉校し、よく行っていた駄菓子屋さんや玩具屋さんも店を畳んで、地域に子供の姿が全くないことがショックでした」と萩原さん。町が衰退する様を目の当たりにして、多古米を存続させる以前に町を残すことを自身の使命と受け止めたのです。
農家と議員、二足のわらじの履き心地
2022年2月に町議会議員の補欠選挙に初出馬。祖父が多古町の議員を40年務めたことも、心の支えになりました。「当落にかかわらず、僕のような若者が選挙に出ることで、同世代に行政に興味を持ってもらい、町が盛り上がっていけばいい」と意を決した選挙で初当選。2023年4月の統一地方選挙で再選を果たしました。
多古町では最年少議員。多古米の専業農家としても恐らく最年少。どちらの世界でも若輩ながら、町の活性化と農業振興に尽力する萩原さん。充実した毎日を駆け抜けながらも、自身の「働き方改革」で婚活する時間を創出し、人生のあり方を変えたいと意気込みます。
来年度はコロナで休止していた曳舟の児童館の子供たちの田植え・稲刈り体験を再開する計画もあります。「みなさんもぜひ多古町に足を運んでください」と、町のPRも忘れない33歳の多古米王子でした。