穀物生産はずっと過剰、飢餓は食料の偏在の問題

「数億人が飢餓の危機に 日本も他人事では済まない」。そんなキャッチコピーで食料危機の現状と将来予想、さらには日本が取るべき戦略を解説したのが『世界食料危機』(2022年9月、日経プレミアシリーズ)だ。

2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、ロシアとウクライナという穀物の輸出国同士が戦ったことで、その国際市況を急上昇させた。これをきっかけに、安全で栄養価の高い食料を合理的な価格で入手できるようにする「食料安全保障」への関心が高まっている。

わずか数カ月で世界の飢餓人口が6300万人も増えたとされ、一般には食料が足りなくなったと考えられがちだ。しかし、阮さんは「世界全体を見たときに食料が足りないわけではありません」という。

「国連食糧農業機関(FAO)によると、2022年の世界の食料輸入額は過去最高だった2021年を約10%上回る一方、低所得国の輸入量は逆に10%減る見通しです。こうした国々はもともと食料が不足しがちで、ドル高も影響して外貨が不足し、より買えない状態になってしまいました」

それに対し、購買力のある先進国は食料を買いだめした。その結果、食料の偏在が起き、飢餓が拡大してしまったというわけだ。

「そもそも1950年代から世界の穀物生産は過剰になっていました」と阮さん。米国やEU、カナダ、オーストラリアといった生産国は余剰分をアフリカなどに輸出し、国内の在庫を解消してきたところがある。これまで、これらの国々では輸出への圧力が強く、日本も穀物を大量に輸入してきたわけだが、ここにきて長年固定していた構図が大きく変わりそうだという。

「カーボンニュートラル」として需要を増すバイオ燃料

今後、穀物の貿易に大きな影響を与える要因として、阮さんが挙げるのが「脱炭素社会」へ向けた各国の環境対策だ。米国やEUがトウモロコシやサトウキビ、菜種などを食用からバイオ燃料用に振り向けるようになっている。

バイオ燃料とは、生物由来のバイオマス資源を原料に生産したバイオエタノールやバイオディーゼルといった燃料をいう。燃焼させるとCO2を排出するものの、原料となる植物などが光合成で大気中のCO2を吸収した分と相殺されるとみなされる。それだけに、CO2をはじめとする温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させ、排出を全体としてゼロにする「カーボンニュートラル」にかなう燃料だとされている。

2008年には、石油の高騰を受けて米国がトウモロコシなどをバイオ燃料に大量に使った結果、世界的な穀物の高騰まで引き起こした。「1990年代から徐々に広がってきたバイオ燃料は、今世紀に入ってから普及のための制度が整ってきた」(阮さん)といい、世界的に生産と消費が活発になっている。

阮蔚さん

世界で進むバイオ燃料シフトで穀物輸出への関心は低下へ

米国を例にとると、2011年以降、トウモロコシ生産量の35~40%をバイオ燃料に使っている。大豆のバイオディーゼル向けの消費も増えており、大豆油の国内需要に占めるバイオディーゼルの割合は2020年に37.9%に達した。バイデン政権はさらに、従来の航空燃料に比べCO2排出量を8割ほど削減できるバイオマス由来の「持続可能な航空燃料(SAF:Sustainable Aviation Fuel)」の普及を目指している。

「SAFの原料として、大量の大豆油の需要が生まれるはずです。そうすると、これまで国内需要を上回って生産してきた穀物の余剰問題がほぼ解決できるんです」

米国に加え、EUやブラジル、近年パーム油由来のバイオ燃料普及に熱心なインドネシアなどでも、バイオ燃料の需要と供給が順調に増えている。だが良いことづくめではなく、「最大の課題は『食料と競合するのではないか』という根本的な疑問」だと阮さんは指摘する。

2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻で国際相場が高騰した際にも、「食料か燃料か」と穀物の使い道を問う議論が持ち上がった。ただし、実際には穀物の在庫は潤沢にあったため、その後バイオ燃料への批判はあまり高まっていない。

「バイオ燃料は環境にやさしいという大義名分があり、米国もEUも、輸出によって国内の余剰穀物を消化する必要がなくなってきている。これらの国々が輸出に依存しなくなることで、これまで輸入してきた国はどうするかという問題が生じることになります」

過剰生産が終わり各国が一定の自給率確保へ

阮さんは今後「過剰生産の時代が終わり、各国である程度の自給率を確保する流れになる」と予想する。小麦や大豆、トウモロコシを輸入に頼る日本も例外ではないという。
「やはり、一定レベルの自給率を維持するということが必要ではないでしょうか。生産者に対してそれなりにインセンティブ(※)を与えれば、自給率を高めることはできます。つまり、生産者にとって再生産できる合理的な価格を確保するか、政策で農家の所得を保障するということです」

貿易と国内での生産を組み合わせて食料安全保障を確立する必要があるという。まさにそうした動きを強めているのが中国だ。

中国も、畜産の飼料を大量に輸入している点で日本と共通する。米国やブラジルから輸入する大豆は国内での増産に踏み切った。一方で、これまで国産で賄ってきたトウモロコシをブラジルから輸入するようになった。最優先するのはあくまでコメや小麦といった主食となる穀物の自給。飼料穀物は、国内増産と輸入を組み合わせて安定的に調達しようという姿勢だ。
※意欲を引き出し行動を変えるための動機付けや報酬

穀物の国際価格に暴落のリスクも

価格は変動するものであり、穀物には目下、価格が暴落する危険性もあると阮さんは指摘する。「2022年の穀物価格が高かったため、短期的には増産する国が増え、ドル高などによる外貨不足の途上国の輸入量が減少することもあり、価格の暴落に直面するリスクがあります」

穀物価格が下がれば、輸入に頼る日本にとっては良いことのようだが、トウモロコシや小麦などを国内で作る動きに水を差しかねない。

「2022年2月や3月の価格であれば、国内で穀物を作っても輸入品に対して価格競争力を持つことができます。ですが、国際価格が暴落してしまうと、日本で飼料穀物を作っても到底、輸入品との競争力は持ち得ません。そうなると、生産者に対してある程度の所得補償をすることが必要ではないでしょうか」

「買い負け」と食料安全保障は違う

近年、食料安全保障と関連して「買い負け」という言葉がしばしば使われる。よく中国などの新興国に「買い負ける」という言い方がされてきた。阮さんは、「世界の食料は全体でみるとまだ余っていて、お金を払えば『買い勝てる』状況。『買い負け』という言葉は、食料安全保障とは違います」とする。

FAOは食料安全保障を次のように定義する。
「食料安全保障とは、すべての人々が、常に、物理的、社会的、経済的に、活動的で健康的な生活のために、食の嗜好(しこう)と食事のニーズを満たす十分かつ安全で栄養のある食料を入手できることを意味する」

つまり、日本の商社が意のままに食品を調達できなくなったからといって、すなわち食料安全保障が損なわれている……とはならない。

経済成長を遂げた中国は今、世界中でさまざまな食料を買い付けている。日本は以前から旺盛に買い付けていただけに、より高い価格で買っていく中国に「買い負けている」と感じるに過ぎない。「これはごく自然なこと」(阮さん)だ。

この買い負けという言葉は、とくに肉や飼料穀物で使われる。中国が輸入を増やしているため将来的に日本が調達しにくくなるというものだ。阮さんは「中国だけでなく、東南アジアやインドも、経済成長につれて食肉の消費が増え、輸入を伸ばしていくはずです。とくに宗教上の理由から食肉の消費が極めて少ないインドは、1人当たりの消費量がわずかに増えただけでも、14億という人口を擁するだけにかなりのインパクトを与えます」という。

穀物の増産めぐり国民的な議論をすべき

中国の動向いかんにかかわらず、食肉と穀物の争奪戦が激しくなるのは避けられない。これまで通りに買い付けたいなら、以前より高値を払う必要がある。

「もし輸入品の価格が一定のレベルより高くなると、逆に国産に競争力が出てきます。まだそこまで至っていないので、国内で増産しても輸入品に価格で勝てないし、輸入するにしても昔より高くつくという中途半端な状況なんですね」

この状況を脱するには、経営の大規模化や技術革新などで生産コストを引き下げ、国産を輸入品と競争できる価格に持っていくことが考えられる。

「ただ穀物の場合、輸入品と競合できる価格に自然に持っていけるとは考えにくい。生産者に所得補償をするなり、補助金を出すなりして支えることを検討すべき時期に来ていると感じます。国民的な議論をして、どうするのが良いか考えるタイミングではないでしょうか」