計11ヘクタールで自然栽培
昨今、体に取り入れる食材への安心感や安全性を重視する声が多く聞こえてくる。また、肥料価格高騰などの影響で“減農薬”への取り組みを実践する生産者も徐々に増えてきたように感じる。
冨田農園では、農薬不使用なだけでなく無肥料で作物を育てる自然栽培を40年以上に渡り実践してきた。両親からバトンを受けた2代目園主の冨田和孝(とみた・かずたか)さんは試行錯誤の日々を経て、現在の経営基盤を確立した。
両親の背中を見て育つ中で、小学生の頃から農家を継ぐと決めていたという冨田さん。子供ながらに「自然栽培=良いこと」という認識があり、素晴らしい取り組みをしている両親へのリスペクトを持ちながら、20歳で就農するに至った。
現在は8ヘクタールの田んぼで6種類のコメと、3へクタールの畑で麦と大豆を全て自然栽培で育てている。化学肥料はもちろん、堆肥(たいひ)など自然由来の肥料も一切使用していない。
冨田農園のこだわりは「その場でできたもの以外持ち込まない」こと。たとえ自然由来のものであっても、他の土地や他の環境でできたものを田んぼや畑に入れず、その場所で自然と育つ雑草や虫、微生物とともに作物を作り上げていくのがポリシーだ。
唯一持ち込む“種“も自家採取を徹底し、その場の自然環境の維持に努めているのだそう。
試行錯誤を経て軌道に乗った自然栽培への挑戦
冨田さんの両親が自然栽培を始めたのは昭和51年。家の裏にある小さな田んぼでスタートした。当時は自然栽培のコメの生産だけでは生活が厳しく、七城町の名産でもあるメロンの栽培も行っていたのだそう。
冨田さんが就農してからも、試行錯誤の日々は続いたという。同じ七城町の慣行栽培の農家と比べて収量が2割ほど低く、年々収穫量が落ちていく現実にも、焦りや不安を覚えたという。
それでも自然栽培をやめる、という発想はなかったと冨田さん。収穫量が落ちても待っていてくれたお客さんの存在が大きく「なんとかせんといかん」と奮闘した。
自家採取の種籾を丁寧に選別したり、水の量を調節し、ジャンボタニシが雑草だけを食べてくれる環境を作ったりと試行錯誤を重ねた冨田さん。こうした取り組みが功を奏し、十分な収量を実現した冨田農園は現在、メロンの栽培を完全にストップし、自然栽培の作物のみを生産している。
起死回生の冨田農園発のお米「菊池の輝き」
冨田農園では、菊池市七城町で盛んに作られている「ヒノヒカリ」という品種の種籾を20年以上自家採取している。
4、5年ほど前、飛び出すように成長する稲が目立つようになったという。最初はその稲を取り除いていたが、その草勢に「もしや新たに強い稲ができたのでは」と思い、その稲の種を採取し育てて増やしてみたのだそう。
ある年、虫の被害がひどく他の農園では甚大な被害が出た中で、その稲だけはほとんど被害がなかったという。さらに驚くことに従来の品種に比べて豊富な収穫量で、慣行栽培のコメとさほど変わらない程だったという。
自然栽培の環境に適応し、強く育ったオリジナル品種「菊池の輝き」の誕生だった。
両親の代から40年がかりで得た、冨田農園の田から生まれ育った正真正銘の自然栽培米はまるで、自然と向き合い続けた冨田農園への地球からのギフトのように感じられたそう。
加工品で経営安定を図る
冨田農園では自然栽培米や麦のほか、大豆を使用したみそや餅、6種類のコメをブレンドした雑穀米やうどん麺など、加工品も生産している。
加工品を含めた作物の販売ルートは小売業者が中心。自然栽培のものを扱うセレクトショップやネットショップなどを中心に販売している。
「栽培コストが高騰し、コメの価格は低下していく中で付加価値は重要」だと、冨田さんは話す。
自然とともに生き、調和を図る
今年から冨田農園が着手する田んぼと、5年ほど自然栽培を続けている田んぼを見せてもらった。
冨田農園5年生の田んぼは青々と雑草が生い茂っている。5月頃に草を刈り取り、田んぼの準備をするという。
本来は秋おこしや冬おこしといった作業をするが、冨田農園の自然栽培では極力自然に反するような手を加えることを控えている。
試行錯誤をしていく中で、人が無理に手を加えるよりも、自然のリズムに合わせることで、強く、そしてより実りの良い稲穂に育っていくということに気付いたのだそう。
かつて両親へのリスペクトから就農を志した冨田さんと同じく、子供たちも冨田さんの背中を見て「農家になる」と話しているという。
「自然栽培とは、自然の原理原則を学び、落とし込むやり方。毎日多様に変化する自然環境やそこにすまう生物たちとうまく共存しながら、調和を保つことが重要」と、冨田さんは語ってくれた。今後もその挑戦と志に注目していきたい。