子どもの頃も、そして今も、私の机やかばんの中には、使わないのに十数本もの筆記具が入っている。ライター、編集者にとって必須の商売道具だからというのは、半分は本当だ。けれど半分はただの言い訳に過ぎない。
何しろ仕事のほとんどはパソコンのキーボードを打つこと、マウスを動かすことになっている。筆記具は取材の際にメモを取るとき、またノートにコンテンツのアイデアを書き留める、構成を考えるとき、また校正で赤字や青字を入れるときにしか使わない。最近はそれもiPadで、デジタルで行うケースが増えている。
■父の趣味、そして僕への愛情
それなのに、新しい筆記具に出会って「これは」と思うとつい買ってしまう。思い返してみれば、父も相当な文房具マニアだ。それが「文化的に遺伝」しているのかもしれない。
何しろ小学生の頃に使っていた文房具は、今思い返せば相当に贅沢なものだった。父が当時発売されたばかりのトンポ鉛筆の「MONO」や三菱鉛筆の「uni」「Hi- uni」や、ドイツ・ステッドラーの「Mars Lumograp(マルス ルモグラフ)」などの高級鉛筆を僕に使わせてくれた。あれは自分の趣味であり、また僕への愛情でもあったのだと思う。
万年筆もかなり持っていて、モンブランが自慢の1本。パイロットのノック式万年筆、父が新しいのを購入して、そのお古をもらったこともある。新橋に出版社の編集者時代も、近所に企業が主なお客さんの、文具店というより事務用品店の二階になぜか高級な筆記具が揃っていて、40歳で会社を辞めて独立するまで、「息抜き」によくそこに通っていた。
そこで出会ったのが、今もどれか1本は必ず持ち歩いている、スイス・ジュネーブに本社のある色鉛筆やボールペン、万年筆で有名な「カランダッシュ(Caran d'Ache)」のボールペン『ECRIDOR(エクリドール)』と『849(ハチ・ヨン・キュー)』だ。
書き味がなめらかな油性ボールペンといえば、今は三菱鉛筆の「ジェットストリーム」(2003年に海外向け、国内販売は2006年から)や、パイロットの「アクロボール」(2008年発売)がまず頭に浮かぶ。だが当時はそれよりはるか前。書き味が滑らかな油性ボールペンといえばカランダッシュが別格の存在だった。
■ただ書くだけの道具ではない
滑らかな油性インクがもたらす極上の書き心地に加えて、カランダッシュ『エクリドール』の国産ボールペンにはない魅力。それは6角のメタルボディから生まれる抜群の持ちやすさと高級感だ。リフィルのインクが同じなら高級モデルも透明な樹脂ボディのモデルも書き味は同じ。でも昔から使い捨てのように使われる透明な樹脂ボディのボールペンはどうも好きになれない。
アルミニウム押出し成形のボディにカラフルな彩りを施した『849』と、その原型であり高級版、ステンレススティールのボディに時計の文字盤のようなギョーシェ(ギロシェ)加工を施した『エクリドール』。いちばんベーシックな『849』でも現行価格で4400円。当時も今も高価だけれど、そんな私にとって納得できるものだった。以来、どこに行くときも必ず1本は持ち歩いている。
時計フェアの取材で毎年ジュネーブに行くようになってカランダッシュ本社に取材に行ったのも、きっかけは自分が愛用していたから。取材の記念に『エクリドール』のシルバーモデルに名入れしてくれたものを頂いた記憶がある。
また当時、パテック フィリップ本社を取材した際、おみやげにスターリングシルバーボディの、カランダッシュ製の今はない繰り出し式モデルのボールペンを頂いたのも憶えている。
最近では日本製の油性タイプやジェルタイプのボールペンにも、長く愛用するに足るメタルボディの高級タイプが増えてきた。個人的に筆記具は「ただ字や絵を書くための道具」ではなく、気分を上げ思考を助けてくれる大切な道具だと思っている。
また、環境負荷を考えても、また愛着が湧く道具になってきたという意味でも、個人的にはとてもうれしいし、とても良いことだと思う。パーツを自分で選んで構成できるなど、凝ったモデルもある。
ただ現時点で日本製の高級ボールペンに『849』や『エクリドール』ほどの絶対的な魅力があるかというと、正直なところいまひとつ。そんなモデルの開発・登場をぜひ期待したい。
文・写真/渋谷ヤスヒト