農地が狭いという弱みが面積当たりトップという強みに
「高知県は、県全体の面積で言うと全都道府県のうち18位。けれど、農地の面積で言うと42位。平地が少なくて狭い面積で飯を食わないといけないから、生産効率を上げるしかないと、とくに施設園芸でいろいろな品目を産地化してきたんです」
高知県農業振興部IoP推進監の岡林俊宏(おかばやし・としひろ)さんがこう話す通り、同県の農地は全国の農地のわずか0.6%に過ぎない。その反面、ニラやナス、ショウガ、シシトウなどでは全国一の生産量を誇り、ミョウガやキュウリ、ピーマン、トマトなどの産地としても有名だ。温暖な気候を生かし、ビニールハウスを使った野菜や花きの栽培も盛んで、「園芸王国」と呼ばれる。
農産物の売り上げによる所得は主に次のように求められる。
(反収×面積×単価)-経費=所得
農地が広ければ、面積を増やすことで収益を大きくできるが、高知では難しい。経費の削減も大切だが、岡林さんは「経費を10%や20%削減したとしても、所得が10%、20%伸びるわけではありません。ですから多少経費をかけても、反収を上げる方が所得向上になるという発想で、これまで取り組みを進めてきています」と語る。
「コメではなかなか食えないので野菜が主なんですけど、野菜のなかでもキャベツやニンジン、白菜といったメジャーな品目は土地利用型で、面積が必要な一方で単価が安いんです。なので、手間がかかる果菜類といった他の県があまり作っていない品目に特化しています」
より単価の高い品目で反収を追求するという戦略を取り、その結果、農業に強いという今の状態になっているのだという。
「園芸の面積当たりの生産効率で都道府県を比較すると、2位が山梨、3位が愛知と続きますが、高知は断トツでトップなんですね。これは当然と言えば当然で、面積が狭いところで稼がないといけないから、『選択と集中』でより集約的な施設園芸に特化した結果です。背水の陣で、高知の農業の強みが生まれたんです」
岡林さんは下のグラフを指し示しながら、こう解説する。園芸についてみると、2020年の高知県の1ヘクタール当たり産出額は638万円で、2位の山梨県の1.4倍になる。
オランダからデータに基づく環境制御を学ぶ
だが、高知県は現状に満足していない。岡林さんはこう言う。
「日本一だと自慢していたら、高知よりオランダの方がずっと収量は高かった。それで、オランダに学んできたんですね」
オランダとの交流は半世紀ほども続いている。直近で施設園芸分野での交流が深まったのは、2009年に同県がウェストラント市と「友好園芸農業協定」を結んだことがきっかけ。同市はオランダで最も施設園芸が盛んで、パプリカやトマト、ナスといった野菜や花きなどの産地だ。
当時、キュウリ、ナス、トマトの反収を比べると、オランダは高知の2~4倍に達していた。「どうしてこんなに違うのか」という疑問の答えが、データ活用だった。
「高知はハウスの中に温度計しかなく、しかも温度計を見ずに体感で、経験と勘に頼って温度を調節している状況でした。それが、25年くらい前に訪れたオランダの農場ではホワイトボードに温度、湿度、炭酸ガス濃度などをこと細かに記録して、農家同士が毎週集まって議論していたんです。作物は光合成で育つから、それに影響する数値を全部測って、データに基づく最適な管理を徹底していました」(岡林さん)
環境制御で収量が大幅アップ
視察先で効果を目の当たりにした岡林さんたちは、データを取得して環境を制御する実証実験を農家の協力を得て2013年から開始した。その結果、どの品目でも収量が1~2割、最大で4割も増加。篤農家でも収量が大幅に伸びたことに岡林さんは衝撃を受けたという。
「どの品目も、日本一を極めた収量に行きついていたので、農家自身も今のハウスのスペックじゃこれ以上はとれないと思っていたし、この技術を普及させる僕らもそんなに簡単に収量を伸ばせるわけがないと思っていたんです。ところが、ちゃんと環境をモニタリングして厳寒期に炭酸ガス発生装置で適切な量のCO2を加えてみたら、すぐ2割くらい収量が上がった。これほどまでの成果を出せた技術は過去になかったです」
早速、すべての農家に普及させようという運びになり、施設内で環境データを測定するモニタリング装置と炭酸ガス発生装置の普及を進めた。その結果、県内では「すでに全国一データ農業が普及している」と岡林さん。県の主要7品目(ナス、ピーマン、トマト、シシトウ、キュウリ、ミョウガ、ニラ)だと、栽培面積で6割を占める1500戸の農家が両装置を導入している。
植物のインターネット「IoP」で全体の底上げへ
農家が導入する環境モニタリングや炭酸ガスの発生装置は、さまざまなメーカーが製造する。そのため、農家の間、あるいは農家と県やJAといった指導に当たる機関との間でデータを共有しにくいという問題が生じていた。
「県内では農家同士で成功例や失敗例を共有しようという意識が高いのですが、使う機器がまちまちで、うまくいっている人の情報を共有しづらいところがありました。そこで、県でIoPクラウドという『データ連携基盤』を作ってデータを一元化して集め、農家にフィードバックすることにしたんです」(岡林さん)
IoPは「Internet of Plants」の略で、さまざまなものがインターネットに接続され情報をやりとりできる「モノのインターネット(IoT/Internet of Things)」ならぬ「植物(Plant)のインターネット」というわけだ。IoPクラウドを利用した営農支援システムを「SAWACHI(サワチ)」と名付け、2022年9月に本格稼働させた。県内の農家は利用を申し込めば無料で使うことができる。
行政主導だからメーカーの垣根を越えてデータ連携
現在、IoPクラウドは12社のメーカーの機器からハウス内の環境データを取り込める。
「ほかのメーカーの機器ともデータ連携するということは、特定のメーカーが主体ではなかなかできません。行政が主体になっていることで、メーカーの垣根を越えた連携ができるのは、強みですね」(岡林さん)
また、JAの電算センターとも連携し、農家の出荷情報も把握する。
現在、ハウス内のセンサーやカメラがクラウドとつながっている農家が470戸、出荷データの取得対象はおよそ2500戸あるという。ハウス内の環境情報をデータ連携する農家は、2023年度中に600戸まで増やすという目標を掲げる。
「IoPクラウドのしくみは整ったので、今後一気に連携する戸数を増やしたいですね」と岡林さん。クラウド上には、県内230カ所をカバーする詳細な気象データや全国の市況、一部の農家の生産履歴や労務管理のデータも集積されている。
「クラウドではハウスの実際の制御までは行いません。制御を担うのは農家自身で、クラウドは制御に必要な有益な情報を提供するんです。自分のスマホなどでデータを見られる状態にしている農家は、増え続けていて950戸に達しています」(岡林さん)
SAWACHIの画面を開くと、上の写真のように自分のハウスの温度や湿度、CO2濃度、日射量の現状や推移などの情報をどこにいても確認できる。ハウスの機器やシステムに異常があればアラートを鳴らして知らせる機能もある。日々の出荷情報が等級別に表示され、自分の出荷量や品質の日々の推移が県内で何位なのかも知ることができる。
病害虫の発生予察や栽培管理のポイントなど、タイムリーな営農情報も日々配信する。農家同士で同意があれば、互いのデータを閲覧し、切磋琢磨(せっさたくま)していくことも可能だ。
「はまっている人は、毎日のようにさまざまな情報をチェックしています。『毎日のペースメーカーだと思っている』という農家からの声をもらったときは、それはうれしかったですね」と岡林さんは言う。
さらには世界で初めて、作物の「生理生態情報」まで提供を始めた。光合成や蒸散の量などを高知大学と県が連携して計測し、作物の健康状態を「見える化」する。データをどう管理につなげるかは試行錯誤しているところだ。ゆくゆくは作物が光合成の能力を最大限発揮できる生育管理につなげたいという。
環境モニタリングとIoPで導入農家の7割が10%増収の部会も
ユーザーは増えている一方、すべての農家が自分でデータを扱えるようになるわけではない。
「若い人は自分のデータをスマホで見ていますけど、なかなか全員がそうはいかないので。そこは県やJAの営農指導体制でフォローしています」(岡林さん)
熱心な農家ほどデータの収集と活用の重要性を理解し、SAWACHIのユーザーになる一方で、そうではない農家にも使ってもらう試みをしている。場所は、キュウリの県内最大の産地である春野。
「『データ農業なんてやらんでもいいわ』という感じの人にもデータをとってみてほしいと、JA高知春野きゅうり部会で25台センサーを買って、導入してもらったんです。そのうち7割で収量が10%伸びるという結果になりました」
岡林さんはこう言って同部会の実際のデータに基づいた収量の推移を見せてくれた。
「同じ部会でも、収量が高い人の緑色のラインと、低い人の黒色のラインでは全然違います。黒色の低収量の人は、これでは飯が食えない状況で、なんとしても緑の高収量の状態まで持っていきたい」(岡林さん)
底上げに必要なのが、特定の日の特定の時間だけを比べず、さまざまなポイントごとに比較して改善していくことだ。たとえばキュウリは、10月に定植して翌年の夏まで収穫する。
「どこか1日だけ比較して改善しても、結果は出ないわけです。定植から収穫を終える最後まで、毎日の管理をデータに基づいて常に改善していかないと高い収量は達成できません。1回データを見て終わり、1回指導して終わりじゃなく、朝は朝のデータに基づいて改善し、夜は夜のデータに基づいて改善することを日々繰り返す必要があります」
そう説明する岡林さんは、これまで環境データに基づいた営農で収量を1~2割伸ばせたのを、IoPでさらに1~2割の増収につなげられると期待している。また、トップレベルの生産者であっても、農業所得をより高められる点が見つかるはずだという。
「すでに環境のモニタリングをしていた人は、これまでは自分でデータを見て改善するだけだったのが、IoPで他の人とも情報を共有できるようになります。さまざまな知見を得て高め合えれば、収量をさらに10%、20%と伸ばしていけるはずです」
データ利用契約の締結で機器の開発まで促す
IoPクラウドを使う農家は、県知事とデータ利用契約を締結している。これにより、収集したビッグデータを県やJAが営農指導に生かせるだけでなく「大学が研究開発に利用することもできるし、企業が製品やシステムの開発やサービスの提供に利用することも可能」という。高知県農業の発展につながる研究や製品の開発が目的なら、データを提供できる。
「環境を制御するような機器ができないと農家は便利にならないので、関連するシステムや機器がもっと発展しないといけないんです。IoPは農家の所得向上と、機器の開発とを両輪で発展させるしくみになっています」(岡林さん)
クラウドのユーザーとして、農家のみではなく研究者や企業、行政、消費者などさまざまなステークホルダーを想定する。
「メーカーが主体だとここまでの共有はできません」と岡林さんは言う。
「それだけに、地方自治体が地域産業のDX(※2)を進めるためにデータ連携基盤を作ることは意味がありますね」
※2 デジタルトランスフォーメーション。デジタル技術による変革。
他県への展開も
IoPクラウドは他県への水平展開を始めようとしている。農林水産省の旗振りでスマート農業が推進されるなか、「どうやってデータを集めるか、集めたデータを農家の所得向上にどう活用するか」が、どの県も共通の課題になっており、およそ20の都道府県がIoPクラウドの利用に関心を示している。
「県ごとのデータはノウハウであり知的財産ですから、データそのものを他県と共有するわけではありません。取得したデータはそれぞれの農家とそれぞれの県で活用します。ただ、データを集めるしくみと集めたデータを有効に活用するしくみを共有できたらと考えています」と岡林さん。では、IoPクラウドを県外に広めることは、高知県にどんなメリットをもたらすのだろうか。
「高知の主要品目については、たとえばナスやニラの光合成の状態を分析するアルゴリズムはすでに作っています。ですが、たとえばイチゴは農家数が少なく、アルゴリズムを県が費用を負担して作ることはなかなか難しい。そこは、イチゴの産地を擁する県にアルゴリズムを作ってもらって共有してもらえれば、県内のイチゴ農家が使えるというメリットが出てきます」
また、さまざまな県が使うことでスケールメリットが生まれ、システムの維持管理費を抑えられるかもしれない。クラウドに機器を連携させている企業にもメリットが出てき得る。その可能性を、岡林さんはこう見ている。
「クラウドでさまざまな県と機器がつながるようになれば、それらの県でも機器を普及しやすくなるはずです」
2023年3月には、広島県がSAWACHIの実証利用を始めた。広島、佐賀の両県は将来の利用を見越し、IoPを活用した研究開発や営農指導ができる人材を育成しようと、研究職の職員を高知県に送り込んでいる。高知県発のIoPは今後、各地に広まっていきそうだ。