“トキワ荘”といえば、昭和の時代に著名な漫画家たちが居住していた、東京都豊島区にあったアパートと記憶している人も多いことでしょう。同じ豊島区の要町では2023年春より、デジタルコミックのプロ作家を目指す若いクリエイターを支援するプロジェクトがスタートしています。
シェアアパート『マンガ荘』は、なんと家賃や水道光熱費が1年間無料!その狙いは、一体どこにあるのでしょう?関係者に話を聞いてきました。
マンガ荘とは?
マンガ荘(物件名:TOKYO<β>MANGA-SO)では入居から1年間、初期費用、家賃、光熱費、水道代、通信費などすべて無料で暮らすことができます。プロになったら“出世払い”という形で、作品の印税で(最大50万円の)還元をする仕組み。ちなみにプロデビューがかなわなかった場合は、1円も支払い義務が生じません。
個室は全部で8部屋あり、作業しやすい大きな机、長時間座っていても疲れない椅子、ロフトベット、家具、家電付き。1人に1台、ワコムの液晶ペンタブレット(液タブ)「Wacom Cintiq 16」も用意されます。
共有スペース、キッチン、洗濯機・乾燥機は各フロアにあり、シャワールームは3つ、綺麗なトイレも3つ設置。まったく申し分のない快適な環境です。
狙いは?マンガ荘の“管理人さん”に聞いてみた
このプロジェクトを強力にバックアップするのは、デジタルコミック業界大手のナンバーナイン。同社では専属の編集者が入居者を定期的にサポートすることで、作品デビューに向けたチャレンジを応援していきます。そこでマンガ荘に“管理人さん”的な立ち位置でかかわっている、ナンバーナインの石黒竜磨氏に話を聞きました。
マンガ荘の運営に携わることになった経緯について、石黒氏はこう説明します。
「Z世代の『夢』応援プロジェクトに取り組んでいる三好不動産さんから、プロジェクトの一環として、当社にアドバイザーのような形で協力してくれないか、と打診があったんです。若い人たちを盛り上げるために、令和版のトキワ荘をつくれないだろうか――。そんな両者の思いが合致して、今回のプロジェクトがスタートしました」
いまナンバーナインでは、WEBTOON(ウェブトゥーン)と呼ばれる、スマートフォンのタテ読みに最適化したフルカラーのマンガ作品に注力しています。WEBTOONの2021年の世界市場規模は約5,000億円程度ですが、2028年には7倍の3兆5,000億円前後まで拡大するとの見方もあります。
石黒氏は「現在、日本市場のWEBTOONには(発祥の地である)韓国の作品を日本語訳したものが多いのですが、今後、日本発のヒット作品を生み出していきたいんです」と説明。マンガ荘を「未来のWEBTOON作家を育てる場所」にしていきたい、と意気込みます。
マンガ荘の入居者となるにはナンバーナインへの応募と審査が必要ですが、極端な話、PCひとつ持ってくれば東京で日常生活をスタートできる好条件。夢に挑戦する若者にとって大きな魅力です。
ではマンガ荘に入居するためには、どんな審査基準にパスする必要があるのでしょう?
「当社で特に重要視しているのが、応募者のかたがマンガ荘に入居して何をやりたいのか、を見極めることです。ポートフォリオを提出いただき、将来WEBTOON作家になれそうか、その可能性も判断しています。
今後のプロデビューを見据えているので、大前提としてペンタブ、液タブといったデジタル機材に慣れ親しんでいることも重要。紙でしか描いたことがない、というかたは入居が厳しいのが現状です」(石黒氏)。
ここで補足説明しておきましょう。マンガというと、独りで黙々と机に向かって紙にペンを走らせていくイメージがあります。これに対して、WEBTOONはシナリオ、ネーム、線画、着彩、背景など、細かく分業されているのが特徴。チームで作業を進めていくため、デジタルのデータを取り扱える人材である必要がある、というわけです。
ナンバーナインでは、入居者に向けた指導プログラムも用意。プロのWEBTOON作家に、オンラインで定期的に講演してもらうことも考えています。
そこで最後の質問。ナンバーナインは、この取り組みのゴール地点をどこに置いているのでしょうか?
「若者を支援することが目的なので、掲げている数値目標があるわけではないんです。入居者がWEBTOON作家としてプロデビューできることが最善のゴールではありますが、このマンガ荘を通じて、マンガ作家を志す若者を支援する文化がこの地域に根付いてくれたら、という思いもあります。
1年間の活動を経て退去されたクリエイターの皆さんについては、制作スタジオのStudio No.9と契約する、という道も残されています。いずれにしてもナンバーナインとのコネクションは続いていきますので、その後の仕事のきっかけにも繋げてもらえたら。当社としてもマンガ荘のOB・OGに向けて、ゆるやかな支援を続けていければ良いなと考えています」(石黒氏)
入居者の本音は?
入居者にも話を聞きました。西村さんは、マンガ荘の最初の入居者。「絵を描く仕事を探しているときに広告を見つけて、面白そうだと思って応募したら審査にも合格して。2023年3月1日から入居しています」と朗らかに話します。
そのとき、家族はどんな反応だったのでしょう?
「賃料もネット代も光熱費も水道代も、何から何まで無料ということで『あなた騙されているんじゃないの?本当に大丈夫なの?』と心配されました(笑)。娘が初めて東京でひとり暮らしをする心配より、騙されていないかの心配のほうが大きかったみたいです」(西村さん)。
将来の夢は?そんな問いかけに、西村さんは「いまは着彩のお手伝いが中心になっていますが、ゆくゆくは自分の名前がクレジットに載るような大きな仕事がしてみたいです」と答えてくれました。
はじめの数週間は西村さんの“ひとり暮らし状態”だったものの、ここ最近で、少しずつ入居者も増えてきた模様。そのひとり、佐々木さんは北海道で働いていた仕事を辞めて、このマンガ荘に入居した上京組です。背景を描く仕事が好きで「いつか、この作品の背景と言えば私、というところまでなれたら」と夢を語ります。
このマンガ荘にはWEBTOONのことを知っている人が集まっているので専門的な話もしやすい、と佐々木さん。これに西村さんも「同じ目標に向かって活動している入居者同士、すぐに打ち解けられるんですよね」とうなずきます。
各人が持ち寄る情報もバラエティ豊富で、普段から画集を見せあったり、『この講座がとても良かった』『このYouTuberは背景を描くのがとても上手だよ』などと情報交換しているそう。西村さんは「みんなが頑張っているので自分もサボってられない、と刺激しあえています」と話します。
若いクリエイターが安心して生活でき、切磋琢磨しながら創作活動に打ち込める――。そんな環境が実現しつつあるのを、取材を通じて感じました。