『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治の代表作の一つです。銀河鉄道に乗って旅をする幻想的な話ですが、内容が難しく、意味が分からないと感じた人もいるでしょう。
本記事では『銀河鉄道の夜』のあらすじを簡単版と詳細版に分け、結末まで紹介します。カムパネルラが迎える結末の意味、タイタニック号との関連性や銀河鉄道とは何か、ジョバンニがなぜ乗れたのかなどについてもわかりやすく解説します。
作者・宮沢賢治についてや、関連する猫のアニメ、映画、歌もまとめました。
※本記事はネタバレを含みます
『銀河鉄道の夜』のあらすじを、短く簡単に紹介
『銀河鉄道の夜』の詳細なあらすじを紹介する前に、まずは物語の大筋について簡単に紹介します。後述しますが、『銀河鉄道の夜』のストーリーには複数のバージョンがあります。今回は最終稿といわれるストーリーのあらすじをまとめました。
貧しい少年のジョバンニは、家族のためにアルバイトで忙しく、学校の勉強についていけません。同級生のザネリにはからかわれ、友達のカムパネルラとは疎遠になっていました。
同級生たちがお祭りを楽しむ中、ジョバンニは一人、町はずれの丘へ向かいます。そして気が付くと、銀河鉄道の中にいました。
車内にはカムパネルラもいて、2人は他の乗客と会話しながら、美しい風景の中を旅します。乗客たちがサウザンクロスで下車した後、2人きりで「ほんとうのさいわい」について話している際、突如カムパネルラが姿を消したかと思うと、ジョバンニは元の丘で目を覚ましたのでした。
家への帰り道、ジョバンニは川の近くに人だかりができているのを見つけます。そこで、カムパネルラがザネリを助けるため川へ入り、行方不明になったことを知るのでした。
『銀河鉄道の夜』に登場する主な登場人物
『銀河鉄道の夜』は、主人公のジョバンニを中心に進むお話です。主な登場人物について見ていきましょう。
ジョバンニ
病気の母と暮らす、貧しくていじめられっ子の少年。活版所でアルバイトをしながら学校へ通う。父は漁に出ていて不在だが、監獄にいるとうわさされている。
カムパネルラ
クラスの人気者で物知り。ジョバンニとは同級生であり友達で、父親同士も親しい間柄とされている。父は博士。
ザネリ
ジョバンニとカムパネルラの同級生で、何かとジョバンニをからかう。
『銀河鉄道の夜』のあらすじを、結末まで詳しく解説
『銀河鉄道の夜』の中には、「ほんとうのさいわい」という印象的な言葉が何度も出てきます。「ほんとうのさいわい」という言葉を通して宮沢賢治が伝えたかったことは何なのかを考えながら、より詳しいあらすじを見ていきましょう。
少年ジョバンニは貧しく、学校ではいじめられる日々
ジョバンニは、貧しい家計の足しにしようと朝も放課後もアルバイトをしているため、学校の勉強になかなかついていけません。
漁に出ている父親がもうすぐ帰ってくると信じていますが、周りからは父親が罪を犯して監獄へ入っているとうわさされています。特に同級生のザネリは、事あるごとにジョバンニにいじわるをするのでした。
ジョバンニには、同級生にカムパネルラという友達がいますが、アルバイトによる忙しさなどから疎遠になっていました。
さて銀河のお祭りの日にも、ジョバンニは放課後に活版所でアルバイトをします。病気の母を気遣って、給料にもらった小さな銀貨で角砂糖を買って帰宅しました。しかし、いつも家に届くはずの母のための牛乳が届いていなかったので、牛乳屋さんへ取りに行きがてら、銀河のお祭りを見に行くことにしました。
牛乳屋さんへ向かうジョバンニですが、店から出てきた老婦人から牛乳をもらえず、しばらくしてからまた訪ねるよう言われます。
その後、町を歩いていたジョバンニは、お祭りを楽しんでいたザネリたちに会い、またからかわれてしまうのです。その中にはカムパネルラもいて、こちらを見て、気の毒そうに少し笑っていました。
ジョバンニは、いつの間にか銀河鉄道に乗車していた
ジョバンニは逃げるようにザネリたちのもとから離れ、町はずれの丘へ走ります。丘へ到着し、一人、孤独を感じるジョバンニ。
するとどこからともなく「銀河ステーション、銀河ステーション」というアナウンスが耳元に響きます。突然目の前が明るくなり、気が付くとジョバンニは、銀河鉄道に乗っていました。
そしてすぐ前の席には、濡れたように真っ黒な上着を着たカムパネルラが乗っていたのです。ザネリたちは追いつけず、銀河鉄道に乗車できなかったと話すカムパネルラ。
ジョバンニはカムパネルラに、どこかで同級生を待っていようと提案します。しかしカムパネルラは少し青ざめた顔をしながら、ザネリは父親が迎えに来てもう帰ったと話すのでした。
ジョバンニとカムパネルラは、一緒に銀河鉄道で旅をする
しばらく車窓からの景色を楽しんでいた2人でしたが、「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか」と、突然話を切り出すカムパネルラ。
「ぼくはおっかさんが、ほんとうに幸(さいわい)になるなら、どんなことでもする。けれども、いったいどんなことが、おっかさんのいちばんの幸なんだろう」と、カムパネルラは涙をこらえながら話します。
そんなカムパネルラの様子に、驚くジョバンニ。そしてカムパネルラは何かを決心したように「誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う」と話すのでした。
白鳥の停車場で途中下車したジョバンニとカムパネルラは、プリオシン海岸へ行き、牛の先祖の骨を発掘している学者らしき人と会話します。
さて2人が車両に戻ると、鳥を捕まえて食用に売ると話す商売人が、銀河鉄道に乗車してきました。鳥捕りとの会話の途中、ジョバンニたちのもとへ車掌が切符を確認しにやってきました。そのときに、ジョバンニの切符だけが、どこまでも行ける特別な切符だと知ります。
鷲(わし)の停車場で鳥捕りがいなくなり、代わりに6歳くらいの男の子と12歳くらいの女の子、そしてこの姉弟の家庭教師をしている青年が銀河鉄道に乗車してきました。
乗っていた船が氷山にぶつかって沈み、気が付くと銀河鉄道に乗車していたと話す3人。途中、窓の外に蝎(さそり)の火が見えたのをきっかけに、女の子がやけて死んだ蝎のエピソードを話します。その蝎は死に際に、来世では「まことのみんなの幸(さいわい)」のために役立ちたいと神に願ったところ、夜の闇を照らす、真っ赤で美しい火になったといいます。
天上へつながるサウザンクロス(南十字)で3人が降りていき、ジョバンニとカムパネルラは2人きりになりました。
再び現実の世界へ戻るジョバンニに知らされた、衝撃の事実
ジョバンニは、カムパネルラに「どこまでもどこまでも一緒に行こう」と話します。女の子が話した蝎のように「みんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない」と言うジョバンニに対し、カムパネルラは目に涙を浮かべながら「うん。僕だってそうだ」と答えます。
そして、「ほんとうのさいわい」とは何かはわからないけれども、共に探しに行こうと話す2人。その最中、カムパネルラは窓の遠くに見える野原を指さして「あすこがほんとうの天上なんだ。あっあすこにいるのぼくのお母さんだよ」と叫びます。
ジョバンニもカムパネルラが指さす方を見ましたが、ぼんやり白くけむっていて、よくわかりません。ジョバンニはカムパネルラの方を振り返りましたが、そこにはもう、カムパネルラの姿はありませんでした。
ジョバンニは窓の外に体を乗り出し、激しく叫び、泣きました。そこでふと、もといた丘で目を開くジョバンニ。どうやらジョバンニは、疲れて眠っていたようなのです。
目を覚ましたジョバンニが再び牛乳屋へ行くと、今度はあっさり牛乳をもらえます。
牛乳を持って家へ帰る途中、川の近くに人だかりがありました。そこでジョバンニは、カムパネルラが川に落ちたザネリを助けるため水の中へ入り、行方不明になったことを知るのです。
周囲の人たちは、カムパネルラがどこかで生きていると信じたい様子でしたが、カムパネルラの父親は「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから」ときっぱり言います。
ジョバンニも、カムパネルラはもうあの銀河のはずれにしかいない気がしていました。
思わずカムパネルラの父親のもとへ駆け寄るジョバンニでしたが、何も言うことができません。そんなジョバンニに対しカムパネルラの父は、ジョバンニの父親から一昨日便りが来て、もうすぐ帰ってくることを告げます。
いろいろなことで胸がいっぱいになったジョバンニは、父親が帰ってくることを母親に伝えるべく、牛乳を握りしめながら家へ向かって走って行くのでした。
『銀河鉄道の夜』の疑問点を、考察を交えて解説
『銀河鉄道の夜』は、「ほんとうのさいわい」をはじめとする宮沢賢治の考えた造語や、含みを持たせた表現、宗教にまつわるとされる比喩表現などがちりばめられており、多くの人が「意味が分からない」と感じる部分がある物語です。しかも複数のバージョンが存在し、それぞれにストーリーや結末が異なるため、さらに複雑になっています。
ここでは、『銀河鉄道の夜』の疑問点について、考察を交えて解説していきます。
『銀河鉄道の夜』は未完の作品? ブルカニロ博士が登場するバージョンも
『銀河鉄道の夜』は、作者・宮沢賢治が完成を宣言することなく遺された作品のため、とても謎が多い作品です。
彼の生前にこの作品が出版されることはなく、現在私たちが目にする『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治の遺品である下書き原稿を、幾多の編集者や研究者たちが解釈し、手を加えて出版したものです。
しかも宮沢賢治自身が推敲(すいこう)を重ねており、1924年ごろに執筆したとされる第一次稿から、現時点で最新のものとされる第四次稿までに、大きな改編を3回施しているのです。第四次稿は最終形、その前のものは初期形と呼ばれています。
それぞれでストーリーや結末が異なり、例えば最後に川で行方不明になったカムパネルラが捜索されるシーンは、第四次稿(最終形)で追加されたものです。
また第三次稿までは、ブルカニロ博士という人物が登場しています。銀河鉄道での出来事は、ブルカニロ博士が自分の考えを遠くから人に伝える実験である、という設定で物語が進んでいたのです。
列車の中でカムパネルラがいなくなり泣き叫ぶジョバンニに対し、ブルカニロ博士は「あらゆるひとのいちばんの幸福」を探すように、自分の「切符」をしっかり持つように、そして一心に勉強して、本当の世界をまっすぐに歩むように伝えます。
しかし第四次稿ではブルカニロ博士のシーンが削除されたことで、「ほんとうのさいわい」とは何かがより曖昧になり、ジョバンニ自身、または読者にその定義が委ねられたストーリーとなっています。
なお第四次稿は前述のように最終稿といわれていますが、これはあくまで「第四次稿以後の改稿された原稿が、現時点で確認されていない」という意味であり、宮沢賢治自身が正式な最終形態として定めたわけではない旨を、ご承知おきください。
「銀河鉄道」とは何なのか? タイタニック号に関係がある?
銀河鉄道とは、死者を天上まで乗せる、いわゆる死後の世界へ向かう列車だったと考えられます。
理由は、ザネリを助けるため川へ入って行方不明になったカムパネルラをはじめ、氷山とぶつかった船に乗っていた3人が銀河鉄道に乗車しているからです。
実はこの氷山とぶつかった船とは、タイタニック号のことではないかという考察もあります。ご存じのようにタイタニック号は、1912年に巨大な氷山と接触し沈没した豪華客船。沈没当時、タイタニック号には2200人余りが乗っていましたが、救命ボートが足りず、そのうち1500人以上が死亡したといわれています。
タイタニック号が沈没した当時、宮沢賢治は15歳で、日本でも新聞などで大々的に報道が行われていたそうです。
作中では、カムパネルラにも船に乗車していた男の子にも、服や髪の毛が濡れている描写があり、溺死を連想させます。これらのことから、銀河鉄道とは死者を天国まで乗せていく列車だったと考察できるのです。
ジョバンニは銀河鉄道になぜ乗れた?
では、生きているジョバンニはなぜ銀河鉄道に乗れたのでしょうか。宮沢賢治の本当の意図を知る由はありませんが、3つの考察を紹介しましょう。
1つ目は、孤立したジョバンニは幽霊のような存在だったからというものです。ジョバンニはアルバイトにより勉強が遅れていき、周りから孤立しています。ザネリにからかわれ、疎外されているシーンが何度か登場していました。
居場所がなく、ジョバンニはいわば幽霊や空気のような存在だったとも考えられます。だからこそ銀河鉄道に乗れたと考えられるわけですが、結果的にそれが今までの自分と決別し、強い自分となるきっかけとなります。
2つ目は、ジョバンニのカムパネルラを思う強い気持ちがそうさせた、というものです。カムパネルラを天上に送り届けるという特別な使命のために、友達との最後の時を過ごすことが許されたのかもしれません。
3つ目は、天上に行く友達思いのカムパネルラが、ジョバンニとの別れの時間を願ったのではないかというものです。友達だったはずのカムパネルラとジョバンニは最近疎遠になっており、あまり話せていませんでした。
物語の冒頭、ジョバンニは教室で先生に当てられ、銀河とは何なのかと聞かれますが、答えることができませんでした。その後先生は、カムパネルラに同じ質問をします。するとカムパネルラももじもじとするだけで、答えることができませんでした。
ジョバンニは、カムパネルラは答えを忘れるはずがないのに、自分を気の毒がってわざと答えなかったのだと考えます。
そんな友達思いのカムパネルラなら、「疎遠のまま自分が遠くに行ってしまったら、ジョバンニがどんなに悲しがるだろう」と心配し、意識的、あるいは無意識のうちに、ジョバンニとの最後の時間を持ちたいと願うかもしれません。それが、ジョバンニだけがどこまでも行ける切符を持っていた理由と考えることもできます。
「ほんとうのさいわい(本当の幸い)」の意味
『銀河鉄道の夜』で何度も出てくる「ほんとうのさいわい」とは、誰かのために生きることを意味していると考えられます。
物語の終盤で「みんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼(や)いてもかまわない」とジョバンニが話します。他人が幸せになるため、自分には何ができるのかを考えていることが、このセリフからわかります。
そしてもとの世界へ戻ったジョバンニは、自分を犠牲にしてでも他人のために尽くしたカムパネルラの死を受け入れたように見えます。ジョバンニはカムパネルラが幸せになるためにも、前向きに生きていく決意をし、家まで走りだしたのかもしれません。
宮沢賢治は、カムパネルラの死に妹・トシの死を重ねていた?
『銀河鉄道の夜』で宮沢賢治は、カムパネルラの死を通じて、人の死に向き合う必要性を語っていたのではないかとも考えられます。
一説によるとカムパネルラのモデルは、宮沢賢治の最愛の妹・トシだと考えられています。宮沢賢治は、自分の最大の理解者であるトシをとても大切にしていたそうです。しかしトシは結核により、1922年に24歳の若さで死去しました。
つまり『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治がトシの死を受け入れるために作った物語で、ジョバンニは宮沢賢治自身を投影しているのではないかと考察できるのです。
『銀河鉄道の夜』の作者・宮沢賢治とは
『雨ニモマケズ』の詩でも有名な宮沢賢治は、1896年(明治29年)に生まれ、詩人や童話作家、科学者など多方面で活動していた人物です。1933年(昭和8年)に、37歳の若さで病により亡くなりました。
多くの童話や詩を創作していますが、生前に刊行された著書はわずか2冊だけでした。死後、彼の遺した作品が世に出され、現在でも多くの人に親しまれています。
『雨ニモマケズ』全文をひらがなと漢字で紹介! 意味や宮沢賢治についても解説
ますむらひろし氏による猫の漫画・アニメ映画も人気
『銀河鉄道の夜』は、ますむらひろし氏によって漫画化されています。原作に忠実に沿いながら、登場人物を猫に擬人化するという手法を採っています。
さらにこの漫画を原案としたアニメーション映画『銀河鉄道の夜』も、1985年に公開されています。
監督は『タッチ』などで有名な杉井ギサブロー氏、音楽は細野晴臣氏が手掛け、幻想的な世界が表現されています。ジョバンニの声優は田中真弓氏、カムパネルラは『となりのトトロ』のメイ役でも知られる坂本千夏氏が務めました。
ますむらひろし氏は、宮沢賢治作品の漫画化などの業績により、2001年に宮沢賢治学会イーハトーブ賞を受けています。
『銀河鉄道の夜』をモチーフとした歌もある
『銀河鉄道の夜』は数々の人に影響を与えており、この物語に着想を得た歌も存在します。
米津玄師氏による5枚目のアルバム『STRAY SHEEP』の1曲目は、『カムパネルラ』。この曲は、カムパネルラの死の原因となり、そしてそれを引きずりながら生きていくザネリの気持ちをイメージして作られたそうです。
主人公であるジョバンニの視点で読む人が多いであろう『銀河鉄道の夜』ですが、カムパネルラやザネリ、そしてカムパネルラの父など、他の登場人物の気持ちになって読み直してみると、また新たな発見があるかもしれません。
映画『銀河鉄道の父』には菅田将暉、役所広司など豪華俳優陣が出演
2023年5月5日には、生前無名だった宮沢賢治とその父、そして家族の感動の物語を描く映画『銀河鉄道の父』が全国公開されます。原作は門井慶喜氏による第158回直木賞受賞作の『銀河鉄道の父』。
裕福な質屋に長男として生まれた宮沢賢治ですが、家業に対する葛藤や、宗教への信仰心による父との対立、最愛の妹トシの死など、さまざまな苦難がありました。そんな宮沢賢治はなぜ物語や詩を書いたのか、なぜ書き続けたのか、その父にスポットライトを当てて描かれます。
『銀河鉄道の夜』を読んだ後にこの映画を見れば、作者の宮沢賢治が作品を通して伝えたかったことが、より理解できるかもしれません。
誰かのために生きるのが「ほんとうのさいわい」
『銀河鉄道の夜』は、孤独を感じていたジョバンニが友達のカムパネルラと銀河鉄道に乗って旅をしながら、生きる意味について考える物語です。
銀河鉄道に乗車する人々と会話するうちに、ジョバンニとカムパネルラが「ほんとうのさいわい」について考えるシーンが何度も登場しました。
もとの世界へ戻ったときにカムパネルラの死を知ったジョバンニですが、母親のいる自宅へ走って帰るところで物語は終わります。
ジョバンニは銀河鉄道で旅をしていく中で生きる意味を見いだし、現実の世界でカムパネルラの死を受け入れて、前向きに生きていく決意をしたのではないでしょうか。
なお『銀河鉄道の夜』には第一次稿から第四次稿が存在します。異なるバージョンを読むことで、さらにその面白さがわかるかもしれません。