約半数が農作物販売で稼げない時代
2022年のアメリカ国内の農畜産物販売額は、インフレーションの影響で記録的に高い数値となった。しかし、収益増の機会は一部の大規模事業者に偏り、約半数の国内農家の農業所得は赤字だったというのが現実だ。
米農務省のトーマス・ヴィルサック長官は2月下旬に行われた農務省フォーラムで、農畜産物販売以外の農家の収入源を増やすことを強調した。その一つが「カーボン(炭素)クレジット」だ。
カーボンクレジットとは、企業などが何かを生産する際に省エネルギー機器を導入したり、二酸化炭素などの温室効果ガスの吸収源である森林の保護に取り組んだりすることで、事業で排出する温室効果ガスを削減したとみなし、その量に合わせて発行されるクレジットおよび仕組み自体のことをいう。クレジット=排出権となり、排出量を相殺したい他事業者などに売却できる仕組みだ。この排出権を購入したり、排出削減活動に参画したりすることで、削減が困難な分の排出量を相殺する取り組みをカーボン・オフセットという。狙いは社会全体で温室効果ガスの排出量を抑えることにある。
背景には、2015年のパリ協定でアメリカを含む各国政府が、温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡にし排出量を実質ゼロにするという「カーボンニュートラル」を2050年までに実現すると宣言したことがある。各国の民間企業や自治体にも対応が迫られており、日本では一定量以上のエネルギーを使用する企業には、温室効果ガスの排出量を算出、報告することが義務付けられている。
なぜそこに農業が結びつくのか。
国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6次統合報告書によると、世界の人為的な炭素排出量のうち「農業、林業、その他の土地利用」によるものが23%と農地は温室効果ガス排出源である一方で、巨大な炭素の吸収源としても注目されているためだ。
土壌中の二酸化炭素は大気中の約2倍
植物を通して土壌が二酸化炭素を吸収する仕組みを見てみよう。
二酸化炭素は光合成によって植物に取り込まれ、呼吸によって大気中に排出されるが、一部は植物の中にとどまる。植物の葉や茎が地表に落ちて土に還るとき、土壌にすむ微生物によって分解され、二酸化炭素は大気に放出される。
だが、一部は分解されにくい土壌有機物となり、二酸化炭素が土壌に長期間貯留される。このように地球上の土壌に含まれている二酸化炭素は、大気中に含まれている量の約2倍にもなる1兆5000億トンとされる。
この仕組みが人為的に働くのが、アメリカ国内の耕作地のうち21%で行われている不耕起栽培だ。作物の残渣(ざんさ)を表土にすき込んで土作りをする不耕起栽培に既存の工業的な農法から移行すれば、さらに多くの土壌有機物を地中に固定し、大気中に戻る二酸化炭素を削減することになるという。世界の土壌の炭素貯蔵量を毎年0.4%ずつでも増やせば、大気中の二酸化炭素濃度の上昇を止められるという見方もある。
アメリカでは2022年8月、史上最大の予算規模とされる気候変動対策法案が成立した。 気候に配慮した農業実践の支援には200億ドル以上を拠出する。以前から農務省のNRCS(自然資源保全局)は土壌の炭素貯蔵量を増やすために農家から農地の地役権を購入するなどしていたが、農法に移行するなど気候変動に対応した農法に移行する農家を増やすために国が技術的・経済的な支援を強化する。将来的にはカーボンクレジット市場を確立し、クレジットを購入したい企業と農家の取引を促しつつ、市場主導で国全体の温室効果ガス排出量の削減することを目指している。
課題は定量評価。技術で挑む米スタートアップ
民間の大手各社も独自のカーボン・オフセット戦略を表明している。
米食品大手カーギルは、契約農家の炭素貯蔵量に合わせて調達価格を引き上げ、不耕起栽培などのリジェネラティブ(再生型)農業への転換を促している。
独医薬品・農業大手バイエルは、農閑期に畑を覆う植物「カバークロップ」として大麦やラディッシュなどを植えたアメリカの農家に報酬を支払っている。カバークロップは土壌中の炭素貯蔵量を増やすためだけに植えられた作物で、収穫されることはない。しかしながら企業からの需要によりカバークロップを植える農家は増加しており、作付面積は2017年からの5年間で40%以上増えたとされる。
米マイクロソフトは、ブロックチェーン技術を生かしカーボンクレジット市場の構築に必要な仕組みの開発に乗り出したほか、農作業の効率化と土壌炭素貯蔵量の拡大を両立できる、気象などのビッグデータを基にした情報を農家に提供している。
しかし、カーボンクレジットにも課題はある。土壌中の二酸化炭素の量を測定し削減量を評価するのが難しいことだ。土壌中の炭素を測定する方法で主流の「乾式燃焼法」は、畑を歩き回って各所の土壌サンプルを取得し、研究室に持ち帰って燃焼させて炭素量を測定するという手間も時間も掛かるものだ。
この課題にアメリカのスタートアップ各社が挑んでいる。
カリフォルニア州に本社を置くYard Stick社は、対象物が透過・反射・吸収する光をエネルギー(波長)ごとに分けて成分を分析する「分光法」を活用して土壌炭素の特性を調べられるプローブ(測定対象に挿す針)を開発した。光ファイバーとサファイアレンズで作られたプローブが土壌内で回転しながらデータを記録し、その場で分析結果を出せるのが特徴だという。
コロラド州が拠点のPerennial社は、地球から放たれるさまざまな波長帯を持つ反射光を衛星写真で記録し、土壌中の二酸化炭素を測定する仕組みを開発した。削減努力を手軽に定量評価できる仕組みが広まれば、カーボンクレジット市場の盛り上がりが期待される。
本当に儲かるの? 今後の単価アップ、付加価値に期待
気になるのは、果たしてカーボンクレジットの販売は農家にとって安定した収益源となるのかということだ。現在、アメリカのカーボンクレジット市場の取引平均価格は二酸化炭素1トン当たり15ドルで、新たな金脈になっているとは呼べない価格だという。環境意識の高い一部の生産者が積極的に参画しているのが現実のようだ。
しかし、先述のパリ協定では2030年までに中間目標として達成すべき削減量を政府が設定しているため、その頃には需要が高まり、2029年までに1トン当たり224ドルで取引されるという予測もある。
また、将来的には気候変動に配慮した農法で生産された農畜産物自体に付加価値がつくことも見込まれる。
農務省は「私たちがオーガニックでやっているのと同じように」(ヴィルサック長官)、認証制度を作るなどして農家の収益を増やす仕組みを作ると明言している。また「農家が(このような農法に)より安価で簡単に移行できるようにした。これらの収益機会はまだ始まったばかり。より強力な市場を作っていきたい」としている。
日本でも農水省が「みどりの食料システム戦略」の中で食料生産時の二酸化炭素の削減をうたっている。炭素貯蔵量を増やす農法は土壌の多様性を促し、中長期的に生産性が向上するという点を各国政府は強調する。温暖化対策は人類として不可避ながら、農家にとって移行のメリットはいかほどなのか。海外諸国の取り組みにも注目しながら考えていきたい。