官民連携のまちづくり「アグリサイエンスバレー常総」

官民連携事業として「アグリサイエンスバレー」構想がスタートしたのは2014年のこと。茨城県常総市の農地を集約し、大区画化しながら、農業の6次産業化による地域活性化を目指したまちづくりです。
観光農園、植物工場、流通施設、道の駅……。複数の施設があり、これらを総称したものが、アグリサイエンスバレー常総と呼ばれています。
中でも目を引くのが、日本最大級のミニトマト栽培施設。約5ヘクタールの施設に最先端の環境制御システムを導入。通年安定栽培で年間約1000トンの出荷を実現するといいます。

夏越し栽培で差別化を図る

ミニトマトの栽培施設を運営するのは、SBプレイヤーズ株式会社の子会社、株式会社たねまきの関連企業である株式会社たねまき常総です。
「年間を通してバランスのとれた農作業量と一定の売上を見込める作物であり、安定した雇用創出に繋がると考えました。また、お客様からのニーズが高く、マーケットサイズも大きい、さらに海外の輸入品と競合しにくいといった観点から、ミニトマトを選びました」
そう話すのは同社代表取締役社長の前田亮斗(まえだ・りょうと)さん。地元の有力なスーパーマーケットをはじめ、複数の小売店と原則直接取引を行っています。その供給量は合わせて年間1000トンを上回る見込みで、地元で180人規模の採用を実現しています。

競合との差別化のポイントは「首都圏近郊での夏越しの栽培」をしていること。
通常、ミニトマトは4月~6月に最盛期を迎え、夏越しの栽培は困難となります。そのためミニトマトの価格は9月以降に上がります。夏越しの品は、寒冷な地域や高地などからの出荷となり、長期間の輸送による品質の課題や物理的に流通コストがかさむ傾向にあります。そこで同社の「首都圏近郊での夏越しの栽培」が優位に立てるのです。
当社では、ミニトマトの栽培に環境制御を導入。施設内の環境をコンピューターが自動でコントロールし、首都圏近郊での夏越し栽培を可能にしたことで、一年を通して安定した収穫量・価格での出荷を可能にしています。

農業分野に特化したシステム開発

このミニトマト栽培施設の運営には、栽培・販売を行うたねまき常総と、SBプレイヤーズ株式会社の子会社である株式会社たねまきが技術開発を行い、連携しています。たねまきには、約20名のソフトウェアやメカニックのエンジニアが所属。栽培現場で各種システムの実験・検証・改良が即座に行えることを強みに、農作業・栽培経営に役立つシステムを、よりスピーディーに実用化していきます。
「連携といっても別々の会社です。なので社員には、たねまきが作ったシステムに納得できなければ使わなくて良いと言っています」と前田さん。良い緊張感を保ち、ビジネスパートナーとして協働しています。
広大な施設での栽培で活躍しているのが、労務や作業管理システム。
スマートフォン上でその日の作業指示や担当場所を指示できたり、作業管理や出退勤を報告できたりします。

栽培ロボットの開発に期待

ミニトマトの収穫ロボットの開発も進んでいます。
「我々はヘタが付いた状態のミニトマトを収穫するという、少し難易度が高い技術を持つロボットを実用化させようと考えています」
また選果のための認識システムなど、その開発領域は多様です。
「『テクノロジーありき』とか『無人化』を目指しているわけではないんです。今後、日本では労働人口が減っていきます。その時に本当に人がやるべきことにリソースを割ける仕組みを作っていかないといけませんし、そのほうが幸せだと思っています。例えばミニトマトのわき芽を取るような繊細な作業はロボットが完全に代替することは難しい。一方でロボットは24時間働けるという利点があります。ロボットの良さをいかし、最終的に収穫作業のうち半分をロボットが担える姿を目指しています」

たねまきとたねまき常総は、自社で開発したシステムや確立した栽培技術を生産者や生産団体へ販売したり、生産課題にあったロボット開発にも取り組んでいく予定です。
テクノロジーを活用し、農業を持続可能な産業に変革すること究極の目的として、たねまき・たねまき常総は動いています。

目指す未来の「農業のまち」

前田さんは今後、アグリサイエンスバレー常総に作った施設と同様のものを10年で10カ所開設することを目標としていると話します。常総の施設で得た、農地の確保やハウスの設計・施工管理、効率性の高いオペレーション、各種のテクノロジー、ロボット技術、さらに販路開拓を含む営業手法……。
これらのパッケージ化によるフランチャイズ展開も視野に入れています。

生産・加工・流通・販売までの一貫した事業施設を整備し、農業の6次産業化による地域活性化を目指して動き出した本プロジェクト。アグリサイエンスバレー常総は、まちびらきにより本格的に「新しい農業のまち」として歩み始めました。
これからこの街がどう成長していくのか、将来的に日本の農業に大きな変化をもたらすのか、目が離せません。