庵野秀明氏か脚本・監督を務め、“原点”をリスペクトしつつ生まれた、新たなオリジナル作品『シン・仮面ライダー』を記念し、池松壮亮、柄本佑、森山未來による、”トリプルライダースペシャル鼎談”が行われた。

  • 左から森山未來、池松壮亮、柄本佑

鼎談では、チョウオーグ/仮面ライダー第0号の動きが決定するまでの話や、話題となっているクライマックスの激闘についてなど、ファン必見の超貴重なエピソードが語られた。

――お三方は古くからのお付き合いなのでしょうか。

森山:僕と池松くんは今回が初共演です。

柄本:僕と池ちゃん(池松)は過去に映画『夜のピクニック』のときに一緒にやらせてもらいましたが、すれ違ったくらいでした。今回がほぼ初共演です。(森山)未來さんとは色々な会場で偶然会って話して、ということはありましたが、同じシーンに存在していることは初めてです。

――本作で共演すると知ったときのお気持ちはいかがでしたか?

池松:とても嬉しかったです。敵味方はもちろんありますが、これ以上ないメンバーで「この3人で『シン・仮面ライダー』を作っていくんだ」と思うとワクワクしました。みんな30代ですし。

柄本:そうそう。テレビシリーズの『仮面ライダー』はもっと若い子たちがライダー役をやる印象ですが、こういう世代の僕らが仮面ライダーをやれるのは面白そうだと感じました。現場に入ってからのナチュラル感は最初から出来上がっていました。

森山:この皆さんとできるのがすごく楽しみであると同時に、庵野秀明さんがどういう演出で世界観をまとめてくるのかを知っておきたいと思いました。決めないなら決めない、わからないならわからないでいいけど、どういう体制なのかを前もって知っておきたかった。スーツアクターでなく演者が変身後もアクションを行うかもしれないという話だったので、芝居しながら戦うのか、殺陣をどう付けていくのかを打ち合わせたいと思い「1回、3人で話せませんか」と提案しました。

どういう風に芝居の質感を作っていくのか、例えば劇画調なのかナチュラル目でいくのかを知る場にはなったけど、その答えも基本的には僕らに委ねるというものでした。

現場でもそうでしたが、ある演出・シチュエーションみたいなものは骨組み的にはあるけれどもどう肉付けしていくのか、その入り口は庵野さん以外のスタッフや僕ら俳優が作ります。僕が現場へ入る前におふたりはすでに体験されていたし、「そういうものになるだろうな」という想定は僕の中にもありました。与えられた本や演出で自分たちが受け身でいればよいというより、もうちょっと自発的、能動的な空気感になりそうというのはみんなシェアしていたのかなと思います。

――クライマックスの本郷・一文字・イチローのバトルシーンは、お三方を中心に考案していったと伺いました。庵野さんから「泥仕合」という差し込み原稿(現場で追加される台本)も入ったそうですね。

池松:「泥仕合」はキーワードになりました。

柄本:その日に撮りたいとなって段取り(本番前に行う動きの確認)が始まったら「変えたい」となって現場で調整するための待ち時間が発生し、3・4時間経って「1回持ち帰って明日にしましょう」となりました。僕は誰かがぽつぽつとしゃべったりしゃべらなかったり、20分くらい間(ま)がある時間が割と好きです。「どうしたらいいかわからないから考える」という部分も含めて、そういった“ひねり出す”時間が作品を作ると思います。いまって、現場であそこまで悩める時間がないですから。

池松:そうですよね。贅沢な時間でした。学生映画をやっていた頃を思い出しました。

柄本:もちろん大変だし苦悩する時間でもあるしつらい時間でもあるけど、ああいった時間がやっぱりないとなとは思います。

森山:『ドキュメント「シン・仮面ライダー」~ヒーローアクション挑戦の舞台裏~』で描かれたように、アクション監督の田渕景也さんとアクション稽古をしたり絵コンテやアクション映像を作って……というやり取りは撮影スタジオに入るまでずっと続いていましたね。

池松:そうですね。それを繰り返して泥仕合に辿り着いたようなところがありました。目眩のするようなあの過程を通ったからこそ見つかったと思います。

森山:田渕さんたちと僕がアクション練習をしているのと並行して撮影は行っていて、その中でどんどん変わっていったんだろうなとは体感として持っていました。

――今回、仮面ライダーのマスクやスーツを着ると可動域もかなり限定された中でのアクションシーンだったようですね。

森山:合皮とはいえ、引っ張られるので動きに制限はかかりますし、汗をかくけど熱が逃げないから蒸れるし、冷えても水分が揮発しないからただただ身体が固まっていくという……(笑)。しかも脱ぎ着するのが面倒くさいからそのまま待機しちゃうんです。身体に悪いことをずっとやり続けた感じでした(笑)。

柄本:身体が固まっちゃうから、座付きのマッサージ師さんがついてくれていましたよね。池ちゃんは最初足をひねっていたけど、その辺りのケアもしていただきました。その方がめちゃくちゃうまくて……。

池松:本当に。全治を1ヶ月早めてくれました。現場についてくださった数名の先生達には感謝しきれません。

――森山さんはチョウオーグ/仮面ライダー第0号の動きをどのように考案されたのでしょう。瞑想=チャクラを練るといったことがキーワードになっていったと伺いました。

森山:動きに関してはそうですね……本編では使われなかった部分が多いのですが、変身前の基本的な動き方は瞑想や、「プラーナ」というキーワードから考えていきました。プラーナはサンスクリット語で「大気中に存在しているエネルギー」といったような抽象性のある言葉ですが、プラーナを呼吸なのか、体内に取り込んで循環するという考えで動きを作れたら面白いんじゃないですか、という提案はしました。

――現場では、ミリ単位で池松さん・柄本さんのマフラーの位置調整があったと伺いました。森山さんも同様だったのでしょうか。

森山:僕も同様にありました。

――お三方はそれぞれ、本郷・一文字・イチローの“主義”をどのようにご覧になっていますか?

池松:本郷に関していうと、他のキャラクターと違って「変身」という言葉を使わないし、最初から一貫しています。『シン・仮面ライダー』のキャラクターは敵味方みんなそれぞれがそれぞれに後悔したり、変化していくんですが、本郷だけは変化がない。主義が一貫しています。その主義の抱える矛盾を仮面を被ることで乗り越えていきます。ただし本郷自身は変わりません。ヒーローものといえば普通は逆境や困難や迷いを最後には突破していくものですが、そのままであり続けます。本郷ではなく、本郷の主義とは相反する、仮面の主義との融合によって調和がとれて乗り越えていきます。その点において新たなヒーロー像だと思いました。この作品のポスターのキャッチコピーは「変わるモノ。変わらないモノ。そして、変えたくないモノ。」ですが、本郷に関しては「変えたくないモノ」が全てだったのではないかと思います。

柄本:一文字に関しては、池ちゃん演じる本郷に対するキャラクターであるなと思っていました。陰と陽ではないですが、そういったことはイメージしながら演じていたように思います。僕も最初は悪い奴として出てきて、ルリ子によって仮面ライダー側に付くという変化はあるんだけど、マインド的には変わるけど一人の人間としては変える必要はないなと思っていました。一貫して“明るさ”は意識していました。

池松:ラストに関わるシーンなので詳しくは言えませんが、一文字が孤高を主義としながら孤高じゃなくなるのは大きな変化ですよね。

柄本:そうだね。

森山:個人の幸福を追求するためには絶望が深ければ深いほどSHOCKERの理念が適応されるという意味では、本郷とイチローは近いところにいるなとは思います。イチローは母を、本郷は父を殺されていますから。一文字も謎に包まれているとはいえ、絶望は抱えています。

それをどうエネルギーに変換していくかが、イチローにおいてはハビタット計画でした。身体的な痛みを現実世界でこれ以上受けたくないから、メタバースのように自分たちの精神を外に転送してしまう。そうすれば痛みを感じることもないし、みんなが何かを隠したり嘘をついたりする必要もない。幸福という言葉の定義がそれぞれ違うけれども皆が幸福でありたいと思うがゆえに、傍から見るとマッド(狂的)と言われてしまうんですよね。イチローはラスボス的な立ち位置ですが、ある側面から見ると「正義」と呼ぶことも可能かと思います。

池松:一文字に関して絶望の中身は描かれていませんが、恐らくすさまじい絶望を経験していて、それを仮面で覆い隠しながら戦っている。まさに仮面ライダーだなと思います。本郷は仮面外して海に向かってしっかり泣いてしまうので(笑)。一文字の風通しのよさと抱えている絶望のバランス――飄々としていてものすごくカッコよかったですね。(柄本)佑さんもそのように演じられていましたし。

森山:ちょっと疑問なんだけど、一文字のタイフーンベルトは「風も受けずに」と言われているけどどういう原理で風を起こしているんだろう。

柄本:たぶん一文字は、外から受けるんじゃなく内側から風を出せるんじゃないかな。

森山:要するに、その都度受けている風のエネルギーを溜め込むことができる。

柄本:そうですね。ちょっと後で庵野監督に聞いてみないと。(笑)

森山:そう考えると、もしかしたら一文字が一番いいかもしれない。イチローは装置にプラーナを充電しておかないといけないから。

柄本:でもあれは井戸みたいなもので、永遠にプラーナを吸収できるんじゃなかった?

池松:でももう破壊されちゃったから。

森山:そうそう。あれがないともう変身できない。外付けの充電器みたいなものだから。

柄本:ただ歩いているときに受けている風も微量ながら充電できると考えると、確かに一文字は強い……。でも「充電」とかいうと現実的になってきちゃってちょっと弱そうにも見えちゃうね(笑)。

池松:でっかい充電器壊してもコンバーター2個付けですからね、森山さんは。話を元に戻すと、第0号に関しては森山さんの身体性と仮面ライダーが融合していくさまを傍から見ていてすごく面白かったです。「気を操る」ような戦い方は真新しかったですし、アクションに関しても全てに道理を作ったうえで第0号を創り上げられていました。森山さんならではの、『シン・仮面ライダー』でしか見られない素晴らしいオリジナルキャラクターでした。

ヒーローものは、ヒーローが「世界を守りたい、世界を幸福にしたい」と言うものですが、『シン・仮面ライダー』の本郷はヒーローになるつもりなんてなくただ隣の人を守りたい。対してラスボスであるイチローの方が人類の幸福を望んでいる、その反転が現代的で面白かったです。

森山:ベーシックな部分だけど、そもそも仮面ライダーはSHOCKERの一員なんですよね。その闇を、本郷はずっと抱えていたように思う。

柄本:役作りもあるのかもしれないけど、池ちゃんが本郷を演じるということ、未來さんがイチローを演じるということのフィット感・役と役者のマッチングがすごく良かったと思います。池ちゃんが演じる本郷の寡黙さとストイックさが、僕が演じた一文字をああいった人物にしてくれたし、第0号でいうと椅子の降り方からもう未來さんの身体性の魅力が出ていますよね。

――役と演じ手が結びついているという点でいうと、過去の経験が生きてきた瞬間などはありましたか?

池松:全ての過去の経験が自覚的無自覚的両方の面で今の思考に繋がっていますが、緑川博士役の塚本晋也さんが監督された『斬、』を庵野さんが観ていて、その話を最初にしました。僕は庵野さんと塚本さんが作るものにそもそも通じるものがあると感じていますが、『斬、』の主人公は物凄く強いけれど、人を斬りたくない浪人の役でした。何故人を斬らなければいけないのか、という時代劇を通した反戦映画です。対して本郷は、優しすぎる殺戮兵器のような人物であり、両者に通ずるものを感じました。

森山:そうなんだ。塚本さんは『鉄男』から同様のテーマを描き続けているのか。

池松:そうなんです。しかも塚本さんと庵野さんって同い年なんですよ。同世代性と共に、互いに反射しあっている部分があるんだろうなと思っています。

柄本:「生きてきた」ということでいうと、いつもゼロから構築していくから過去の経験は何も生きてこないのですが、石井隆監督の『GONIN』と自分の中で結びつく瞬間はありました。自分の撮影初日が結構長めのモノローグシーンだったんです。橋の上から「一人で行ったか、本郷」と見守り、マフラーを見て「お嬢さんの命の代償か」とつぶやいてバイクに乗って去っていくのですが、完全に1人でモノローグ的に喋っていて。そこが、『GONIN』で佐藤浩市さんが根津甚八さんを銀行強盗に誘い、根津さんがいなくなった後も雨の中で延々と計画の説明をしているシーンにちょっと似ているなと思いました。

森山:僕は、庵野さんと最初にお話しさせていただいたときに2011年版の『髑髏城の七人』が印象に残っているという話をされましたね。

柄本:庵野さんが劇場に観に来られていたんですか?

森山:そうみたい。イチロー役に決まった後も「そういうことをやってほしい」という話は出ていなかったし自分もそのつもりはなかったんだけど、いま思えばその話がちょっと活きていたと言える部分もあるかなと思います。劇団☆新感線はみんなでチャンバラしたりアニメ的な動きをしたりといった賑やかな劇団ですが、天魔王を演じるにあたってもうちょっとシリアスな形でやれないかなと考えているときがありました。紆余曲折あって結果的にエネルギッシュに突き抜ける形になり、それはそれでよかったのですが、あのときにやってみたかったことを、イチローを演じるうえで考えてみてもいいのかな?という側面はあったかもしれません。

――『シン・仮面ライダー』は「善悪」「ヒーロー」「幸福論」「絶望」「エネルギー」「暴力」といった様々なテーマが内包された作品です。本作を経て、皆さんが考えを深めたものはありますか?

森山:舞台挨拶の場で庵野さんが「日本の実写作品をテコ入れしたい」とおっしゃっていて、それを「仮面ライダー」というコンテンツで考えたときに、『シン・仮面ライダー』はその一歩なのかなと思いました。

たとえばバットマンは昔から子どもたちが憧れるヒーローで、それがどんどん擦られ続けて時制が変わり『ジョーカー』のように敵の目線で描いたり、『ダークナイト』のようにバットマンが苦悩する存在として描かれるようになったり、色々と表現が派生してきました。それに対して「仮面ライダー」はどうだったかというと、もちろんテレビシリーズやそこからの映画化はずっと続いてきましたが、今回描こうとしたような「仮面ライダーがSHOCKERとして生み出された」という仮面ライダーが持つ苦悩というか、ある根幹みたいなものにはそこまで触れてこなかったんじゃないですかね。『シン・仮面ライダー』は原点回帰ともいえるし、この時代にアップデートしたという意味でもすごく良い試みだったのではないかと思います。

池松:子ども向けのヒーローものという皮をかぶりながら、人間の普遍的なところにアプローチしていて、人間の真実に触っている。本当に見事な物語だなと改めて思いましたし、今回の仮面ライダーは様々な可能性があるなかで取捨選択してこういう形になったわけですが、仮面ライダーというキャラクターだけでなく、登場人物みんなが変化していきます。仮面ライダーとは変身にまつわる物語で、変身とは人類が繰り返してきたことでもあります。大きな変化の時が訪れているこの時代に、様々な困難に対してあらゆる挑戦を克服し、どう乗り越えて変身していくのか。「仮面ライダー」から『シン・仮面ライダー』へ、さらに現代性を獲得して普遍的なところに行くというのは、まさにあるべき継承だと思います。

柄本:オリジナルがあるものを現代で映画でやる際、焼き直しでは意味がない。庵野さんが「仮面ライダー」をやる際に僕がいいなと思ったのは、SHOCKERの描き方です。彼らは彼らで幸せを求めて探求した結果だから根っからの悪者じゃないというか、その人の持つ正義によって取捨選択されてみんな生きているという部分がすごく腑に落ちました。極端な話、目の前のペットボトルを取るか取らないかもその人の正義によるものだと思うんです。取るも取らないも、その人の選択であり正義。そういった部分を仮面ライダーだけでなくSHOCKERにも持たせたことが、現代性に通じているのかなと思います。

(C)石森プロ・東映/2023「シン・仮面ライダー」製作委員会