今や当たり前「ペットの皮膚科」も少し前はほぼ存在しなかった
「いまの動物医療は、かつてとは雲泥の差だよ」。
日本の動物医療を草創期から支えてきた長いキャリアを持つ獣医師の方々と話をしていると、特にこの20年間の変化はめまぐるしかったという声が聞こえてきます。
ひとむかし前の動物病院での検査といえば、せいぜいレントゲン検査や血液検査が関の山でした。しかしいまでは、CT、MRI、超音波検査なども受けられるようになってきていますし、救命救急医療も存在。腫瘍の研究や再生医療の研究といった領域についても、かなり注力されているのです。
そして、麻酔の技術をはじめ、手術用の道具や検査用の機材などが日進月歩で新しくなり、種類も格段に増えました。
犬や猫で頻繁に行われる不妊手術を例にとってみても、近年は麻酔をかける前から点滴を行って隠れた脱水をケアするほか、手術前から痛みのケアを行い、手術中・手術後もさまざまな手技と薬剤を用いて「人と変わらない治療」を行っています。
わたしが大学の獣医学科で学んだ頃は、「動物は人間ほどには痛みを感じないものだ」「動物は手術後の痛みにも強い」などといって、そのような配慮はされていませんでした。
しかし、様々な研究が進んで動物がことさら痛みに強いわけではないことが分かってきて、そうして見出された新たな知見が、臨床の現場に続々と導入されています。
専門分化にしても同じことがいえます。若いペットオーナーの方などは信じられないかもしれませんが、いまではとてもニーズの高い皮膚科という専門領域すら、少し前までほぼ存在しないものだったのです。
ペットオーナーの意識も変化。継続した学習は必須に
動物医療の劇的進歩の背景には、ペットと人間の関係の変化があります。
ペットはもはや家族です。でもかつては、いまのような飼い方が主流ではありませんでした。
飼い犬の多くは雑種犬で、お手製の犬小屋で暮らし、餌はボコボコに凹んだ鍋で食べている。夏になるとせっせと穴を掘り、そこに寝そべってお腹をつけて体温を冷やす。人が来ると、つながれた鎖を目一杯に伸ばし近くまで行ってワンワンと吠える……。
そんな風景はすっかり昭和レトロの世界で、今ではほとんど見かけることがありません。ペットと人間の関係は、ここ30年ほどで大きく様変わりしたのです。
ペットフードが充実し、ペットを飼いやすい環境ができてきたことも影響しているでしょう。かつては家庭の食事の残りを与えられていた犬が多く、ペットフードの種類は少なく、内容も質素でした。
それがいまでは小型犬用や大型犬用といった犬種に合わせたものや、幼犬用、成長期の犬用、成犬用、老犬用といった年齢に合わせたものまで、実に豊富でペットの健康に配慮した高品質なペットフードが販売されています。
そんなペットフードの進化と歩調を合わせるように、日本という国が豊かになり、ペットとの暮らしにお金をかけられるようになってきた結果、ペットは家族へと立場を変えていったのだと思います。
ペットを家族として考えるオーナーにとって、いざという時に頼れる動物病院の存在はとても大切。そんな動物病院には、これまで以上に機能が求められるようになり、動物医療そのものの高度化や専門分化へのニーズもどんどん高まっているのです。
ペットオーナーとしては、より高度で安全な医療を、丁寧に提供してくれる動物病院にペットを預けたいところでしょう。ですから動物病院は、さらに便利に使いやすくならなければいけないし、獣医師は常に知識と技術をアップデートしていく継続学習が欠かせません。
動物病院のトップが時代の変化についていきにくい事情
しかし高度化・専門分化した動物医療を提供するには、最新設備の導入コストもかかり、人的リソースも必要になりますから、対応するのがなかなか難しい動物病院もあるでしょう。
設備を導入する資金を準備したり、十分な人材を雇用したり、獣医師が新しい技術を学べる環境を作ったりするためには、しっかりとした病院の経営が必須です。
ところが院長先生がトップを務める旧来の個人経営の動物病院では、日々の診療に忙殺され、経営に手がまわらないケースも珍しくありません。経営が得意でない院長先生をわたしなりに分類してみると、次のような具合です。
DIYタイプ
仕事に対して非常に強いこだわりがあり、高い技術を持っていますが、それゆえになんでも自分でやろうとしてしまう院長先生です。
病院の労務管理や雇用契約といった事務仕事まで自分でやろうとします。よって、たくさんの仕事に忙殺され、優れた技術が存分に生かされないことになりがちです。院長が手の届く範囲での業務しか整備されないため、新たな事業や組織の変革が進むことは少ないです。
超節約タイプ
お金に強い関心がある院長先生です。お金の管理は非常に大切ですが、どちらかというと利益を新たに生み出すよりも、お金が減らないことに執着する傾向があります。
税金や経費のコントロールは、経営のなかのごく一部にすぎません。利益をあげたければ、積極的にお金を投じて新たな商品やサービスを生み出し、より多くのニーズにこたえるための努力が必要です。
職人タイプ
診療技術にだけ強い興味があり、それ以外には頓着しない院長先生です。
獣医師がより優れた医療を追求するのは素晴らしいことです。しかしあまりにも職人気質が強過ぎると、組織の運営がおろそかになってしまいます。
例えばスタッフの出勤シフトのつくり方がいい加減だったり、給与の振り込みが少し遅れても平気だったりと、マネジメントがルーズになります。
また、自分自身が技術に興味が強いだけに、他のスタッフにも「仕事は見て覚えるもの。技術は盗むもの」というスタンスになりがちです。難しい手術などは自ら進んで手掛けてしまうので、若手獣医師がなかなか経験を積めないことも問題となります。
3タイプに共通するのは、従来の動物病院のやり方を変えたがらないところです。なぜそうなるかといえば、そもそも獣医師は新たなチャレンジよりも確実性を追求するのが普通だからです。
医療の現場では、わずかなミスが取り返しのつかない事態を招くこともあります。ですから、処置後の結果などを参考に、高い確率で安全が確保されている方法を選択し、実践します。それが、大切な命を預かる獣医師にとっては当然のことです。
動物医療に必要なのは、確率は低いけれども成功すれば劇的な効果のある治療ではありません。より確実に健康な状態に戻す治療です。
このような思考をベースに、しかも日々忙しく働いている獣医師が、組織をよりよくしたり、新たな事業にチャレンジしたりするのは、簡単ではないと思います。経営にまで手も頭も回りきらないのは、当然なのです。
しかし従来のやり方で、今後もどんどん高度化・専門分化が進むペットオーナーからのニーズに応え続けていくのは、難しいかもしれません。
では、どうすれば知識と技術を常にアップデートしている獣医師に巡り会えるのでしょうか。正直、いい動物病院は獣医師とペットオーナーの相性で変わることもあるので、一概にいい、悪いと判断できないのですが、「しっかり学んでいるか」のヒントになるポイントはいくつかあります。
・専門医資格や学位、学会、セミナーを見て、資格の中身や内容をチェックする
・論文や商業誌などに継続して情報を発信している
・一人の獣医師が1日に何例見ているか
・近隣の病院から医療の面でよい評判が聞けるか
また、実際に訪れてみて違和感なく接してくれるかどうかも非常に大切です。獣医師が命に対して真摯に向き合っているか。ペットオーナーやスタッフに敬意を払っているか。病院が清潔で不快にならないか。通いやすいか。
こうした部分には、動物病院の医療に対する姿勢も表れてくると思います。技術的な良し悪しを判断するのはなかなか難しいですから、印象や実感もぜひ振り返ってみてください。
著者プロフィール: 生田目康道(なまため・やすみち)
日本大学生物資源科学部獣医学科卒。2003年に株式会社JPRを設立。「近所のやさしい獣医さん」をコンセプトとしたプリモ動物病院グループを展開。ペット業界に関わる事業共創を行う株式会社QAL startups、教育事業を展開する株式会社EDUWARD Press、動物病院向けのプロダクト開発を行う株式会社QIXなど、グループ各社の経営にも携わる。近著に『人が育つ組織』(アスコム)。